『都市芸研』第二十輯/台湾皮影戯における潮州語 の履歴(No.3)


台湾皮影戯における潮州語

山下 一夫

1.はじめに

台湾の伝統的な人形劇は、布袋戯(手遣い人形劇)・傀儡戯(糸操り人形劇)・皮影戯(影絵人形劇)の三種類が存在し、いずれも一般に台湾語で上演されている。ここでいう台湾語とは、福建移民の閩南語泉州方言と閩南語漳州方言が台湾で混交・融合し、独自の発展を遂げた閩南語の一種である*1

しかし一方で、皮影戯については台本に閩南語潮州方言、すなわち潮州語の語彙が現れることがつとに指摘されている。最初にこの問題を取り上げたのは邱一峰で、以下の様に述べている([ ]内の日本語は筆者による補足、以下同じ)*2

台湾の影絵人形劇は潮州から伝わった。音楽も潮調が中心で、また台本からは、什麼[何])、向年那麼[それなら])、做再年如何、怎麼辦[どのように、どうするか])、障年這樣、如此[このように])など、潮州語の存在を簡単に見て取ることができる。いずれも『明本潮州戯文五種』から裏付けることができる*3

ここで挙げられている「」「向年」「做再年」は、例えば「現代台湾語の常用語彙を網羅すること」を編集方針として編集された『東方台湾語辞典』に見えないことから考えても*4、少なくとも現代の台湾語話者には異質な表現であることは確かである。しかし、これらの語彙がどうして潮州語と言えるのか、またどのような性質のものなのかについて、具体的な検討は行われていない。また『明本潮州戯文五種』は、広東省潮州で出土した明代の戯文五種を影印出版したものだが*5、そこに見られる言語とこれらの表現との関係についても、きちんとした論証が必要となる。

次にこの問題を取り上げたのは陳桜仁である。同氏は、台本中に見える潮州語語彙について、福徳皮影劇団の林淇亮と合興皮影劇団の張春天にインタビューを行った結果を以下の様にまとめている*6

潮州詞彙[潮州語語彙]詞意[意味]例句[例文]
泪、目汁眼淚[涙]兩泪汪汪[両眼から涙があふれる]、泪連連[涙がぽろぽろと出る]、泪滿腿[涙が頰に満ちる]、目汁流滴[涙が流れる]
我們[わたしたち]赧娘相隨來去看燈,豈不是好[わたしたちも一緒に灯籠見物に行きましょうか]
什麼[何]乃是為乜因故[それは何のためでしょうか]
說話[話しをする]要唱又不敢,命我來共你呾知[歌おうとしないので、あなたにきちんと話すよう言われました]
坐再年、再年如何、怎麼辦[どのように、どうするか]哦子,媳婦一日不見,甲我坐再年好了苦[ああ我が子よ、私は一度も会っていない、私はどうしたら苦しみを終わらせられるのか]
向年那麼[それなら]向年煩勞代呼一盃,正好敬上萬歲[それなら面倒をかけるが代わりに一杯入れ、それを陛下に捧げてくれ]
障年這樣、如此[このように]切勿埋怨奴婢相欺,是伊命中皆障年[決して恨むことはない、私めに騙されたのも、かれは運命によってすべてこのようになっていたからです]
尀耐*7可惱、可恨[いまいましい]懷恨不平,尀耐哥哥太不仁[憎らしいことだ、いまいましい兄め、ひどいことをする]
仝頭從頭[初めから]仝頭說因衣[初めから理由を言う]
住了喝令語[命令する時の言い方]住了你這畜牲[やめろ、この野郎]
正是、是真肯定語[肯定する時の言い方]正是善惡到頭總有報[まさにこれ、善悪は最後には報いがある、というもの]
因伊、因衣緣故[理由]聽說因伊[理由を聞く]
專請「請」之義[請(どうぞ)の意味]專請母親哥嫂出來拜別[お母様、嫂様、どうぞお別れに出て来てください]

陳桜仁の研究は、芸人自身が台本の中の潮州語表現を認識していたという事実も含め、非常に貴重な証言であるといえるが、一方でこのうち「」「住了」「正是」「是真」「因衣」(およびその当て字の「因伊」)は、そもそも明清の白話小説などでも一般に用いられる表現であり、潮州語特有の表現とは言い難いだろう。

さらに鄭守治は、潮州歌冊に由来する台湾皮影戯『高良徳』について、陳桜仁の研究を引用した上で以下の様に述べてい る*8

潮調『高良徳』などの潮調劇目は、上演に際しては台湾の閩南語が用いられる。しかしこれは潮州歌冊に由来するため、自ずと潮州方言特有の語彙が多く登場している。例えば、呾知說明白[きちんと話す、話して解らせる])、攏有都有[すべて持っている、すべてある])、乜個什麼[何])、細二細膩[細やかである])、若久(多久[どのくらいの間])、障年怎麼了[どうしたのか])などである*9

鄭守治はここで「呾知」・「乜個」・「攏有」・「細二」・「若久」などの表現を挙げ、さらに「障年」については陳桜仁と異なる解釈を示しているが、これらについてもその妥当性を検討する必要があるだろう。

筆者はこれまで、台湾皮影戯の「上四本」(『蔡伯(ママ)』・『白鶯歌』・『蘇雲』・『割股』)がいずれも広東省の正字戯や白字戯に由来すること、また台湾皮影戯は潮州移民が台湾に持ち込んだ後、台湾で独自の発展を遂げた人形劇であることを論じてきた*10。しかし、そこに介在する言語の問題については、具体的な検討を行わないままとなっていた。そこで本稿では、邱一峰・陳桜仁・鄭守治が提起した台湾皮影戯における潮州語語彙について、「上四本」を対象に調査を行い、また実際の上演における状況も検討し、そこから台湾皮影戯の性質について考察を行いたいと思う。

2.台湾語と潮州語

前章で述べたように、台湾語は閩南語泉州方言と閩南語漳州方言の混交によって形成されたが、これはもともと両者がお互いに意思疎通が可能な程度に近接していた上に、台湾内部で泉州移民と漳州移民の合流が進んだことが原因となっている*11。ただし両者が完全に融合し、台湾全土で均質化されているわけではなく、泉州方言の要素が強い地域(台北市・新北市西部・基隆市南部・新竹市・台中市西部・彰化県・雲林県西部・嘉義県西部など)、漳州方言の要素が強い地域(新北市北部および東部・基隆市北部・桃園市・台中市中部・南投県西部・雲林県東部・嘉義市・嘉義県東部など)、両者の融合が進んだ地域(台南市・高雄市南西部・台東県中部・屏東県南部など)に分かれ、それぞれの方言区を形成している*12。また閩南語泉州方言と閩南語漳州方言の混交は、両者の分布地域に挟まれた福建省厦門においても進行したため、閩南語厦門方言と台湾語は一定の近似性を有している。こうした事情により、泉州方言・漳州方言・厦門方言・台湾語は互いに意思疎通が可能な近接した言語となっており、いずれも同じ閩南語の下位分類である「泉漳小片」に属している*13

閩南語にはまた、「潮汕小片」と分類される別のグループがあり、『中国語言地図集(第2版)漢語方言巻』では以下のように定義されている*14

広東省:潮州市・澄海市・潮安県・饒平県・南澳県・潮陽市(今は汕頭市に編入)・恵来県・普寧市・掲陽市・掲東県・海豊県(客家語を話す一部の郷鎮は除外)・陸豊市(客家語を話す一部の郷鎮は除外)・汕尾市(城区)…(略)…潮汕小片の重要な特徴は次の通り。第一に、-oi(鞋)、-oiʔ(八)、-õi(閑)、-uẽ(関)などの韻母があること。第二に、安=翁aŋ˧、結=角kak˨、「慢」はbueŋと発音、「歓」はhueŋと発音するなど、前鼻音韻尾や後鼻音韻尾の一部が[-ŋ/-k]に合流していること。第三に、「虎」をhõu ˥˧と発音、「幼」をiũ˨˩˧と発音、「愛」をãi˨˩˧と発音するなど、閩南語の他の小片では鼻音化韻母ではないものが、潮汕では鼻音化韻母になっていること。第四に、昔の平・上・去・入の四声が、声母の清濁によって陰陽の2つの調類に分かれ、声調が8つになったままであること。第五に、「壁虎(ヤモリ)」を「胡蠅虎hou˥siŋ˥hõu˥˧」、「玉米(トウモロコシ)」を「幼美人iũ˨˩˧ mui˥˧ ziŋ˥」、「故意(わざと)」を「専愛tsueŋ˧ ãi˨˩˧」と言うなど、独特な語彙があること*15

また李新魁は、上記の「潮汕小片」の分布範囲の方言について、以下の様に述べている*16

広東の粤東地区の閩方言は、かつて「潮州話」と称されたが、現在では一般に「潮汕方言」と言い、簡略化して「潮語」とも言う。…(略)…現代の潮汕方言は汕頭・潮州・掲陽・澄海・南澳・饒平・潮陽・普寧・恵来・陸豊、海豊、汕尾および恵東・恵西(それぞれ一部の地区のみ)などの県・市に分布し、使用人口は約1000万人である。さらに海外の華僑や香港・マカオの同胞も加えると、潮語を用いる人数は2500万人以上にのぼる。潮汕方言は内部で比較的一致しており、各地の差異は小さい。もし細かく分類するなら、3つの支系に分けることができる。すなわち、次の3つの小片である。(1)汕頭片。汕頭市・潮州市・掲陽市と、澄海・南澳・饒平・掲西などの県。(2)潮普片。潮陽・普寧・恵来などの県。(3)陸海片。汕尾・陸豊・海豊などの県。この3つの片の差異は主に発音面に現れ、語彙は多少の違いはあるもの大きな差は無く、文法も基本的に一致している。近さという点で言えば、潮普片と陸海片はより近い*17

これによれば、『中国語言地図集(第2版)漢語方言巻』でいう「潮汕小片」はすなわち「潮州話」、つまり「潮州語」で、また小分類として汕頭片・潮普片・陸海片があることになる。ちなみに汕頭片の分布地域は地区全体の政治・経済・文化の中心地で、潮普片の分布地域とともに清代は潮州府に属し、伝統演劇は潮劇が行われている。一方、陸海片の分布地域は恵州府に属し、伝統演劇は正字戯・白字戯が分布する*18

これに対し、徐宇航は「潮州方言」において以下の様に述べている*19

広義の「潮州方言」は、実際には「潮汕方言」で、潮州市内、汕頭市内、掲陽市内、およびその管轄下にある県や鎮の方言のことである。狭義の「潮州方言」は、一般に潮州市内の方言を指す*20

徐宇航は李新魁の言う潮普片と陸海片は含めず、汕頭片のみを広義の潮州方言の範囲とし、また潮州という表現から想起される「潮州市の方言」を狭義の潮州方言としている。李新魁と徐宇航の記述を総合すると、潮州語という表現が指し示し得る内容は、現在の行政区画で言えば以下の三種類が存在することになる。

  • (a)閩南語潮汕小片を指す。潮州市(潮安区、湘橋区、饒平県)、汕頭市(金平区、濠江区、竜湖区、潮陽区、潮南区、澄海区、南澳県)、掲陽市(榕城区、掲東区、普寧市、掲西県、恵来県)、汕尾市(城区、陸豊市、海豊県)。
  • (b)閩南語潮汕小片の汕頭片を指す。潮州市(潮安区、湘橋区、饒平県)、汕頭市(金平区、濠江区、竜湖区、潮南区、澄海区、南澳県)、掲陽市(榕城区、掲東区)。
  • (c)潮州市内の方言を指す。潮州市(潮安区、湘橋区)。

前稿でも触れたとおり、台湾皮影戯の演目は汕尾市の陸豊市・海豊県に分布する正字戯・白字戯・陸豊皮影戯と共通するものがあるため、(a)の立場から検討を行いたいところだが、「潮普片と陸海片は近い」ということは、逆に両者は汕頭片と異なる部分があることになる。そこでひとまず本稿では、すでに研究の蓄積もある(b)の立場から潮州語について検討して行きたいと思う。

現在、台湾語は台湾教育部が2006年に公布した「台湾閩南語羅馬字拼音方案」(TL)、潮州語は広東省教育行政部が1960年に公布した「潮州話拼音方案」の使用が推奨されているが、前者は教会ローマ字の一種であるPOJを修正したもの、後者は普通話のピンインを基に作られたもので、対照させるのには不便である。そのため声母・韻母・声調の表記方法が共通する教会ローマ字で両者を表記することとし、台湾語は“A dictionary of the Amoy vernacular : spoken throughout the prefectures of Chin-Chiu, Chiang-Chiu and Formosa”*21、潮州語は“Matthew to Acts: Swatow Dialect”*22で採用されている表記法を用いる。

さて、先に引いた潮州語の5つの特徴を、台湾語側から見ると以下の通りとなる。

  • (1)-oi、-oiʔ、-õi、-uẽなど、台湾語には無い韻母がある。
  • (2)台湾語の前鼻音韻尾や後鼻音韻尾の一部が[-ŋ/-k]に合流している。
  • (3)台湾語では鼻音化韻母で発音しないものが、鼻音化韻母になっている。
  • (4)台湾語と異なり、声調が8類となっている。
  • (5)台湾語には無い語彙が多数存在する。

例えば(1)~(4)の理由で潮州語と台湾語で発音が異なっていたとしても、漢字で書くと同じになってしまう場合、それは当然潮州語特有のものとは言えないことになる。鄭守治が潮州語語彙として挙げたもののうち、以下の3つはこれにあたる。

  • 攏有 (潮)lóng ũ (台)lóng ū*23
  • 細二 (潮)sòi-jī (台)sè-jī、soè-jī(細膩。膩と二は同音)*24
  • 若久 (潮)ji̍oh kú (台)jōa kú*25

一見すると両者の発音の差は僅かしか無いように見えるかも知れないが、これは教会ローマ字が声調を調類で示しているためである。声調を調値で考えると発音はかなり異なっており、これが台湾語(そして泉州方言・漳州方言・厦門方言)話者が潮州語を理解するのを妨げる大きな要因となっている。それぞれの調値は表1の通りである。

台湾語*26潮州語*27
調類本調転調本調転調
陰平(a)44333333
陰上(á)53445335(Ⅰ)24(Ⅱ)
陰去(à)115321353(Ⅰ)42(Ⅱ)
陰入(ap/at/ak/ah)324425(Ⅰ)3(Ⅱ)
陽平(â)24115511
陽上(ã)××3521
陽去(ā)33111111
陽入(a̍p/a̍t/a̍k/a̍h)443252
表1 台湾語と潮州語の声調の調値
※台湾語は陽上が無く、また潮州語は-t韻尾を持たない。Ⅰは「陰上・陽平・陽入の前」、Ⅱは「陰平・陰去・陰入・陽上・陽去の前」を表す。

そうすると、重要なのは(5)の語彙である。邱一峰、陳桜仁、鄭守治が挙げた語彙の中で、「」「住了」「正是、是真」「因伊、因衣」「攏有」「細二」「若久」以外の語は、この範疇のものと言えるだろう。そこで次章以下で、上四本におけるこれらの表現と、実際の上演における発音について検討して行きたい。

3.上四本の例

まずは上四本の台本中の用例を検討してみよう。使用するテキストは以下の通りである。

  • ◯『蔡伯皆』:合興皮影劇団旧蔵・高雄歴史博物館皮影戯館所蔵抄本。
  • ◯『白鶯歌』:高雄歴史博物館皮影戯館所蔵・明治四十三年塩埕庄呉典抄本。
  • ◯『蘇雲』:合興皮影劇団旧蔵・高雄歴史博物館皮影戯館所蔵抄本。
  • ◯『割股』:福徳皮影戯劇団所蔵・明治四十四年後協庄黄遠抄本に基づく林永昌整理本*28

【赧】(潮náng)*29

陳桜仁は「我們[私たち]」とするが、『潮州方言詞匯』は「咱們[相手を含んだ私たち]」とする。下の2つ目と3つ目の用例を見ると、「相手を含んだ私たち」ではあっても、「私」より「相手」の方に重点があることが分かる。台湾語でこれに相当するのは「」(台lán)である。“A dictionary of the Amoy vernacular : spoken throughout the prefectures of Chin-Chiu, Chiang-Chiu and Formosa”に「」(台lán)が収録されているが*30、「顔が赤くなる、恥ずかしい、周王の名」とあり、意味が異なる*31。上四本に12例ある。

只因梅家用毒計,害赧一家拆分離,今日喜得重相會。[梅家が毒計を用いたため、私たち一家は離散させられましたが、今日めでたく再会できました。]《白鶯歌・見駕除奸》第92葉母親,是赧个子。[お母さん、これは私たちの孫です(※話し手からすると子どもで、母親から見て孫になる)。]《蘇雲・思歸大會》第76葉

(公科云)赧是何處來的?(丑云)京師來的。[(公、仕草をして言う)君たちはどこからきだのだ。(丑言う)都から来ました。]《蔡伯皆・張公掃墓》第40葉

【乜】(潮meh)*32

邱一峰、陳桜仁は「什麼[何]」とする。台湾語でこれに相当するのは「什麼」(台siáⁿ-mih)で、「啥物」「甚乜」とも書き、2文字目は潮州語の「」に対応している。ただし台湾語では一般にmihを単独で用いることはない。上四本に127例あるが、鄭守治が挙げている「乜個」は無い。また2番目の用例からは、「做乜」で「何のために、どうして」の意味となることが分かる。

(生白)他姓乜?(貼白)他姓趙。(生白)名是乜?(貼白)名五娘。[(生言う)彼女の姓は何ですか。(貼言う)彼女の姓は趙です。(生言う)名は何ですか。(貼言う)名は五娘です。]《蔡伯皆・伯皆認相》第57葉

大路邊,做乜有一口古井?[道の側に、どうして古井戸があるのだろうか。]《蘇雲・報庵產兒》第20葉

你豈知你食的肉是乜肉?[お前は自分が食べた肉が何の肉か知らないのか。]《割股・土地賜丹》(《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》p.61)

なおこの「」、および前項の「」は、邱一峰が言及した『明本潮州戯文五種』にも用例があり、明代以来の潮州語の書写伝統に基づくことが想像される。

我且問你,伊昨戊日有乜來赧處?[かれは昨日何の用があって私たちのところに来たのですか?]《金花女・劉永迎親》(《明本潮州戲文五種》p.781)

我想赧婆娘人,話亦無乜忌憚。[私たち母子が話すのに、遠慮することなど何もないでしょう。]《蘇六娘・林婆見六娘說病》(《明本潮州戲文五種》p.780)

【呾】(潮tàⁿ)*33

陳桜仁は「說話[話しをする]」とし、『潮州方言詞匯』は「[話す]」とする。台湾語の「」(台kóng)に相当する。“A dictionary of the Amoy vernacular : spoken throughout the prefectures of Chin-Chiu, Chiang-Chiu and Formosa”には、tàⁿに「」という別の字をあて*34、「よく口を挟むという意味である」という解説があるが*35、「話す」とは少し距離があり、また他の主立った台湾語辞書や台湾語聖書には見当たらないので、潮州語に特有の表現と考えて良いだろう。上四本に52例あるが、以下2番目の例から、「話す」という言葉がすべてこの「」に置き換わっているわけではないことも分かる。

遇著蘇太老夫人,呾我貌似伊子蘇雲。[蘇太老夫人に遭い、私が彼女の子の蘇雲に似ていると言いました。]《蘇雲・進府》第61葉

事到如今,不得不呾,不得不講。[こうなった以上、話さざるを得ず、言わざるを得ない。]《白鶯歌・回家議代》第41葉

要呾又不敢,媽親心未明。[話すのはためらってしまいます、お母様はお解りになっていないからです。]《割股・土地賜丹》(《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》p.61)

【呾知】(潮tàⁿ-tsai)*36

鄭守治は「說明白[きちんと話す、話して解らせる]」とし、『潮州方言詞匯』は「告知[告げる]」とする。上四本に4例ある。

意思入朝,慶賀萬歲,不免共夫人、子兒呾知。[朝廷に行き陛下にお祝いの言葉を述べようと思うので、(それを)夫人と子どもにきちんと話しておかなければならない。]《白鶯歌・潘葛登檯》第1葉

(生白)乳父,爾可將謀殺蘇知縣,皆情由實實呾知。[義理のお父様、あなたが蘇知県を謀殺したいきさつを、すべてきちんと話してもらいましょう。]《蘇雲・詰問乳父》第53葉

徐大爺命我來共爾呾知,夜昏就要來共爾成親。[徐の旦那様が私に、夜にはもうあなたと婚礼を挙げることを、あなたにきちんと話すよう命じました。]《蘇雲・放走鄭氏》第11葉

【再年】(潮tsò-nî)*37

邱一峰は「做再年如何、怎麼辦[どのように、どうするか])」、陳桜仁は「坐再年、再年如何、怎麼辦[どのように、どうするか])」を挙げる。『潮州方言詞匯』は「再年」に相当する「做呢」を収録し、「幹嗎、怎麼(何をする、どうのように)」とする。台湾語の「按怎」(台án-tsóaⁿ)にあたる言葉で、上四本には「再年」が1例、また「做年」という表現が6例ある。

不知我妻是再年,又說我母喪送陰司。[私の妻がどうなったのか分からず、また私の母は地獄に送られたという。]《割股・孟日紅托夢》(《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》p.75)

做年呾,是爾手自畫的?[何と、お前が自分で描いたのか。]《蔡伯皆・趙氏畫容》第21葉

如今二哥做年主意?[今、二番目のお兄様はどのようなお考えでしょうか。]《白鶯歌・兄妹相議》第16葉

再年」と「做年」、および前項の「」は、やはり『明本潮州戯文五種』にも用例がある。

〔淨〕再年樣死?〔旦〕咬舌死。[〔浄〕どのように死ぬのか?〔旦〕舌を噛んで死ぬ。]《荔鏡記・梳粧意懶》(《明本潮州戲文五種》p.449)

做年呾不聽?[どのように言っても聞かないのか?]《蘇六娘・蘇媽思女責桃花》(《明本潮州戲文五種》p.817)

一方、「坐再年/做再年」は上四本に用例が無く、『潮州方言詞匯』にもこれに相当する語彙は収められていないが、『明本潮州戯文五種』にはこれと同じと思われる「做在年」の用例がある*38

讀只書都無中用,不知做在年好?[この本を読んでも役に立たない、どうしたら良いだろうか。]《金花女・夫妻樂業》(《明本潮州戲文五種》p.256)

今做在年?[今どうするのか?]《蘇六娘・林婆見六娘說病》)(《明本潮州戲文五種》p.773)

【障年】(潮chiò-nî、chièⁿ-nî)

邱一峰と陳桜仁は「這樣、如此[このように]」とし、鄭守治は「怎麼了[どうしたのか]」とする。『潮州方言詞匯』には「」(潮chiò)「這麼[このように]」を収録し、これは「」と同音であるが「-nî」の形は見当たらない。代わりに「照些」(潮chiò-seⁿ)「這樣[このように]」が収録されており*39、潮州語聖書でもこの表現が用いられている。

Chièⁿ-seⁿ kiáu-búe--kâi chiang-àiⁿ tsò thâu-soiⁿ, thâu-soiⁿ--kai tsò kiáu-búe. [このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。]“MÁ-THÀI” 20:16(“Matthew to Acts: Swatow Dialect”, p.39)

Iâ-Sou chièⁿ-seⁿ tàⁿ, liáu chiũ phùi-nũaⁿ tõ thôu-ẽ,[イエスはこのように言ってから、地面に唾をし…]“IAK-HÂN” 9:6(“Matthew to Acts: Swatow Dialect”, p.185)

一方で『明本潮州戯文五種』には「このように」という意味で「障年」が登場する。

不料今旦做障年。[今日このようにするとは思わなかった。]《荔枝記・第十三齣》(《明本潮州戲文五種》p.620)

元來正是障年。[なんと実はこのようであったのか。]《金花女・兄嫂教妹》(《明本潮州戲文五種》p.769)

また『明本潮州戯文五種』には「どのように」という意味の用例もある*40。これは「このように」からの転用だと思われ、ここからは鄭守治の言う「どうしたのか」の意味も自然と導き出される。

阿媽,障年呾?[お母さん、どうしてそう言うのですか。]《金花女・兄嫂教妹》(《明本潮州戲文五種》p.769)

」(潮-nî)は官話における「這樣」や「那樣」の「」に相当する接尾辞である*41。前項の「再年」は現在も使われているが、「障年」は明代には使われたものの、その後「」という別の接尾辞を用いる表現の方が一般的になったと思われる。またそれは、台湾の皮影戯の台本に反映されているのは古い潮州語であることを意味しているだろう。なお現代の台湾語で「障年」に相当するのは「者爾」(台chiá-ní)で*42、また「遮爾」「遮呢」「這呢」「即爾」とも表記し*43、漢字表記や声調は異なるものの、潮州語の「」と同じ接尾辞「」が台湾語には残っていることになる。上四本には「このように」の意味の「障年」の用例が1つだけある。

奴婢相欺,是伊命中皆障年。[私めに騙されたのも、かれは運命によってすべてこのようになっていたからです。]《割股・日紅被毒》(《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》p.70)

【向年】(潮hió-nî)

邱一峰と陳桜仁は「向年那麼[それなら])とするが、『潮州方言詞匯』には漢字をあてない(潮)hió「[あれ]」を挙げるのみで*44、やはりこの語は見あたらない。「向年」の状況は「障年」と同じで、『明本潮州戯文五種』に用例があり、やはり古い潮州語と考えられる。

向年我先轉去。[それなら私は先に帰ります。]《荔枝記・第七齣》(《明本潮州戲文五種》p.600)

向年今許羊待放處餓到死。[それなら今あの羊を餓え死にさせてしまうというのか。]《金花女・迫姑掌羊》(《明本潮州戲文五種》p.818)

現代の台湾語でこれに相当するのは「許爾」(台hiah-nī) で*45、また「遐爾」「許呢」「赫爾」「遐呢」とも表記する*46。上四本には15例ある。

向年待子兒來取代他。[それなら息子に彼女の代わりをさせよう。]《白鶯歌・回家議代》第40葉

向年寡人赦爾無罪,卿家速速奏上。[それなら朕はお前を無罪とするので、すぐに奏上せよ。]《白鶯歌・圍棋進子》第88葉

向年大娘見且了。[それなら叔母様、さようなら。]《蘇雲・朱大娘投井》第15葉

【尀尀】(潮phó-nãi)

陳桜仁は「可惱、可恨[いまいましい]」とする。この語は潮州語辞書や潮州語聖書には見当たらないが、そもそも官話に同義の「」があり、ここで取り上げる必要はないと思うかも知れない。しかしこの語については、民国期に翁輝東が以下の様に述べていることから、かつては潮州語で特に多用される表現であったことが分かる*47

潮州人は極めて耐えがたい事に対して、また「叵耐」と言う*48

また『明本潮州戯文五種』所収の『茘鏡記』で、「」の字の偏は「」でなく「」で書かれているが(図1)、これは台湾皮影戯の台本でも同様で(図2)、ここから台湾皮影戯は古い潮州語の書写法を受け継いでいることも想定される。

図1 台湾皮影戯『蘇雲』(第9葉)の「尀耐」(囲み部分)
図2 嘉靖本『茘鏡記』(『明本潮州戯文五種』,p.414)の「尀耐」(囲み部分)

上四本には以下の2例がある。

尀耐哥哥太不仁,少年進士綑淹水。[いまいましい兄め、若い進士様を縛って溺れさせるとは、ひどいことをする。]《蘇雲・討魚遇救》第9葉

尀耐潑濺釵。[いまいましい跳ね返り女め。]《白鶯歌・阮寶起禍》第21葉

【仝頭】(潮)tâng thâu

陳桜仁は「從頭[初めから]」とする。『潮州方言詞匯』には見あたらないが、『漢語方言大詞典』の「)」の項目に*49、「(前置詞)~に向かって、~に対して、~から、~と…(略)…閩語。広東中山隆都[tɐŋ33]、潮州[taŋ55]」とある*50。ちなみに台湾語の「)」には、この用法は無い。上四本に「仝頭」は2例ある。

告哥哥,容說起,小妹仝頭說就理。[お兄さん、私に話をさせてください、妹の私が初めから状況をお話しします。]《白鶯歌・兄妹相議》第13葉

婦人有乜冤枉,仝頭訴上。[ご婦人よ、何の無実の罪があるのか、初めから述べてみよ。]《割股・閻君判斷》(《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》p.71)

4.実際の上演

現在、高雄市に3つ存在する劇団の上演は、いずれも戦後の改編・新作演目が中心となっており*51、上四本の上演はすでに途絶えているが、『割股』については以下3種類の映像が残されている*52

  • (1)『割股』*53。福徳皮影劇団、2007年12月14日、皮影戯館で上演。林淇亮(主演)、林武雄(鈸、鑼)、謝強受(弦)、林連標(鼓、四塊)、林武栄(舞台協助)。「日紅問安」、「土地賜丹」、「(孟氏日紅上)」の三齣分。
  • (2)『割股』*54。永興楽皮影劇団、2000年3月9日、皮影戯館で上演。張歳、張英嬌(主演)、張福裕、張信鴻(鈸、鑼)、張新国、張振勝(弦)、張振勝、張福裕(鼓、梆子)、張信鴻(灯光)。「顔真往京」、「日紅問安」、「福徳賜丹」、「(孟氏上)」の四齣分。
  • (3)『割股』*55。永興楽皮影劇団、2014年9月4日、皮影戯館で上演。張歳(主演)、張新国(助演)、張英嬌(鑼)、張振勝(弦)、張信鴻(鼓)。「顔真往京」の一齣分。

いずれも演目全体の一部分に過ぎず、前章で挙げた潮州語語彙が現れる場面は限られているが、映像から実際の上演での状況について検討してみたい。

まず【】の項目で挙げた「你豈知你食的肉是乜肉?[お前は自分が食べた肉が何の肉か知らないのか。]」の場面について、台本の検討でも用いた(1)の福徳皮影戯劇団の上演は、以下の様に音声・字幕とも潮州語の「」(潮meh)が台湾語の「什麼」(台siáⁿ-mih)に置き換わっている。

(音声)你豈知你食什麼肉?/(字幕)你知你吃的是什麼肉?(49:47~49:50)

(2)の永興楽皮影劇団による同じ場面の映像も、「」の音声は同様に台湾語の「什麼」に置き換わっており、また字幕は「」になっている。

(音声)你豈知你食的是什麼肉?/(字幕)你豈知你食是何肉?(1:06:21~1:06:25)

次に【】の項目で挙げた「要呾又不敢,媽親心未明。[話すのはためらってしまいます、お母様はお解りになっていないからです。]」の場面について、台本の検討でも用いた(1)の福徳皮影戯劇団の上演では、当該のセリフ部分が削除されている。ここに限らず、台本と比較すると(1)の映像は省略されている個所が少なくないが、これは戦後の台湾で夜の21時30分までに上演を終えなければならないという規制が行われたため*56、旧時は夜通し上演していた演目の内容を、福徳皮影戯劇団が短縮した結果であろう。一方、(2)の永興楽皮影劇団の映像では、この部分が上演されている。

(音声)要呾又不敢,媽親心未明。/(字幕)要呾又不敢,媽親心未明。(1:03:30~1:03:43)

」(潮tàⁿ)は「」と異なり、「」(台kóng)のような、これに相当する台湾語語彙に置き換えられることなく、「」(台tàⁿ)のままになっていることが分かる。

また、永興楽皮影劇団所蔵の『割股』の台本は*57、福徳皮影戯劇団を含む他の劇団が持たない「顔真往京」の齣を有するが*58、そこに現れる「」も同様に、上演時はこの漢字が台湾語発音で話されている。まず、「不免共賢妻呾知幾句。[妻に少しきちんと話しておかなければならない。](《永興樂皮影劇團發展紀要》p.159》)」の部分は以下の通りである。

  • (2)(音声)不免共賢妻呾知幾句。/(字幕)不免共賢妻講知幾句。(8:38~8:43)
  • (3)(音声)不免共賢妻呾知幾句。/(字幕)不免跟賢妻呾知幾句。(12:41~12:45)

(2)の字幕で「」が置き換わっている「」は、官話でも「話す」という意味があるが、潮州語・台湾語に共通する前置詞「」がそのままであることからすると、「」も台湾語が前提になっているものと思われる。一方(3)の字幕が「共」を「」に置き換えていたり、[]を補っていたりするのは、官話による表現を意識しているのだろう。

次に、「[旦白]官人有話慢慢呾知。[生白]聽吾呾來。[〔旦言う〕旦那様、お話しがあればゆっくり話して分かるようにしてください。〔生〕私の話を聞くがよい。](《永興樂皮影劇團發展紀要》p. 159)」の部分は以下の通りである。

  • (2)(音声)[旦白]有話慢慢呾知。[生白]聽我呾來。/(字幕)聽我講來。(10:19~10:23)
  • (3)(音声)[旦白]官人慢慢呾知。[生白]聽我呾來。/(字幕)官人慢慢說知。聽吾講來。(14:31~14:37)

(2)の字幕では「」となっていた部分が、(3)の字幕では「」になっているが、これは字幕作成にあたって台本を参照したからであろう。一方で(3)の字幕は官話を意識したからか、「」を「」と「」に置き換えている。

このように、『割股』の上演は、声母・韻母・声調などの全体の発音は台湾語を用いる中で、一方で潮州語の「」は台湾語の「什麼」に読み替えつつ、また一方で潮州語の「」をそのまま残すという、互いに矛盾する処理を行っている。

これに対して近年の新作演目は、潮州語の要素を完全に排除し、すべて台湾語のみで行っている。以下に、永興楽皮影劇団の新作演目『西遊記―火炎山』の映像から*59、音声を漢字に書き起こした例を幾つか挙げてみよう*60

講來話頭長。[話せば長くなります。](19:10~19:11)

什麼?按怎講是我造成的?[何?何と申す、これは私が引き起こしたというのか。](19:14~19:20)

我老孫者爾厲害。[この孫様がこのように凄かったとは。](19:55)

大師兄,到底是按怎樣?[兄者、いったいどうしたのですか。](56:38~58:42)

この演目で「」は一度も使われておらず、一番目の例のように、「話す」という動詞はすべて台湾語の「」になっている。また疑問もすべて「什麼」で、「どのように」も「再年」ではなく「按怎」、「このように」も「障年」ではなく「者爾」と、いずれも台湾語の表現だけが使われている。

5.おわりに

以上、先行研究で比定された台湾皮影戯中の潮州語語彙について、上四本を用いて検討を行い、不確定だった部分は修正を行うとともに、それらの多くが明代の潮州演劇に遡ることができる古い潮州語表現であることを明らかにした。また実際の上演状況を分析することで、現在では潮州語語彙が台湾語語彙に変更されているものもあること、また新作演目においては完全に台湾語に置き換わっていることも分かった。

一般に中華圏の伝統演劇は、その劇種の伝来元の方言による上演と、伝来先の現地の方言による上演という、二つの相反する状況が観察される。これは、本来は元の方言で上演されていたのが、地域によっては段々と現地の方言に変化していったためで、皮黄腔で言えば、湖広音の要素を色濃く残す京劇は前者に近く*61、ほぼ広東語で行われる粤劇は後者に近い*62。上四本のような伝統演目には潮州語表現を残した台湾語で上演し、現代の新作になると完全な台湾語で上演する台湾皮影戯は、こうした経緯によって現地化していく途中段階にあるものと言えるだろう。またそこから、台湾皮影戯は恐らく伝来当初は潮州語で上演していたのが、時代が下るにしたがって次第に台湾語化していった状況が想像される。そしてそれは、台湾に皮影戯を持ち込んだ潮州移民が、泉州移民や漳州移民に吸収されていく中で、エスニック・アイデンティティの中核たる言語を喪失していった過程そのものであるとも言えるだろう。

ただ台湾皮影戯のような、伝来元の特定の語彙のみを残し、それを現地の方言の発音で読み替えるという現象は、あまり一般的ではないように思われる。言語の現地化は発音だけでなく、語彙全体も同時に発生する方が自然だろうからである。台湾皮影戯でこれが発生したのは、スクリーンを隔てているために観客から上演者の様子が分からないことを利用し、台本を見ながら上演できるという、影絵人形劇の特性が関係していることが考えられる(図3)。上演者が、台湾語の「」は皮影戯では「」になると覚え、常にそう言い換えているわけではなく、台本に残っていた「」の字を読み上げているのに過ぎないと考えれば、こうした現象も理解できるように思う。

#ref(): File not found: "cy20-y3.jpg" at page "『都市芸研』第二十輯/台湾皮影戯における潮州語"

そうして一部に潮州語表現が残ったことは、台湾皮影戯が長く限られた地域での受容に留まったことの理由の一つでもあるだろう。普通の台湾語話者には、「」と聞いてもそれが「」の意味であることはすぐには理解できず、そうした表現に慣れた、皮影戯の上演が固定されて行われるコミュニティの外にはなかなか出て行きづらいことになるからである。

一方で、台湾全土に分布している布袋戯は、泉州方言や漳州方言、さらに台湾語で上演を行うため、そうした制約がもともと存在しない。また官話の使用が強制された戦後の戒厳令時代、例外的に台湾語の使用が認められた布袋戯が、多くの人々が台湾語を学ぶ教材となったという話は、今日一般に語られる言説となっている*63。これは別に布袋戯で一から台湾語を勉強したということではなく、家庭で台湾語を話していた人たちが、より高級な語彙や複雑な言い回しを布袋戯から学んだことを意味しているが、この観点からも潮州語語彙を残す台湾皮影戯は中途半端なもの、ということになる。現在、台湾皮影戯の新作演目が完全な台湾語での上演に変化しているのは、そうした点も考慮された結果だと思われるが、一方でそれは潮州移民文化という、台湾のエスニシティにさらなる多様性の要素を投げかけることができる台湾皮影戯の性質を歪めることにもなりかねないだろう。

なお邱一峰、陳桜仁、鄭守治が挙げた語彙のうち、「做再年」「坐再年」「目汁」「專請」「乜個」は上四本には用例が無かったが、鄭守治の指摘する潮州歌冊に由来する演目には登場しており、本稿で扱った他の潮州語語彙も含めて、使われる頻度が非常に高い。これは、潮州歌冊と台湾皮影戯の関係を考える際に重要な問題となるが、この点については稿を改めて検討したい。

※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和3年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)および「中国古典戯曲の「本色」と「通俗」~明清代における上演向け伝奇の総合的研究」(平成29 ~令和3年度、基盤研究(B)、課題番号:17H02327、研究代表者:千田大介)による成果の一部である。


*1 「台湾語」という表現については様々な問題があるが、これについては以下を参照。呉素汝,「いったい何が「台湾語」なのか」,上田直輝・山下仁・呉素汝・柳田亮吾・小川敦・植田晃次『言語文化共同研究プロジェクト2020 批判的社会言語学の対話』,大阪:大阪大学大学院言語文化研究科,2021年,pp.29-36。
*2 邱一峰《台灣皮影戲研究》,台北:國立台灣大學中國文學研究所碩士論文,1998年,p.171。
*3 台灣的影戲傳自潮州,以潮調音樂為主,在劇本中更可輕易發現潮語方言的存在,如乜(什麼)、向年(那麼)、做再年(如何、怎麼辦)、障年(這樣、如此)等,在《明本潮州戲文五種》中皆可以得到印證。
*4 村上嘉英(編著),東京:東方書店,2007年。
*5 广州:广东人民出版社,1985年。
*6 陳櫻仁,《台灣地區皮影戲劇本語言研究》,高雄:高雄師範大學台灣語言及教學研究所碩士論文,2004年,pp.47-48。
*7 原文は「」の偏を「」ではなく「」で表記しているが、この問題については後述。
*8 郑守治,《正字戏潮剧剧本唱腔研究》,北京:中国戏剧出版社,2010年,p.180。
*9 潮调《高良德》等潮调剧目演出时用台湾闽南话唱念,但因底本源自潮州歌册,自然也出现了许多潮州方言特征词语,如:“呾知”(说明白)、“拢有”(都有)、“乜个”(什么)、“细二”(细腻)、“若久”(多久)、“障年”(怎么了)等。
*10 「台湾の影絵人形劇研究―その現状と課題」,『中国都市芸能研究』第十四輯,2021年,pp.5-32。「台湾皮影戯『白鶯歌』と明伝奇『鸚鵡記』」『中国都市芸能研究』第十五輯,2021年,pp.5-30。〈台灣皮影戲《白鶯歌》與明傳奇《鸚鵡記》〉,氷上正、山下一夫(編)《地方戲曲和皮影戲――日本學者華人戲曲曲藝論文集》,台北:博揚文化,2018年,pp.1-38。「台湾南部における影絵人形劇の上演について――中元節を中心に」,『中国都市芸能研究』第十六輯,2018年,pp.30-57。「台湾皮影戯『蘇雲』考」,『中国都市芸能研究』第十七輯,2019年,pp.38-58。「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,石光生・邱一峰・山下一夫・氷上正・戸部健・千田大介・平林宣和・佐藤仁史(著)『中華圏の伝統芸能と地域社会』,東京:好文出版,2019年,pp.47-89。「台湾皮影戯『割股』考」,『中国都市芸能研究』第十九輯,2021年,pp.5-27。
*11 洪惟仁,《音變的動機與方向:漳泉競爭與台灣普通腔的形成》,新竹:國立清華大學語言學研究所博士論文,2003年。
*12 洪惟仁,《臺灣社會語言地理學研究》,台北:前衛出版社,2019年。
*13 中国社会科学院语言研究所、中国社会科学院民族学与人类学研究所、香港城市大学语言资讯科学研究中心,《中国语言地图集(第2版)汉语方言卷》,北京:商务印书馆,2012年,p.111。
*14 《中国语言地图集(第2版)汉语方言卷》,p.111、p.113。
*15 广东省:潮州市 澄海市 潮安县 饶平县 南澳县 潮阳市(今并入汕头市) 惠来县 普宁市 揭阳市 揭东县 海丰县(部分乡镇说客家话除外) 陆丰市(部分乡镇说客家话除外) 汕尾市(城区)…(略)…潮汕小片的重要特点,一是有[-oi(鞋)、-oiʔ(八)、-õi(闲)、-uẽ(关)]等韵母。二是有些前、后鼻音韵尾合并为[-ŋ/-k],如安=翁aŋ˧ 结=角kak˨ ,“慢”读bueŋ,“欢”读hueŋ,等等。三是有不少字在闽南片其他小片不读鼻化韵母,而在潮汕小片读鼻化韵母,如“虎”读hõu ˥˧,“幼”读iũ˨˩˧,“爱”读ãi˨˩˧,等等。四是有8个声调。古平、上、去、入四声依清浊声母之不同各分为阴阳两个调类。五是有自己特有的词语。如:壁虎叫“胡蝇虎hou˥siŋ˥hõu˥˧”,玉米叫“幼美人iũ˨˩˧ mui˥˧ ziŋ˥”,故意叫“专爱tsueŋ˧ ãi˨˩˧”,等等。
*16 李新魁,《广东的方言》,p.263、pp.265-266。
*17 流行于广东粤东地区的闽方言过去称为“潮州话”,现在一般叫做“潮汕方言”,简称为“潮语”。…(略)…现代的潮汕方言流行于汕头、潮州、揭阳、澄海、南澳、饶平、潮阳、普宁、惠来、陆丰、海丰、汕尾以及惠东、惠西(各一小部分地区)等县市,使用的人数约1000万人左右。加上海外的华侨和港澳同胞,使用潮语的人数约在2500万人以上。潮汕方言的内部结构相当一致,各地的差异不大。如果加以细分,它还可以分为三个支系,即可再分为三个小片:(1)汕头片,包括汕头市、潮州市、揭阳市和澄海、南澳、饶平、揭西诸县。(2)潮普片,包括潮阳、普宁、惠来等县。(3)陆海片,包括汕尾、陆丰和海丰县。这三个小片的差异主要是表现在语音方面,词语上有一些差别,但不大,语法上却基本一致。从接近成都上说,潮普片与陆海片更为接近一些。
*18 〈广东省戏曲剧种分布图〉,《中国戏曲剧种大辞典》,上海:上海辞书出版社,1995年,p.1303。
*19 詹伯慧、张振兴,《汉语方言学大词典》,广州:广东教育出版社,2017年,p.178。
*20 广义的“潮州方言”实为“潮汕方言”,包括潮州市区、汕头市区、揭阳市区及其所辖县镇方言;狭义的“潮州方言”一般指潮州市区方言。
*21 甘為霖(William Campbell),臺南:臺灣教會公報社,1913年(臺南:臺灣教會公報社, 1997年影印)。
*22 Glasgow: Blackie & Son Ltd., 1892.
*23 陳修(編著),《台灣話大詞典【修訂新版】》,台北:遠流出版公司,2000年,p.1196、p.2047。
*24 《台灣話大詞典【修訂新版】》,p.1544。
*25 《台灣話大詞典【修訂新版】》,p.806。
*26 竺家宁,《台北话音档》,上海:上海教育出版社,1999年。
*27 蔡俊明(編),《潮州方言詞匯》,香港:香港中文大學中國文化研究所吳多泰中國語文研究中心,1991年。
*28 林永昌,《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》,高雄:高雄縣政府文化局,2008年,pp.58-83。
*29 《潮州方言詞匯》,p.344。
*30 p.422。
*31 bīn-âng, kiàn-siàu, Chiu-ông ê miâ.
*32 《潮州方言詞匯》,p.327。
*33 《潮州方言詞匯》,p.494。
*34 p.664。
*35 chiū-sī gâu chhap-chhùi ê ì-sù.
*36 《潮州方言詞匯》,p.495。
*37 《潮州方言詞匯》,p.601。
*38 曾宪通,〈明本潮州戏文所见潮州方言述略〉,《方言》,1991年第1期,pp.10-29。
*39 p.596。
*40 曾宪通,〈明本潮州戏文所见潮州方言述略〉,p.20。
*41 連金發,〈明清時期荔鏡/荔枝記閩南方言指示詞的演變:從指示詞到程度加強副詞或篇章標記〉,《語言資訊和語言類型》第四屆國際漢學會議論文集,台北:中央研究院,2013年,pp.129-150。
*42 《台灣話大詞典【修訂新版】》,p.192。
*43 教育部,〈臺灣閩南語推薦用字700字表〉,台北:教育部,2014年,https://ws.moe.edu.tw/001/Upload/userfiles/file/iongji/700iongji_1031222.pdf(2021年12月30日閲覧)。
*44 p.83。
*45 《台灣話大詞典【修訂新版】》,p.587。
*46 教育部,〈臺灣閩南語推薦用字700字表〉。
*47 翁輝東,《潮汕方言》,上海:涵暉樓,1943年,卷一〈釋詞〉。
*48 潮人於極難忍受之事,亦曰叵耐。
*49 许宝华、[日]宫田一郎,《汉语方言大词典(修订本)》,北京:中华书局,1999年,p.1718。
*50 (介)向,对;从,跟。…(略)…闽语。广东中山隆都[tɐŋ33]、潮州[taŋ55]。
*51 東華皮影劇団、永興楽皮影劇団、高雄皮影劇団の3つ。「台湾の影絵人形劇研究―その現状と課題」,pp.15-19。
*52 「台湾皮影戯『割股』考」,p.9。
*53 《永興樂皮影戲團經典戲目DVD》宜蘭:國立傳統藝術中心,2005年。
*54 《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究影音DVD》,高雄:高雄縣政府文化局,2008年。
*55 王淳美,〈「永興樂皮影劇團」精選折子戲〉,《永興樂影――張歲皮影戲傳承史》附DVD,高雄:高雄市歷史博物館,2018年。
*56 「台湾南部における影絵人形劇の上演について――中元節を中心に」,p.32。
*57 石光生,《永興樂皮影劇團發展紀要》,宜蘭:國立傳統藝術中心,2008年,pp.158-189。
*58 「台湾皮影戯『割股』考」,p.8。
*59 《西遊記―火燄山》,《永興樂皮影戲團經典戲目DVD》。
*60 永興楽皮影劇団、2000年2月10日、皮影戯館で上演。張歳、張英嬌(主演)、張福裕(鈸、鑼)、張振勝(弦)、張歳(鼓、梆子)、張信鴻(助演、灯光)。
*61 稻叶志郎,《京剧音韵探究》,上海:学林出版社,1988年,p.19。
*62 赖伯疆、黄镜明,《粤剧史》,北京:中国戏剧出版社,1988年,p.30。
*63 山下一夫,「台湾の人形劇――野外上演から『東離劍遊紀』まで」,『台湾ローカル文化と中華文化』,東京:好文出版,2018年,pp.5-36。