『都市芸研』第二十二輯/清代北京における岳飛故事戯曲 の履歴(No.1)


清代北京における岳飛故事戯曲

千田 大介

1.はじめに

明代、戯曲・芸能で育まれた虚構のエピソードの間を通俗歴史書で埋めつつ構成する形で作られた講史小説は、清代初・中期に至って、英雄個人の事績に重きを置き、歴史書に頼ることなく書き上げられた一連の通俗的な歴史小説、いわゆる英雄伝奇小説へと発展していく。『説唐』とその続編、『飛竜全伝』、『五虎平西・平南』といったこれら英雄伝奇小説の影響力は、伝統劇や伝統芸能にそれらに見えるキャラクターやストーリーを描くものが多いことからも明らかである。

この英雄伝奇小説と伝統劇の関係について、従来は後者が前者に基づいて作られたと考えられており、伝統劇の劇目辞典の類では、大半がそのように記述されている。しかし、伝統劇目の内容を子細に検討すると、小説とかけ離れているものも少なくない。筆者はさきに、清代北京で行われた内府本伝奇『西唐伝』・京腔通俗伝奇『三皇宝剣』や北京皮影戯台本への検討を通じて、三休樊梨花故事が京腔通俗伝奇を通じて育まれ小説『説唐三伝』の成立に影響を与えた蓋然性が高いとの結論を得るとともに、京劇などの伝統劇に京腔の影響が残っていることが小説との差異を生じた原因であることを明らかにした千田大介2019・2020・2021・2022。。しかるに通俗歴史故事は、扱う朝代ごとに形成や受容のされ方が異なると思われるので、樊梨花故事の事例をただちに一般化することは躊躇われる。

そこで本稿では、清代北京で行われた岳飛故事戯、すなわち岳飛故事に取材した劇を取り上げる。岳飛は抗金の英雄であるため、金朝と同じ女真族の王朝である清代の北京において、岳飛故事も禁止されないまでも、手放しで歓迎されるものでなかったことは自明である。従って、京腔通俗伝奇の影響が極めて小さく、小説と戯曲との関係も樊梨花故事とは大きく様相が異なると考えられる。北京における岳飛故事戯への検討を通じて、英雄伝奇小説と伝統戯曲との関係、さらには京劇レパートリーの重層性についても、些か考えてみたい。

2.岳飛故事の雑劇・伝奇

筆者はかつて岳飛故事の変遷について検討し、元明代の戯曲・小説で岳飛の殺害と鎮魂に興味が注がれていたのが、明末になってようやくその武功に主眼が置かれるようになったことを明らかにした千田大介1997。。すなわち、『東窓事犯』雑劇、『精忠記』伝奇は岳飛没後の秦檜の因果応報を主に描き、明代の小説『中興演義志伝』・『武穆精忠伝』なども、それら戯曲にも描かれる部分を除くと概ね史実通りの叙述に終始しており、通俗歴史書からの引用も多く上田望2000参照。、虚構としての岳飛の英雄譚は未発達である。明末清初になると、『牛頭山』・『如是観』・『奪秋魁』などの岳飛の武功に主眼を置いた伝奇が、主に蘇州派の戯曲作家によって作られ、それらを総合する形で清代に銭彩の小説『説岳全伝』が登場する『説岳全伝』は序に見える「甲子」を、康熙二十三(1684)年・乾隆九(1744)年のいずれと取るか、見解が分かれている。この件については、本稿の趣旨とは外れるので、踏み込まないこととする。。

以下では、まず主要な岳飛故事戯について、概要を紹介する。

2.1.『東窓事犯』雑劇

元の孔文卿撰、『元刊雑劇三十種』本が現存するが、明代の雑劇選集等には収録されない。現存する岳飛故事の通俗文学テキストとしては、最も古い。

  • 楔子:朱仙鎮にて金軍と対陣する岳飛は朝廷に召還される。
  • 第一折:謀反の罪に問われた岳飛は無罪を主張するが受け入れられず、岳雲・張憲とともに処刑される。
  • 第二折:地蔵が呆行者に姿を変え、杭州郊外の名刹・霊隠寺に詣でた秦檜の悪事を揶揄する。
  • 楔子:何宗立は、呆行者を捉えるべく東南第一山に赴いて地蔵王に遭い、地獄に送られる秦檜を見る。
  • 第三折:岳飛らの霊魂は、高宗の夢枕に立って冤罪を訴える。
  • 第四折:20年を経て何宗立は孝宗に復命し、秦檜が地獄に落とされたことを報告する。

「東窓事犯」は、秦檜が夫人と東窓の下で岳飛殺害の謀議を凝らしたことを指す。この故事は元代の『湖海新聞夷堅續志』前集巻二「警戒門」にも収録されており、当時、広く行われていたことがわかる。

2.2.『精忠記』伝奇

無名氏撰、『六十種曲』本は三十五齣、富春堂本(『岳飛破虜東窓記』)は四十齣。『永楽大典』「戯文十五」に『秦太師東窓事犯』が著録され、徐渭『南詞舒録』「宋元旧編」には「秦檜東窓事犯」が著録される。宋元南戯に起源し、改編を重ねて現在のテキストに至ったと考えられている。

物語内容は『東窓事犯』雑劇と大差ない。すなわち、岳飛の武功を描くのは第三~八齣のみで、第九~二十二齣は秦檜の岳飛召還から殺害に至るまでを描き、第二十三~三十五齣で秦檜の因果応報が扱われている。

2.3.『牛頭山』伝奇

李玉撰、全二十五齣、清抄本が『古本戯曲叢刊三集』に収録される。李玉は明末清初の戯曲作家で、実演向けの崑曲伝奇を多数製作し、蘇州派の領袖に位置づけられる。

岳飛が東京留守を解任されたのを機に、兀朮(完顔宗弼)は宋に侵攻し東京を占領する。康王は行宮から逃れ、湖広界まで逃げ延びる。岳飛は高宗を救援し、牛頭山に立てこもる。岳雲は夢に九天神女から錘術を授かり牛頭山を目指すが、誤って浦州解良の牛頭山に到り、叛臣・杜充を討ち取り、女将・鞏金定と婚約する。岳雲は湖広の牛頭山に急行し、父を助けて金軍を退ける。

歴史上、牛頭山は南京の南に位置し、黄天蕩で韓世忠に敗れ老鵲河から逃走する金の兀朮を、岳飛が追撃した戦場である。

2.4.『奪秋魁』伝奇

朱佐朝撰、『古本戯曲叢刊三集』所収の雍正間平妖堂抄本は二十二齣、『岳飛故事戯曲説唱集』所収の清初永慶堂抄弋陽腔改編本(中国芸術研究院戯曲研究所蔵)は二十四齣、天理図書館蔵本(以下、天理本)は三十二齣。

朱佐朝は清初の戯曲作家で、李玉らと交流があった。

緑林の好漢牛皐・王貴は、岳飛を訪い兄弟のちぎりを結ぶ。岳母は岳飛の背に「精忠報国」の四字を入れ墨して、応試を促す。岳飛は小梁王・柴貴を撲殺し武状元となるも、死罪に問われるが、理刑の張世麟により放免される。さきに崔縱は金に使いして節を屈せず死んだが、秦檜は彼を誣告する。流刑に処せられた崔の娘・蓮姑は、牛皐に救われる。岳飛らは楊么を平定し、岳飛は張世麟の娘と、牛皐は崔蓮姑と結婚する。

2.4.1.『奪秋魁』天理本について

『奪秋魁』諸本のうち天理本は、黄仕忠2010によってその内容が紹介された。結末部分の八齣で岳飛・牛皐の結婚と金との戦いを描いているが、これらの内容は『古本戯曲叢刊』本・永慶堂本に見えない。

これについて、黄仕忠2010は以下のように述べる。

そのうち、「哭君」・「飛報」・「促程」・「対陣」・「虜遁」の五齣は、いずれも反金の内容で、金に抵抗する話であり、『叢刊』本ではタブーに触れるため削除されたのだろう。また「議婚」・「遣冲」・「迎娶」の三齣は、岳飛・牛皐が妻を娶ることを演じており、あるいは元の劇が煩瑣であるために削られたのかもしれない。「<cstyle:繁体字>其中《哭君》、《飛報》、《促程》、《對陣》、《虜遁》五出,均屬反金、抗金情節,叢刊本當因違礙而刪。又《議婚》、《遣冲》、《迎娶》三出,演岳飛、牛<clang:Chinese\: Traditional>皐<clang:>娶妻事,或因原劇枝蔓而刪。<cstyle:>」(p.165)

天理本では、第二十五齣「哭君」の後、第二十六齣「飛報」で、兀朮が攻め寄せ牛頭山に布陣したとの報が届き、宗沢は張・崔二人の岳飛・牛皐への嫁入りを急がせる。第二十七齣「遣冲」・齣二十八齣「迎娶」で、岳飛・岳母は、張小姐の七煞凶曜を解くため、牛皐に賊に扮して嫁入り行列を襲わせ、二十九齣「促程」で二人の花嫁を迎え入れるや、岳飛・牛皐らは慌ただしく出陣する。敵が目前に迫りながらも嫁入りを優先するのは緊張感を欠いており、牛皐の猿芝居が喜劇的な趣向であることと相俟って、確かに煩瑣な感を受ける。

第三十齣「対陣」・第三十一齣「虜遁」で、岳飛は兀朮を打ち破り、第三十二齣「団円」で凱旋した岳飛らが昇進する。ここで注目されるのが、天理本の兀朮は丑によって演じられる点である。『精忠記』等の他の伝奇、更には現代の京劇や地方劇でも、一般に兀朮を演ずるのは浄であるので、通例を破って道化役である丑とする天理本からは、女真の金をことさらに貶める意図を読み取ることもできる。

以上から黄仕忠の見解は妥当であり、天理本が『奪秋魁』の本来の姿を留めていると考えられている『奪秋魁』諸本については、羅旭舟2016上編第二節「《夺秋魁》辨析」が詳細に論じている。。

2.5.『如是観』伝奇

別名『倒精忠』。清・張大復撰、全三十齣で、『古本戯曲叢刊三集』に康熙五十三年抄本が収録される。

秦檜・岳飛が文武状元になってまもなく、靖康の変がおこる。秦檜の妻・王氏は兀朮を誘惑してとり入り、夫婦で臨安に戻って間者となる。岳飛は宗沢から北伐の遺嘱を受け、母により「精忠報国」と入れ墨され、たびたび金を破る。秦檜は岳飛を召喚して害そうとするが、岳飛は計略を看破して兵を引かず、兀朮を撃破、五国城より徽宗・欽宗を救出し、秦檜夫婦は凌遅に処せられる。

別題の『倒精忠』は、『精忠記』の悲劇的結末を顛倒させていることに基づく。

3.清代北京の岳飛故事戯

3.1.京腔(崑曲・弋陽腔)

清代の北京では崑曲と弋陽腔を兼ねて演ずる「京腔」(北方崑曲)が主流であった。京劇は、一般に1790年、乾隆帝の80歳祝賀の際に徽劇の劇団が北京に進出した、いわゆる「四大徽班晋京」に起源するとされるが、当初は吹腔が用いられるなど後の京劇とは様相が大きく異なっており、京腔が主流である状況が長らく続いていた。漢劇の北京進出を経て皮黄腔のスタイルが確立し、北京梨園における圧倒的地位を獲得するのは、いわゆる「同光十三絶」が活躍した19世紀末以降の晩清時期になってからである。

京腔を構成する崑曲と弋陽腔は、いずれも南曲系の声腔であり、台本にはある程度の互換性があった。『新定十二律京腔譜』に、同じ伝奇の崑曲・弋陽腔の曲譜を重ねて収録している例が散見されるので、明清伝奇はいずれも北京で上演された可能性がある。従って、ある戯曲が北京で上演されたか否かは、北京における上演記録が存在する、北京で用いられた台本が現存する、といったコンテクストから判断する必要がある。

台本の来歴から北京で上演されたことが確実であるのは、清朝宮廷に由来する、いわゆる内府(南府・昇平署)本、北京の王府から流出したとされる清蒙古車王府曲本、それと北京で形成された京劇の台本ということになる。

内府本は宮廷演劇の台本であるが、民間で演じられていた劇を取り入れ改編したものが多数を占めるので、北京における上演状況が記録されたタイムカプセル的な資料としての側面を持つ。ただし、台本には必ずしも年代が明記されず、また宮廷での上演に合わせて整理・改編されていることが多いので、注意が必要である。

このほか『俗文学叢刊』に収録される台湾中央研究院所蔵の戯曲・俗曲コレクションも、京劇・崑曲などは多くが民国時期の北京で収集されたものである。

清代北京で演じられていたと思われる京腔系の岳飛故事戯には、以下のものがある。

3.1.1.内府本

  • 『故宮珍本叢刊』
  • 崑腔単出戯

    「掃秦」

    • 崑腔単出戯曲譜

      「刺字」、「秦本」、「奪秋魁」(光緒28年)

      • 『中国国家図書館蔵清宮昇平署檔案集成』

        「刺字」(咸豊2年)二本

3.1.2.『俗文学叢刊』

  • 崑曲

    「交印」、「刺字」、「牛頭山」

3.1.3.車王府曲本

  • 崑曲

    「掃秦」、「謗閻」

いずれも折子戯か、長くて四・五齣程度の長さのものに限られる。明末清初以降、崑曲の上演が全本上演から折子戯中心に変化していったことは夙に指摘されているが陸萼庭2002第四章「折子戲的光芒」参照。、康熙年間に既に常設の屋内上演施設である「戯館」が複数存在していた北京ではなおのこと『欽定台規』巻二十五「五城七」第一・二葉に「京師內城,不許開設戲館,永行禁止。城外戲館,如有惡棍借端生事,該司坊官查拿」と見える。、2~4時間程度の上演時間に収まり、商業上演に適した折子戯上演が中心であった。

年代が記される内府本は、いずれも咸豊・光緒など清代後期のものである。この時期は、宦官による上演のほか、民間の俳優に宮中で上演させる、いわゆる「内廷供奉」が行われていた時期である。このため、これら内府本は、乾隆年間以前の古い台本を継承したものとも、清代後期に内府に持ち込まれたものとも、いずれとも解釈できる。

3.2.花部・京劇

いわゆる四大徽班晋京後、北京に定着した徽班は、京腔の雅部に対して花部と呼ばれ、その声腔は乱弾とも称された。それが変革を重ねて最終的に皮黄腔を用いる京劇へと変化することになる。

3.2.4.花部・京劇の劇目

比較的早い時期の花部の劇目リストとしては、『春台班戯目』と『慶昇平班戯目』が知られる。

『春台班戯目』は、四大徽班の一つである春台班のレパートリーのリストで、顔長珂2013に影印が収録される。封面には「乾隆三十九年巧月立」と大書されるが、余三勝・王九齢らに言及することから、原本の成立が乾隆年間に遡る可能性は残るものの、実際には道光二十年代頃、19世紀中葉の状況を反映していると考えられる。顔長珂2013は方国祥の手になるものと推測している。

『慶昇平班戯目』は、周明泰『道咸以来梨園繋年小録』の「公暦一八二四年道光四年甲申」項に収録され、以下のように説明される。

私、退奄居士は古い戯目を一冊蔵している。道光四年の慶昇平班を率いた沈翠香の所有物であった。戯目は計二百二十七の劇を収めており、封面には「道光十二載閏二月、嵇永林・嵇永年」と記されている「退奄居士藏舊戲目一冊,系道光四年慶升平班領班人沈翠香所有之物。戲目共二百二十七出,封面寫道光十二載閏二月嵇永林嵇永年。」。

『春台班戯目』と同様に、道光年間の状況を反映している。

これら二種の劇目一覧は、京劇の発展過程を考察する上で欠かせない資料である。一方、京劇の劇目については、『京劇劇目辞典』が清代から中華人民共和国成立後まで、上演資料や刊行物・現存台本などを元に網羅的に収集している。

花部・京劇の台本としては、内府本・車王府曲本・『俗文学叢刊』本が比較的古い。

3.2.1.内府本(『故宮珍本叢刊』)

  • 乱弾単齣戯

    「岳家荘」、「朱仙鎮」、「八大錘」、「牛頭山」、「胡迪謗閻」

    • 各種題綱

      「岳家荘」、「鎮潭州」、「朱仙鎮」

3.2.2.車王府曲本

  • 乱弾

    「岳家荘」、「岳侯訓子」、「挑華車」、「鎮潭州」、「洞庭湖」、「八大錘」、「罵閻」、「遊地府」

3.2.3.『俗文学叢刊』

  • 京劇

    「挑華車」、「岳家荘」、「鎮壇州」、「洞庭湖」、「八大錘」、「現銅橋」、「請宋霊」

3.2.3.その他の京劇の台本

京劇の台本については、個別の唱本の類が清末以降、大量に刊行されているが、台本を網羅的に収集したものとしては、『戯考』が最も早い。『戯考』は王大錯編、1915年から1925年にかけて全四十冊が刊行され、台本約600種を収録する。

以上の岳飛故事の折子戯について、各目録の収録状況、現存テキスト、また各種伝奇および散齣集『綴白裘』の収録状況、小説『説岳全伝』の該当回などをまとめたのが、次ページの表である。

雄州関16
折子戯題目別称春台班戯目慶昇平班戯目雑劇・伝奇綴白裘内府車王府俗文学叢刊戯考京劇劇目辞典説岳全伝
槍挑小梁王12-13
潞安州15-16
両狼関17
泥馬渡康王19-20
交印如是観8倒精忠
岳母刺字奪秋魁、如是観9倒精忠22
愛華山25-28
棲梧山35-36
挑華車牛頭山39
岳家荘40
牛頭山牛頭山
錘震金蟬子41-42
娘子軍双烈記43-44
収再興鎮潭州、九竜山47-48
金蘭会48
安営点将洞庭湖、拿楊么梆子腔48-53
牛皐水戦碧雲山、蔵金窟梆子腔51
奪秋魁奪秋魁16-19
五方陣52-53
小商河53
八大錘朱仙鎮55-57
草地如是観24倒精忠
敗金如是観26倒精忠
現銅橋献金橋如是観26倒精忠58-59
請宋霊双請霊
岳侯訓子
秦本精忠記
風波亭59-61
瘋僧掃秦掃秦東窓事犯、精忠記28精忠記70
遊地府71
罵閻羅胡迪罵閻、罵閻73
  • 数字は齣数・回数。
  • 『綴白裘』は、標記されている本戯の名称を掲げた。「梆子腔」は原文ママ。
  • 「崑」は崑曲、「乱」は乱弾であることを示す。

4.岳飛故事戯の特徴

4.1.京腔(崑曲・弋陽腔)の劇目

表で「崑」とあるのは、内府本や『俗文学叢刊』で崑曲に分類されるものである。弋陽腔(高腔)のものは見あたらない。またそれら折子戯の大半が『綴白裘』にも収録されている。『綴白裘』は乾隆年間の蘇州の人である銭徳蒼が編纂・刊行したもので、当時の蘇州梨園の状況を反映していると考えられる。

蘇州織造の李𪹕の「弋陽腔教習葉国楨到蘇州折」(康熙三十二(1693)年)に以下のように見える。

弋陽腔の良い教師を探して、学び終えたものを送ろうと思いましたが、いかんせんどこを探しても良い教師が見当たりません。今、かたじけなくも葉国楨を教導にお使わしいただきましたが、これらの事は我が力では成し遂げられませんでした。「正要尋個弋腔好教習,學成送去,無奈遍處求訪,總再沒有好的。今蒙皇恩特著葉國楨前來教導,此等事都是力量做不來的。」(朱家溍、丁汝芹2007 p.9)

蘇州織造は蘇州の梨園を管轄しており、俳優を養成・選抜して北京の内府に送っていたが、弋陽腔の上演を教えられる人材が見つからず、内府からの派遣を請うている。ここから蘇州では清初の段階で、少なくとも知識層の鑑賞に耐えうる水準の弋陽腔が途絶えていたことがわかる。

従って、北京で行われていた岳飛故事の崑曲折子戯と、『綴白裘』所収折子戯が重なるのは、それらが南北を問わず、崑曲でしばしば演じられるレパートリーであったことを示している。

それらの大半は、清初の『牛頭山』・『如是観』(『倒精忠』)・『奪秋魁』に由来しているが、数は決して多くなく、三国・隋唐・北宋など他の時代の歴史故事において、内府の連台本を含む多種多様な台本が残っていることと好対照である。花部進出以前の北京で岳飛故事戯があまり演じられず、京腔の新作劇が作られなかったかったことを窺わせる。『奪秋魁』永慶堂本は、弋陽腔改編本であるため、北京で上演された可能性があるが、いずれにせよ影響力は大きくなかったことになる。

折子戯で最も多いのが『如是観』に由来するものである。ただし、その後半部分、岳飛が金を破る仮想部分を扱う折子戯は見えない。次いで多いのが『奪秋魁』であるが、洞庭湖の水賊・楊么の征討が中心となっている。

『牛頭山』伝奇については、『俗文学叢刊』が収録する「牛頭山」二齣が残る。岳雲の結婚と岳飛救援を描いており、『古本戯曲叢刊三集』本第十七齣から第十九齣に相当するが、字句のみならず使用されている曲牌も全く異なっている。

『精忠記』を演ずるのは車王府本「掃秦」のみであり、他の「掃秦」は『東窓事犯』雑劇に由来する(後述)。なお、内府本がある「秦本」を、『綴白裘』は『精忠記』とするが、六十種曲本・富春堂本には見えず、清代に付け加えられた齣だと思われる。

4.2.花部・京劇の劇目

京腔に比べて、花部そして京劇の岳飛故事戯は豊富であるが、従来の伝奇を改編したものは少なく、大半が小説『説岳全伝』に基づくもので、『説岳全伝』以前の戯曲等に見えない陸登・陸文竜・狄雷・関鈴などのキャラクター、「潞安州」・「挑華車」・「八大錘」などのエピソードが扱われている。

宋の将軍が武勇を発揮して活躍するが力尽きて破れる、というストーリーの武戯が多いことは注目に値しよう。「潞安州」・「両狼関」・「挑華車」・「小商河」・「八大錘」などが該当し、とりわけ「挑華車」と「小商河」は劇の構成までも酷似している。恐らく、金軍が大敗する場面を描きにくいという、清朝への忖度を反映したものであろう。また、武戯は徽劇以来、花部の一つの特徴であったので、そのレパートリーを増やすために『説岳全伝』に取材した劇が多く作られたものと推測される。

さて、京劇の岳飛故事戯には、字句レベルでも『説岳全伝』との共通が見出せる。以下、いくつかの例を挙げる。

4.2.1.「挑華車」

「挑華車」は、牛頭山の岳飛軍に加わった北宋開国の名将・高懐徳の末裔である高寵が、軍令を破って金軍に単騎攻め込むが、兀朮が両狼関で鹵獲した華車「華車」は鉄の車で、坂の上から転げ落として敵を圧死させる架空の兵器。京劇ではしばしば「滑車」に作る。を使ってこれを討ち取る、という内容で、現在でも非常に上演頻度の高い武戯である。

以下は、劇の前半で対陣した兀朮と岳飛の会話である。

  • 京劇(『戯考大全』本)

    (兀白)你國山東、山西、湖廣、江西,俱歸孤家掌握之中。以孤相勸。馬前歸順。得了宋室天下。與你平分疆土。(生白)以本帥相勸。早早獻出二帝。兩國罷兵。以免生靈途炭。(兀白)想你二帝。在我國青衣侍酒。俺家狼主。好不洒落人也。(生白)一派胡言。放馬過來。

    • 『説岳全伝』第40回

      只見金陣內旗門開處,兀朮出馬,叫聲:“岳飛,如今天下山東、山西、湖廣、江西皆屬某家所管;爾君臣兵不滿十余萬,今被某家困住此山,量爾糧草不足,如爸中之魚。何不將康王獻出,歸順某家,不失封王之位。你意下如何?”岳元帥大喝道:“兀朮,你等不識人倫:囚天子于沙漠,追吾主于湖廣。本帥兵雖少而將勇,若不殺盡爾等,誓不回師。”

会話の流ればかりか、山東・山西・湖広・江西という地名を挙げる順序も完全に一致している。

4.2.2.「鎮潭州」

次に「鎮潭州」の例を挙げる。楊幺麾下の将軍で楊家将の末裔である楊再興と岳飛との会話になる。

  • 京劇(『戯考大全』本)

    來者敢是楊將軍。別來無恙。(武生白)俺與你夙昧生平。何言別來撫恙。(生白)你我在汴梁小校場一別。直到如今。難道將軍。就忘懷了。(武生白)你敢麼就是在汴梁小校揚。鎗挑小梁王的岳飛麼。(生白)然。(武生白)岳元帥。你看今日。當今懦弱。奸臣專權。殘害忠良。以俺相勸。你我合兵一處。反上臨安。得了宋室天下。我與你平分疆土。(生冷笑介)你意如何。(生白)楊將軍。此言差矣。想你楊家。歷代忠良。世受國恩。將軍為何違背祖訓。落草為寇。以本帥相勸。棄暗投明。歸順吾主。少不得封侯之位。

    • 『説岳全伝』第47回

      岳元帥拍馬上前道:“楊將軍,別來無恙?”楊再興聽了,便道:"岳飛,休得扯謊!我和你在何處會過,今日在此講這鬼話?”岳爺道:“將軍難道忘記了麼?曾在汴京小校場中,與將軍會過一次!”楊再興想了一想道:"嚇!你可就是那槍挑小梁王的岳飛麼?”元帥道:”然也!我有一言奉告:將軍乃將門之后,武藝超群,為何失身于綠林?豈不有站祖宗,萬年遺臭!況將軍負此文武全才,何不歸順朝廷,與國家出力,掃平金虜,迎還二聖?那時名垂竹帛,豈不美哉?”

挨拶の言葉、かつて武科挙を共に受験していたことへの言及、楊再興への帰順の働き掛けという流れは同じであり、下線部の表現が一致している。

4.2.3. 「八大錘」

「八大錘」は、陸登の遺児で兀朮に養育された陸文竜を、岳飛配下の岳雲ら四人の双錘を使う将軍が車輪戦で迎え撃つという内容である。陸文竜を演ずる武生の腿功戯で、現在でもしばしば上演される。以下は、車輪大戦の後、片腕を切り落として金軍に身を投じた王佐が、陸文竜の帰順を促すために楊家将故事を語る場面である。

  • 京劇(『戯考大全』本)

    (佐)哦.愛忠的.現有一部忠心義胆的書.名為驊騮思鄉.(小生)哦.名為驊騮思鄉.苦人兒你慢慢的講來(佐)遵命。(嗽介拍案)就講我朝大宋皇帝駕前.有一家忠良.(小生)忠良是誰。(佐)姓楊名延昭。(小生云)哦.楊延昭。(佐)麾下有一偏將。(小生)偏將是誰。(佐)名喚孟佩蒼。(小生)哦。叫作孟佩蒼。(佐 )此人能說六國番語。其時蕭邦。欲奪宋室社稷。被楊元帥。殺得他落花流水。那蕭后勾通我朝一個奸臣.(小生)奸佞是誰。(佐)名叫王欽若。(小生)哦。王欽若。後來怎樣。(佐)他就暗害楊家。讒奏宋主。說道蕭邦有騎賓馬。眼如日月。四蹄生焰。逼體白毛。此馬日行千里。夜行八伯。名為日月霄霜馬。宋主爺命楊延昭去到番邦貢馬。此就是王欽若陷害忠良之奸謀。那延昭回歸帳中。悶悶不悅。(小生)乳娘。實在好聽。(老旦)好聽吓。(佐)其時孟良在傍。問起情由。討下將令。前往番邦。這一日兩兩日三。他竟混入番邦。況且無人知其是宋朝人物。後來一日三三日九。竟被他將那寶馬盜回中原。(小生)哦。這孟良竟是將馬盜回來了。(佐)是吓。(小生)哈哈哈。好的。真乃是員虎將。往下講。(佐)那楊延昭得了此馬。申奏天子。天子大喜。不料那馬到了宋朝。七日七夜不吃草料。望着北番。大叫三聲。竟是餓死了。(小生)這却為何。(佐)那畜生也有思鄉之心吓。(小生)哦。這畜生尙有思郷之意。咳。乳娘。何況人乎。(佐老旦仝)是吓。(佐)為人若沒思鄉之念。真不如畜類也。

    • 『説岳全伝』第55回

      王佐道:“我再講一個‘驊騮向北’的故事罷。”陸文龍道:“怎叫做‘驊騮向北’?”王佐道:“這個故事卻不遠。就是這宋朝第二代君王,是太祖高皇帝之弟太宗之子真宗皇帝在位之時,朝中出了一個奸臣,名字叫做王欽若。其時有那楊家將俱是一門忠義之人,故此王欽若每每要害他。便哄騙真宗出獵打圍,在駕前謊奏:‘中國坐騎,俱是平常劣馬;惟有蕭邦天慶梁王坐的一匹寶駒,名為“日月驌驦馬”,方是名馬。只消主公傳一道旨意下去,命楊元帥前去要此寶馬來乘坐。'”陸文龍道:“那楊元帥他怎么要得他的來?“王佐道:“那楊景守在雍州關上,他手下有一員勇將,名叫孟良。他本是殺人放火為生的主兒,被楊元帥收伏在麾下。那孟良能說六國三川的番話,就扮做外國人,竟往蕭邦,也虧他千方百計把那匹馬騙回本國。”陸文龍道:“這個人好本事!”王佐道:“那匹‘驌驦馬’送至京都,果然好馬。只是一件:那馬向北而嘶,一些草料也不肯吃,餓了七日,竟自死了。”陸文龍道:“好匹義馬!”王佐道:“這就是‘驊騮向北’的故事。”

ここも、王佐の語る内容はほぼ一致している。

以上から、花部・京劇の岳飛故事戯が、小説『説岳全伝』に直接取材して作られていることは明白である。

5.京腔系劇目について

5.1.「刺字」の変遷

岳飛の母が岳飛の背に「精忠報国」と入れ墨するエピソードを扱う「刺字」あるいは「岳母刺字」は、現在の京劇舞台にもしばしば掛かる老旦戯であるが、表から分かるように、『春台班戯目』・『慶昇平班戯目』に見えず、内府本や『俗文学叢刊』に崑曲版が収録されている。ここから、もともと京腔の折子戯として行われており、皮黄腔を用いるようになったのは比較的遅いことが窺える。

伝奇では『奪秋魁』・『如是観』が「刺字」を扱っているが、京腔で演じられたのは『如是観』本である。以下、『奪秋魁』・『如是観』と京腔の「刺字」の套曲を比較してみよう。

5.1.1.套曲比較

  • 『奪秋魁』第四齣「慈母刺背」

    【菊花新】【漁家傲】【剔銀燈】【攤破地錦花】【麻婆子】【紅繡鞋】【六么令】【前腔】【前腔】

    • 『如是観』第九齣

      【引】【引】【粉孩兒】【福馬郎】【紅芍藥】【耍孩兒】【會河陽】【縷縷金】【越恁好】【紅繡鞋】【尾】

      • 『俗文学叢刊』本「刺字(岳飛)」

        【引】【福馬郎】【紅芍薬】【耍孩兒】【越恁好】【紅繡鞋】

        • 『俗文学叢刊』本「刺字」

          【一剪梅】【引】【引】【粉孩兒】【福馬郎】【紅芍藥】【耍孩兒】【越恁好】【縷縷金】【越恁好】【紅繡鞋】【尾】

          • 『故宮珍本叢刊』本「刺字」

            【一剪梅】【引】【引】【粉孩兒】【福馬郎】【紅芍藥】【耍孩兒】【會河陽】【縷縷金】【越恁好】【剔滋幃】【紅繡鞋】【尾聲】

            • 『清宮昇平署檔案集成』「刺字」

              【一剪梅】【引】【引】【粉孩兒】【福馬郎】【紅芍藥】【耍孩兒】【會河陽】【縷縷金】【越恁好】【紅繡鞋】【尾聲】

              • 『清宮昇平署檔案集成』「刺字(総本 另有一本)」(巻末:咸豊二年十月初九日响排八刻五分)

                【一剪梅】【引】【引】【粉孩兒】【福馬郎】【紅芍藥】【耍孩兒】【會河陽】【縷縷金】【越恁好】【紅繡鞋】【尾聲】

このように、清代北京の京腔では、『如是観』の「刺字」が演じられていた。「刺字」は『綴白裘』にも収録されているので、清代中期の崑曲の一般的なレパートリーだったのだろう。花部で「刺字」が演じられていなかったのは、崑曲版の「刺字」が広く行われていたためであると思われる。

5.1.2.京劇の「刺字」

『戯考』第三十二冊に「別母刺背」が収録される。

  • 『戯考』本「別母刺背」

    (老旦上引)而(兩)鬢蒼然。喜的是。子孝孫賢。老身李氏。不幸丈夫。中年裘命。所生一男。一女。吾兒岳飛習文習武。幸中武科狀元。官拜江南游擊。現在宗老元帥營中聽用。只是多日未見書信。回來。到叫老身。常常挂念他。

岳飛が、宗沢の二帝奪還の遺嘱を受けたことをきっかけに帰郷し、岳飛の母の叱咤激励を受けるという流れは、『如是観』と同じである。更に、岳飛の母を李氏とするが、『説岳全伝』は姚氏であり、これも『如是観』と共通する。

以上から、『戯考』本「別母刺背」は、崑曲・京腔で演じられていた『如是観』を、皮黄腔に改めたものであると思われる。現在の京劇で演じられる「岳母刺字」は、1950年代の改編本である。以下は、1953年から1955年にかけて刊行された中華人民共和国成立後初の京劇台本の一大全集である『京劇叢刊』に収録される「岳母刺字」である。

  • 『京劇叢刊』本「岳母刺字」

    岳母:(念引)兩鬢蒼然,願得見,光復江山。

    (念詩) 憶昔洪濤灌湯陰,夫君不幸命捐生;

        有兒報國全忠孝,未負劬勞一片心。

       老身姚氏。世居湯陰,只因當年洪水為災,夫君喪命,我與岳飛孩兒,幸得不死。是我孤燈獨守,將他教養成人;又蒙周侗老師,傳授兵法武藝。且喜他文武兼全,今在宗澤元帥帳下為將,抗金殺敵,屢建奇功,甚得宗老元帥見重。吾兒壯志得酬,好不教人欣喜。正是:

        有兒能報國,教子喜成名!

    (略)

    岳母:我兒此去,必多險阻,如今刀兵四起,心志若不堅如鐵石,焉能為國盡忠,名標青史。為娘風燭殘年,焉能跟兒一世,因此有意在兒背上刺字,使兒永記娘言,這一生一世長懐報國之心,為娘縦死,也含笑九泉了

岳飛の母は『如是観』で李氏だったが、「岳母刺字」では『説岳全伝』と同じ姚氏になっており、岳飛の妻も同様に、張氏から李氏に『説岳全伝』と同じに改められている。『説岳全伝』と似かよった表現も見られる。

  • 『説岳全伝』22回

    安人道:“做娘的見你不受叛賊之聘,甘守清貧,不貪濁富,是極好的了。但恐我死之後,又有那些不肖之徒,前來勾引,倘我兒一時失志,做出些不忠之事,豈不把半世芳名喪于一旦?故我今日祝告天地祖宗,要在你背上刺下‘精忠報國’四字。但愿你做個忠臣,我做娘的死後,那些來來往往的人道:‘好個安人,教子成名,盡忠報國。’豈不流芳百世!我就含笑于九泉矣。”

下線部「含笑九泉」という表現が共通している。一方、冒頭の岳飛の科白に以下のように見える。

不幸元帥為國憂憤,竟自嘔血而死!元帥死後,朝廷派杜充接任,不想此人剛愎自用,不納忠言,是俺有志難酬,中心悒鬱!

岳飛が宋沢の死をきっかけに帰郷しているのは、『如是観』と共通する。『京劇叢刊』本「岳母刺字」に付せられた「前記」に以下のように見える。

京劇の中で、この劇の原本は何種類もあり、ストーリーもさまざまであるが、どれも流行しておらず、内容もなべて粗雑である。今回整理した台本は、基本的に「交印刺字」のストーリーに基づき、あわせて河北梆子と川戯の「岳母刺字」を参考に、改めて改編したものである。……本劇は中国京劇団の俳優・李金泉と、同院編集処の范鈞宏・吳少岳が集団で改編し、あわせて范・吳両同志によって執筆された。「京劇中,這個戲的原本有好幾種,情節並不一樣,但均不流行,內容都很粗糟。這次整理的本子,基本上是根據“交印刺字”的情節,並參考了河北梆子和川戲“岳母刺字”而重新改編的。……本劇由中國京劇團演員李金泉,和本院編輯處范鈞宏、吳少岳集體改編,並由范、吳兩同志執筆寫定的。

「交印刺字」、すなわち『如是観』第八・九齣に基づいて整理されたものであり、人名等の設定は『説岳全伝』に寄せられたものの、場面設定に京腔の影響が残ったのであろう。

以上のように「刺字」は、北京では『如是観』に基づく折子戯が行われており、それを清末民初に皮黄化したのが『戯考』本、更に『説岳全伝』等を参照して整理・改編されたのが『京劇叢刊』本、ということになる。

5.2.「掃秦」

『東窓事犯』雑劇第二齣、『精忠記』伝奇『六十種曲』本第二十八齣「誅心」は、いずれも地蔵の化身である瘋僧が、霊隠寺に詣でた秦檜を揶揄する、という内容を扱っている。明清代の散齣集からは、雑劇と南戯伝奇が同時に行われていた状況が見て取れる。

すなわち、明天啓年間刊の『万壑清音』巻之六『精忠記』「瘋魔化奸」、清の乾隆年間の『綴白裘』第五集『精忠記』「掃秦」、おなじく乾隆年間の『納書楹曲譜』正集巻二『東窓事犯』「掃秦」は、『精忠記』と題しているのは正しくなく、いずれも『東窓事犯』雑劇第二齣である。一方、『群音類選』諸腔巻二『東窓記』「風和尚罵秦檜」は、『精忠記』伝奇第二十八齣となっている。

この齣は、折子戯「掃秦」あるいは「瘋僧掃秦」として、清代の北京でも演じられており、内府本など数種のテキストが現存しているが、明清代の散齣集と同様に、元雑劇系のものと南戯伝奇系のものが混在している。

5.2.1.套曲比較

清代北京で行われた「掃秦」諸本の套曲を、『精忠記』・『東窓事犯』と比較してみよう。『精忠記』系のものとしては、『清蒙古車王府曲本』本の「掃秦」がある。

  • 『精忠記』第二十八齣「誅心」

    【光光乍】【出隊子】【忒忒令】【園林好】【嘉慶子】【尹令】【品令】【豆葉黃】【月上海棠】【五韻美】【六么令】【玉交枝】【江兒水】【川撥棹】

    • 車王府本「掃秦」

      【出隊子】【催拍】【解三醒】〖園林好〗【忒忒令】〖無牌 名〗【嘉慶子】【玉交枝】〖江兒水〗

〖〗で括った曲牌は、原文に標記されていないものを、『精忠記』に基づいて補ったものである。車王府本は曲牌の数がだいぶん減じているが、『精忠記』系であることが了解されよう。

『東窓事犯』雑劇系のものとしては、内府本「掃秦」、『戯考』第十五冊に収録される「瘋僧掃秦」、および『京劇叢刊』本「瘋僧掃秦」がある。参考のために、『綴白裘』本も併記する。

  • 『東窓事犯』第二折

    【粉蝶兒】【醉春風】【迎仙客】【石榴花】【鬭鵪鶉】【紅繡鞋】【十二月】【堯民歌】【滿庭芳】【快活三】【鮑老兒】【耍孩兒】【三煞】【二煞】【收尾】

    • 『綴白裘』

      【出隊子】【粉蝶兒】【醉春風】【迎仙客】【石榴花】【鬭鵪鶉】【紅繡鞋】【十二月】【快活三】【朝天子】【尾】

      • 内府本「掃秦」

        【出隊子】【粉蝶兒】【醉春風】【迎仙客】【石榴花】【鬭鵪鶉】【紅繡鞋】【十二月】【堯民歌】【快活三】【十二月】【堯民歌】【快活三】【朝天子】【尾声】

        • 『戯考』本「瘋僧掃秦」

          【出隊子】【粉蝶兒】【醉春風】【迎仙客】【石榴花】【鬭鵪鶉】【紅繡鞋】【十二月】【堯民歌】【快活三】【朝天子】【煞尾】

          • 『京劇叢刊』本「瘋僧掃秦」

            【出隊子】【粉蝶兒】【醉春風】【迎仙客】【石榴花】【鬭鵪鶉】【紅繡鞋】【十二月】【堯民歌】【快活三】【朝天子】【煞尾】

こちらも、『東窓事犯』雑劇の流れを汲むことが一目瞭然である。

5.2.2.【出隊子】について

『東窓事犯』雑劇系の「掃秦」は、いずれも冒頭に【出隊子】を配するが、これは『東窓事犯』雑劇に見えず、『精忠記』伝奇から移植したものである。以下、『六十種曲』本と『綴白裘』の曲辞を比較する(他本の曲辞も『綴白裘』本と大差ない)。

  • 『六十種曲』本

    【出隊子】三公之位。三公之位。自小登科占上魁。只因前日殺岳飛。使我心中如醉癡。靈隱寺修齋懺悔。

    • 『綴白裘』

      【出隊子】三公之位,自小塋科占大魁。只因前日殺岳飛,使我心中如痴醉。靈嗯寺修齋,特來城海。

多少の異同はあるが、同一の曲であることがわかる。

5.2.3.【粉蝶児】の比較

次に『東窓事犯』に由来する曲牌の曲辞を比較してみよう。

以下は、北中呂宮の套曲の冒頭にあたる「粉蝶児」である。比較の都合上、曲中の夾白・科介は削除した(以下同)。

  • 『東窓事犯』

    【中呂粉蝶兒】休笑我垢面風癡。恁參不透我本心主意。子為世人愚不解禪機。鬅鬙著短頭髮,跨著個破執帶,就裡敢包羅天地。我將這吹火筒卻離了香積。我泄天機故臨凡世。

    • 『綴白裘』

      【粉蝶兒】休笑俺垢面疽痴,恁可也參不透我的本來主意。只為那世人痴不解我的禪機。休笑俺髮蓬鬆。掛著這破織袋,我這裡倒包藏著天地。我拿著這吹火筒恰離了這香積。今日個洩天機故臨來這凡世。

      • 内府本

        【中呂粉蝶兒】休笑我垢面風癡。恁可也參不透。我的本心主意。我笑那世人癡。也不解我的禪機。休笑俺髮蓬鬆。我掛著這破執帶。這裡面倒包包藏著天地。我拿著這吹火筒。恰離了這香積。今日個泄天機故來臨凡世。

        • 『戯考』本

          (唱粉蝶兒)休笑俺垢面瘋痴.恁可也參不透我的本來主意。我笑那世人痴。不解我的禪機。休笑俺髮蓬鬆。掛著這破執帶。我拿著這吹火筒。恰離了這香積。今日個洩天機。故來臨凡世。

          • 『京劇叢刊』本

            (唱“粉蠑兒”)

            休笑俺垢面瘋癡,

            恁可也參不透我的本來主意.

            我笑那秕人癡,

            不解我的禪機。

            我拿著這吹火筒,

            却離了這香積。

            今日個洩天機,

            故來臨凡世。

多少の字句の出入りはあるものの、曲辞の流れは完全に一致し、「主意」・「禅機」・「天地」・「香積」・「凡世」などの句末の韻字部分も一致しているので、明らかに同一の曲である。

5.2.4.【紅繍鞋】の比較

次に【紅繍鞋】を比較してみよう。

  • 『東窓事犯』

    【紅繡鞋】他本是個君子人、則待挾權倚勢。吹一吹、登時交人煙滅灰飛。則為他節外生枝、交人落便宜。為甚不廚中放,常向我手中攜。敢起煙塵傾了社稷。

    • 『綴白裘』

      【紅繡鞋】君子人只怕當權倚勢,俺待說這呵客得他一家兒恰便是湮滅灰飛,恁待要節外生技可也落什麼便宜。我為甚不在恁那廚房中放,常在我這手中持?呵呀火筒兒這其間引狼煙傾了他的社稷。

      • 内府本

        【紅繡鞋】君子人只怕當權倚勢。俺待吹著火。害的他一家兒。恰便似湮滅灰飛。恁待要節外生技。可便落甚麼便宜。我為甚不在恁那廚房中放。常只在我這手中持。這其間引狼煙。傾了他社稷。

        • 『戯考』本

          (唱紅繡鞋)君子人只怕當稽椅勢。俺待說著呵害得他一家兒.恰便似湮滅灰飛。恁待要節外生技。可便落甚麼便宜。我為甚不在恁那廚房中。放常則在我這手中持。這其間引狼煙。傾了他的社稷。

          • 『京劇叢刊』本

            (唱“紅繡鞋”)

            君子人只怕當權倚勢。

            俺待說著呵,

            害得他一家兒恰便似煙滅灰飛。

            恁待要節外生枝,

            可便落甚麼便宜。

            俺為甚不在恁那廚房中放,

            常則在我這手中持?

            啊呀,火筒兒啊,

            這其間引狼煙傾了他的社稷。

こちらも【粉蝶児】と同様、火吹き竹を手に秦檜を揶揄する流れ、「倚勢」・「灰飛」・「便宜」・「社稷」といった句末の語がいずれも一致している。

套曲の構成、曲辞、いずれからも、京腔や京劇の「掃秦」が『東窓事犯』雑劇の流れを汲むことが了解されよう。

5.2.5.継承される『東窓事犯』雑劇本「掃秦」

「掃秦」については、『説岳全伝』も『東窓事犯』・『精忠記』とほぼ同じ内容であるため、元明の雑劇・伝奇をそのまま演じても、他の『説岳全伝』系劇目との齟齬は生じない。これが、『東窓事犯』系「掃秦」が演じ継がれてきた所以であろう。

京劇は京腔で演じられた「掃秦」をそのまま継承しているが、「掃秦」は『春台班戯目』・『慶昇平班戯目』に見えないので、19世紀後半以降、京劇が全盛期を迎える中で、京腔の崑曲を取り込んだものと思われる。

また、前述のように『東窓事犯』雑劇は元刊雑劇『元刊雑劇三十種』本のみが現存しているが、これは日本に伝来したものであり、また明清代の版本が残っていないため、テキストとしての流通は明清代に途絶えていたものと思われるが、実際には梨園で演じ継がれていたことになる。

6.おわりに

6.1.清代北京の岳飛故事戯曲の特色

清代、雍正七(1729)年に教坊司が廃止され、宮中の演劇を所管する和声署とともに、北京市中の劇壇・俳優を所管する管理精忠廟事務衙門が設けられた。この名称は、衙門が精忠廟に置かれたことにちなんでいる。精忠廟は東珠市口の南を南北に走る胡同・東暁市の西側、天壇の北西に位置していたが、1950年代に取り壊されている。その名称からわかるように、岳飛父子を祀る廟であった。同廟には梨園の祖師爺である老郞君を祀る喜神殿(老郞廟)が付設され、後には北京の俳優の組合的組織である梨園公会も置かれており、北京の梨園と岳飛とは密接な関係にあった精忠廟については、楊連啓2012参照。。

それとは裏腹に、京腔(崑曲)の岳飛故事を演ずる劇は、同時代の『綴白裘』に見える崑曲のレパートリーの枠内に概ね収まっており、清代の北京で抗金の英雄たる岳飛故事の人気が高くなかった、あるいは演ずるのに差し障りがあったことを裏付けている。これはまた、岳飛故事が京腔通俗伝奇の題材とならなかったことを意味する。

花部・京劇の岳飛故事は、京劇台本と小説『説岳全伝』との間に字句の一致が多々見られ、明らかに小説に取材して作られている。樊梨花故事が京腔で発展してむしろ小説の形成に影響を与え、京劇で今も小説に見えないエピソードが演じられているのと異なり、岳飛故事を演ずる京腔伝奇がなかったからこそ、小説『説岳全伝』そのままの内容を持つ、花部・京劇の岳飛故事が北京に定着し得たのだと思われる。

だが、花部・京劇の岳飛故事戯には、「潞安州」・「両狼関」・「挑華車」・「小商河」・「八大錘」など、宋将が英雄的活躍をした挙げ句に敗れる武戯が多い。「八大錘」に続く「王佐断臂」など、金が敗北する劇もあるが、決定的敗北には至っていない。『説岳全伝』の末尾、岳飛の遺児・岳雷らが金を打ち破る、いわゆる「岳家小将」部分についても、演じられた形跡がない。現代の京劇舞台では、岳飛の子の岳雷を主人公とする喜劇「櫃中縁」が演じられるが、これは呉素秋が1956年に河北梆子から移植した新編劇である『京劇劇目辞典』p.741参照。。ここから花部・京劇においても、清朝・満洲族への忖度が働いていたものと考えられる。

また、「掃秦」・「刺字」など、崑曲や京腔に定番となる折子戯が存在したものは、花部のレパートリーに入ってこない。これは、雅部・京腔の演目が花部・京劇よりも尊重されていたことを示している。それらは、清末以降、最盛期を迎えた京劇に取り込まれ、「刺字」は皮黄腔版が作られたが、「掃秦」は崑曲をそのまま吸収している。

6.2.京劇レパートリーの重層性

徐珂『清稗類鈔』戯劇類「情節」に以下のように見える。

徽戯の情節はおよそ歴史を重視しているが、残念なことに本当の歴史ではない。…(中略)…また、『綴白裘』の中の崑曲も、いささか改められて今の劇になっているが、意は往事によって人を感動させることにある。…(中略)…これは秦腔の各劇が、家庭に注意して、猥瑣な中に、却って見るものを引きつける妙があるのに及ばない。皮黄は忠と孝に偏重しており、秦腔はそれに輪を掛けているのだろう「徽戲情節,凡所注重者在歷史,而惜非真歷史也。……再以《綴白裘》中之崑戲,稍事變通,亦成今劇,意在以往事動人興感。……轉不如秦腔各劇,注意家庭,猥瑣之中,卻有令觀者入神之妙。蓋皮黄偏重忠孝二義,秦腔則推而廣之。」(p.5029)。

京劇で演じられる劇について、その来歴の差異に着目し、ストーリーの傾向と特性を指摘しているが、岳飛故事の事例と合わせると、それぞれの性格がより明確になる。すなわち、『清稗類鈔』にいう「徽戯」は、岳飛故事の花部戯目所載劇目に相当し、史実からの乖離の大きい英雄伝奇小説『説岳全伝』に基づいている。伝奇・雑劇に由来する「刺字」・「掃秦」などは、『綴白裘』の崑曲とも重なっており、最終的に『清稗類鈔』のいう「今の劇」、すなわち京劇に吸収されている。なお秦腔、すなわち梆子腔については、京劇の岳飛故事に該当する演目が見当たらない。

京劇の形成過程を考えれば、その伝統劇目がかかる重層性を有することは当然であるが、従来、京劇劇目の物語内容に言及する際、このことは必ずしも意識されていなかったと思われる。こうした点に留意しつつ検討することで、京劇の個々の劇目について、その物語内容・演出などの特性がいっそう明確になるだろうし、また小説と戯曲との関係――物語内容の継承関係や、受容の観点から見た相補性など――を具体的に解明することが可能になると思われる。

参考文献一覧

伝統文献、台本、劇目

  • 『湖海新聞夷堅続志』元・闕名撰、中華書局、1986
  • 『東窓事犯』元・孔文卿撰、『元刊雑劇三十種』(鄭騫点校、世界書局、1962)所収本
  • 『精忠記』明・闕名撰
    • 『六十種曲』(開明書局、1935)所収本
    • 『古本戯曲叢刊初集』所収明富春堂刊本
  • 『牛頭山』清・李玉撰、『李玉戯曲集』(陳古虞・陳多・馬聖貴点校、上海古籍出版社、2004)所収排印本
  • 『奪秋魁』清・朱佐朝撰
    • 『古本戯曲叢刊三集』所収雍正年間平妖堂抄本
    • 『岳飛故事戯曲説唱集』所収清初永慶堂抄弋陽腔改編本
    • 天理図書館蔵清抄本
  • 『如是観』清・張大復撰、『古本戯曲叢刊三集』所収康熙五十三年抄本
  • 『新定十二律京腔譜』清・王正祥撰、『善本戯曲叢刊』所収康熙二十三年序停雲室刊本
  • 『萬壑清音』明・止雲居士輯,『善本戯曲叢刊』所収日本京都大學人文科學研究所藏鈔本
  • 『彙編校註綴白裘』清・銭徳蒼輯、黃婉磯編註、臺灣學生書局、 2017
  • 『納書楹曲譜』清・葉堂撰、『善本戯曲叢刊』所収乾隆五十七年長洲葉氏納書楹刊本
  • 『欽定台規』清・延煦撰、ハーバード燕京研究所所蔵光緖刊本
  • 『俗文学叢刊』中央研究院歴史言語研究所・新文豊出版股份有限公司、2001-2016
  • 『故宮珍本叢刊』故宮博物院編、海南出版社、2001
  • 『中国国家図書館蔵清宮昇平署檔案集成』中華書局、2011
  • 『説岳全伝』清・銭彩撰
    • 『古本小説集成』所収大連図書館蔵錦春堂刊本
    • 鍾平標点、上海古籍出版社、2000
  • 『清稗類鈔』徐珂撰、中華書局、2010
  • 『清蒙古車王府曲本』北京古籍出版社、1991
  • 『戯考大全』上海書店、1990(拠『戯考』1915-1920影印)
  • 『京劇叢刊』(合訂本)中国戯曲研究院、新文芸出版社、1955
  • 『京劇劇目辞典』曾白融主編、中国戯劇出版社、1989

近人論著

  • 黄仕忠 2010 《日藏中國戲曲文獻粽錄》廣西師範大學出版社
  • 金登才 2014 《清代花部戏研究》中华书局
  • 陸萼庭 2002 《崑劇演出史稿(修訂本)》國家出版社
  • 羅旭舟 2016 《朱佐朝戏曲考论》、扬州广陵书社
  • 顔長珂 2013 《纵横谈戏录》、文化艺术出版社
  • 楊連啓 2012 《精忠庙带戏档考略》、中国戏剧出版社
  • 周明泰 1932 《道咸以來梨園繫年小錄》、商務印書館
  • 朱家溍、丁汝芹 2007 《清代内廷演剧始末考》、中国书店出版社
  • 千田大介 1997 「岳飛故事の変遷をめぐって~鎮魂物語から英雄物語へ~」、『中國文學研究』第二十三期
    • 2019 「北京皮影戯西唐故事考――「大罵城」と『三皇宝剣』伝奇を軸に――」、『中国都市芸能研究』第17輯
    • 2020 「粉戯と陣前招親――西唐故事の形成と展開をめぐる仮説――」、『中国都市芸能研究』第18輯
    • 2021 「旧西唐故事初探」、『中国都市芸能研究』第19輯
    • 2022 「薛家将征西故事小説変遷考」、『中国都市芸能研究』第20輯
  • 上田望 2000 「講史小説と歴史書(4):英雄物語から歴史演義ヘ」、『金沢大学中国語学中国文学教室紀要』第4輯

※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和2~5年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)による成果の一部である。