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- 『都市芸研』第二十二輯/台湾皮影戯『崔文瑞』と海陸豊地区の『張四姐下凡』 へ行く。
- 1 (2024-02-17 (土) 21:51:30)
台湾皮影戯『崔文瑞』と海陸豊地区の『張四姐下凡』†
一、はじめに†
筆者はここ数年、台湾の伝統的影絵人形劇――台湾皮影戯について、その歴史や特徴について検討を行ってきた。そして台湾皮影戯は、広東省潮州(潮汕地区・海陸豊地区)に分布し、一定の音楽・歌詞・物語を共有する、正字戯・白字戯・潮劇・陸豊皮影戯といった演劇群と共通の祖先を持ち、台湾に伝来したあと独自の展開を遂げたものであることを明らかにしてきた。またその中で、正字戯と白字戯が合流し潮劇を形成した潮汕地区よりも、両者が分化したままの海陸豊地区の方に類似点があることも指摘した(山下一夫2016、山下一夫2017、山下一夫2018、山下一夫2019、山下一夫2021、山下一夫2022-1、山下一夫2022-2)。しかしこの問題をさらに検討し、具体的な様相を解明するには、海陸豊地区の演劇群の演目と台湾皮影戯の演目の比較作業をもう少し進めていく必要がある。
そこで本稿では、海陸豊地区に相似形となる演目が存在する台湾皮影戯『崔文瑞』を取り上げ、両者を比較検討することで、潮州演劇の中での台湾皮影戯の位相をより詳しく分析していきたい。
二、台湾皮影戯『崔文瑞』†
台湾皮影戯『崔文瑞』は、現在すでに上演は行われなくなっているが、管見の及んだ限りでは以下の抄本や活字本が存在する。
- ①『崔文瑞』高雄歴史博物館皮影戯館所蔵抄本
- ②『崔文瑞』高雄歴史博物館皮影戯館所蔵蔡竜渓抄本(石光生2000:281)
- ③『崔文瑞』石光生点校本(高雄歴史博物館皮影戯館所蔵蔡竜渓抄本に基づく活字本、石光生2000:62-91)
- ④『崔文瑞』クリストファー・シッペール所蔵抄本AS.ML.I-1-070(施博爾1981:63)
- ⑤『崔文瑞』クリストファー・シッペール所蔵抄本AS.ML.I-1-071(施博爾1981:63)
- ⑥『崔文瑞』クリストファー・シッペール所蔵抄本(残本)AS.ML.I-1-072(施博爾1981:63)
- ⑦『崔文瑞全本』東華皮影劇団所蔵張徳成1969年11月22日抄本(李婉淳2013:331)
- ⑧『崔文瑞全本』東華皮影劇団所蔵旧抄本(李婉淳2013:332)
台湾皮影戯は大きく分けて、高雄市弥陀区の海岸地域のグループと、高雄市大社区の山間部地域のグループがあり、両者で音楽や演目に相違が存在することもあるが、①~⑥は前者、⑦~⑧は後者に属するため、『崔文瑞』は両方のグループで行われている演目であることが分かる。
比較的内容が揃っている①を元に内容を纏めると、おおむね次の通りとなる(括弧内は齣題)。
宋代のこと。秀才の崔文瑞は家が貧しく、対聯を売ってお金を稼ぎ、親を養っていた(崔文瑞登台)。崔文瑞の親孝行ぶりを見た玉皇上帝は張四姐を下界に遣わす(四姐下凡)。街まで対聯を売りに来た崔文瑞は張四姐に求婚され、妖怪だと思い一度は逃げ出すものの、結局家に連れて帰って母親に結婚の可否を尋ねることにする(崔文瑞売詩対)。崔文瑞は母親に張四姐との結婚を許される(回家見母)。王欽が崔文瑞のもとを訪ねると、崔文瑞は張四姐が持ってきた揺銭樹から落ちてくるお金で大金持ちになっていた(王欽出遊)。王欽は張四姐の美しさを見て、崔文瑞を宴に呼び出して罠にかける計画を立てる(王欽設計)。崔文瑞は王欽に招待されたことを張四姐に告げる(文瑞被禍)。王欽は宴の席で崔文瑞を泥棒だと言う(請酒中計)。王欽の訴えを受けて知府の張英が崔文瑞を裁判にかける(勘問文瑞)。崔文瑞が捕まったと聞き、張四姐は助けに行くことを決める(四姐聞報)。その頃、崔文瑞は獄吏から残虐な拷問を受けていた(拷打文瑞)。張四姐が雲に乗って監獄に押し入り、牢屋を壊して崔文瑞を助け出す(四姐救瑞)。獄吏は張英に張四姐が崔文瑞を攫っていったと訴える(禁止回監)。張四姐が王欽を殺す(王欽被殺)。張四姐は崔文瑞に、知府の張英が自分たちを捕らえに来ると告げる(報知文瑞)。張英は張四姐を捕らえにやって来るが、張四姐に返り討ちにされる(張英被迷)。張英が包公に張四姐を捕らえるよう訴え出る(張英見包)。包公は朝廷に張四姐を捕らえるよう奏上する(包公上奏)。朝廷の命を受けて楊文広が出陣する(楊文広出陣)。楊文広は張四姐と戦うが、張四姐の瓢箪の中に吸い込まれてしまう(四姐聞報)。続いて楊文広の娘の楊蘭花が張四姐を捕らえにやって来るが、張四姐の綑仙索に捕まってしまう(蘭花出陣)。張四姐は楊文広と楊蘭花を引き合わせ、楊蘭花を崔文瑞に嫁がせるよう言う(父子相会)。包公は収妖宝剣と照妖玉鏡で張四姐を捕らえようとするが失敗する(回報文拯)。包公は魂を天界に飛ばして玉帝に上奏し、張四姐が下界に降りた七夕皇姑だと知る(文拯上天庭)。斉天大聖が張四姐の討伐に来るが、戦った末に負ける(斉天下凡)。張四姐の六人の姉妹がやって来て、天界に戻るよう張四姐を説得する(四姐下凡)。張四姐は天界に戻る時が来たと言い、崔文瑞に別れを告げる(夫妻分別)。崔文瑞は張四姐からもらった揺銭樹・瑠璃杯・穿天帽・入地鞋を献上して状元を賜る(進宝受封)。崔文瑞は楊蘭花を娶る(高中回家)。
三、弋陽腔『天縁記』†
台湾皮影戯『崔文瑞』の張四姐故事の元は伝奇『天縁記』である。『曲海総目提要』巻四十「天縁記」に次のようにある(董康1959:1859-1860)*1。
『擺花張四姐思凡』とも称する。鼓詞がもとで、内容は荒唐無稽であるが、人物や兵馬、旗・矛・鎧などの武具、戦いの場面の立ち回りの様子は目を見張るものがあり、起伏に富む内容は見るに値する。段成式の「諾皋記」に言う*2、「天翁は、姓を張、名を堅、字を刺渴といい、漁陽の人である。」これによれば、天女の姓が張だというのは、理由がないわけではないことになる。劇のあらすじは次の通りである。「張四姐は玉皇の娘で、王母が生んだ。(この王母が西王母を指すのなら、天宮にいるはずはない。ここは玉皇と対で王母と称しているだけである。)姉妹は全部で7人で、斗牛宮に住んでいる。宋の仁宗の時、開封に崔文瑞というものがいた。家は貧しく、母を養いながら壊れた廟に住んでいた。張四姐が崔文瑞と仙縁があるため、これに嫁いだ。崔文瑞は一夜にして大金持ちとなり、数え切れないほどの金銀財宝を手にした。富豪の王員外が崔文瑞を泥棒だと誣告し、張指揮使に賄賂を贈って崔文瑞に残虐な拷問を加えさせたが、張四姐が監獄に押し入って崔文瑞を救い出し、囚人をすべて逃がした上で、王員外を殺した。指揮使が朝廷に奏上し、張四姐を捕らえるため包拯を派遣してもらったが、逆に捕まってしまった。釈放されたあと再び奏上して、今度は楊家将に討伐してもらうことにした。(ここで『楊家将演義』を使っている。)楊文広と呼延慶が出陣したが、攝魂瓶の中に吸い込まれてしまった。そこでさらに楊家女将の
木 桂英・李三娘・査査公主・藍峰小姐・賽花小姐に出陣させた。5人は風を喚び霧に乗り、嵐を呼び起こす神通力を駆使して戦ったが、やはり攝魂瓶の中に吸い込まれてしまった。包拯が地獄や仏国を見て回ったが、張四姐の正体を突き止めることができなかった。そこで南天門に行って老君に会い、その紹介で玉皇に奏上して斗牛宮を調べさせたところ、張四姐が下界に降りて3日になることが分かった。そこで張四姐を天宮に連れ戻すため火竜・哪吒・斉天大聖の3天将が討伐に赴いたが、戦った末に負けてしまった。そのため王母に直訴し、のこりの6人の姉妹を説得した上に玉皇にも謁見し、張四姐を天界に戻してもらうことにした。崔文瑞とその母も一緒に天界に昇り、いずれも仙人となった。張四姐は天上の3つの宝を盗んだ。1つを鑽天帽と言い、これを被ると三十三天を自由に往来できるようになる。1つを入地鞋と言い、これを履くと十八層地府を自由に出入りできるようになる。1つを攝魂瓶と言い、これを使うと天神や天将もみな吸い込むことができる。」内容は『西游記』や『封神演義』から多くを真似ており、どの幕でも軍装の仙女が登場するのは他の劇に見られないことである。(作中では張四姐を織女としており、荒唐無稽も甚だしいが、しかし『太平広記』には次のようにある*3。「唐の郭翰が夜に庭で横になっていると、空から鳳の冠を被り美しい靴を履いた人が降りてきて、『私は天上の織女です。あなたの高潔な人柄に惹かれ、契りを交わしたく思います』と言い、その後2人は1年の間ともに暮らした。」劇はこれを元にしているのだろう。また『太平広記』にはこうもある*4。「韋安道が后土夫人に出会って契りを結んだ。則天武后は后土夫人を妖怪だと思い、正諫大夫の明崇儼に命じ太乙符籙で退治させようとしたが、うまくいかなかった。そこで壇醮の籙によって八極厚地・山川河瀆・丘墟水木を司る鬼神に命じて退治させようとしたが、うまくいかなかった。さらに地上と天上の八極の神に命じて退治しようとしたが、やはりうまくいかなかった。そこで明崇儼が自ら退治に赴いたが、急に何物かに攻撃されたようになって倒れ、自分が悪かったと言って命乞いをした。その後后土夫人は、韋安道と一緒に朝廷まで拝謁にやって来た。后土夫人は法に則った服を着ており、高殿に住み、容貌は普通の人間と異なっていた。皆が煌びやかな冠を被り、長剣を帯び、赤紫の服を身にまとっていた。」『天縁記』に出てくる、張氏の神通力や、包拯が見て回っても正体が分からなかったこと、天の神が戦っても勝てなかったことの描写は、これとよく似ている。)
『天縁記』は、台湾皮影戯『崔文瑞』にあった羽衣説話の要素がなくなっているほか、細部が幾つか異なっているが、大筋は一致している。『天縁記』のテキストは現存しておらず、また作者や成立年代も不明である*5。明・程万里選、明・朱鼎臣集の散齣集『大明春』(『鼎鍥徽池雅調南北官腔楽府点板曲響大明春』六巻、尊経閣文庫蔵明福建金氏刊本)の巻二上段に、『天縁記・曠野奇逢』と題する一齣が収録されており(王秋桂1984:52-62)、男女の出会いの場面を描いていて、これが張四姐故事の『天縁機』冒頭の崔文瑞と張四姐が出会う部分であれば、『天縁記』伝奇の成立年代は明末以前ということになる。しかし一方で、この散齣は登場人物の名前が瑞蓮となっており、同名異作である可能性もあって、確定は難しい。
清・焦循『劇説』巻四に次のような『擺花張四姐』についての記事があり、『曲海総目提要』で『天縁記』の別名としている『擺花張四姐思凡』のことだと思われる*6。
王士禎が朝廷の命で江瀆を祀りに行く際、布政使の熊公が送別の宴席を設け、弋陽腔の『擺花張四姐』が上演された。物語の典拠を尋ねたところ、王士禎はおし黙ってしまった。熊公は人に言った。「王士禎は博覧強記だなどと誰が言ったのだ。今日わしはやり込めてやったぞ。」(千田大介ほか2021:第2冊134-136)
ここで『擺花張四姐』を弋陽腔としていることが重要である。弋陽腔の系統にある川劇高腔には、『張四姐揺銭樹』という清伝奇『天縁記』や台湾皮影戯『崔文瑞』と同じ張四姐故事の演目がある(四川省川剧艺术研究院ほか1999:534-535)。また『揺銭樹』と題する伝奇が現存し(全36齣中15齣のみ残る清抄本と、8齣のみ残る清道光8(1828)年春生堂抄本)、やはり張四姐故事に題材を採っている(李修生1997:646)。同名の演目は、やはり弋陽腔の系統にある饒河高腔と長沙高腔の常演演目の「江湖十八本」の中に見いだされる(白海英2006)。
饒河高腔:『蔵孤出関』『合珍珠』『潘葛思妻』『全十義』『古城会』『定天山』『売金貂』『三元坊』『送衣哭城』『清風亭』『断瓦盆』『白蛇記』『揺銭樹』『下海投文』『瘋僧掃秦』『拷打吉平』『竜鳳剣』『売水記』
長沙高腔:『八義記』『珍珠記』『鸚鵡記』『十義記』『古城会』『定天山』『金貂記』『三元記』『長城記』『清風亭』『烏盆記』『白蛇記』『揺銭樹』『青梅会』『風波亭』『洛陽橋』『竜鳳剣』『売水記』
張四姐故事は弋陽腔諸腔以外でも行われており、京劇『揺銭樹』・河北梆子『端花』・桂劇『四仙姑下凡』(李修生1997:646)・蒲劇『四仙姑下凡』(山西省戏剧研究所ほか1991:344)などの梆子腔・皮黄腔のほか、宝巻『張四姐大鬧東京』(山本範子2004)のような説唱もあり、また先に引いた『曲海総目提要』では鼓詞の存在も示されている。しかし以前言及したように(山下一夫2019:85-89)、台湾皮影戯の常演演目が弋陽腔「江湖十八本」と重なる部分があることを考えると、『崔文瑞』もまた弋陽腔の広東省潮州への伝播によって成立し、台湾に伝来したものと推測される。
四、陸豊皮影戯と海豊白字戯の『張四姐下凡』†
広東省潮州の側の演劇には『張四姐下凡』と題する演目がある。まず、潮汕地区の潮劇に『張四姐下凡』があり、『潮劇劇目匯考』に1930年代の上演内容が記されている(林淳钧ほか1999:中冊848)*7。
宋代のこと。秀才の崔文瑞は家が貧しく、対聯を売ってお金を稼ぎ、親を養っていた。その親孝行ぶりに天が感じ入り、玉帝は仙姑を下界に遣わして、崔文瑞に嫁がせた。崔文瑞の友人の王欽は、張四姐の美しさを見て、崔文瑞を宴に呼び出した上で泥棒だと誣告し、知府の張英に賄賂を贈って崔文瑞に残虐な拷問を加えさせ、獄中に監禁させた。張四姐は腐敗した役人が法を破り民を害するのを見て、雲に乗って監獄に押し入り、牢屋を壊して崔文瑞を助け出し、腐敗した役人を懲らしめた。張英は妖婦が乱を起こしたと奏上したため、帝が大将の楊文広を召し出して討伐に赴かせたが、張四姐は仙法で楊文広を捕らえてしまった。楊蘭花もこれと神通力で戦ったが、やはり負けて捕らえられた。竜図閣学士の包公は陰陽の道理を学んでおり、強い法力を持つ妖婦を自ら視察しに行き、張四姐が下界に降りてきた仙女であることを知って、魂を天界に飛ばし玉帝に上奏した。玉帝は仙縁が満ちたとして、神将や仙女たちに命じ張四姐を天界に帰らせようとした。しかし張四姐と崔文瑞は愛情で結びついており、別れるのが忍びなかったが、ここに至って楊蘭花と崔文瑞に結婚するよう言い、自分は天界に帰った。崔文瑞は張四姐からもらった「瑠璃杯」を献上して状元を賜り、張英と王欽は処罰された。
上記内容を見る限り、伝奇『天縁記』よりも台湾皮影戯『崔文瑞』の内容に近いと言えるが、テキストは未見である。一方、海陸豊地区に関しては、以下2件の演目のテキストを見ることができた*8。
- 海豊白字戯『張四姐下凡』1956年12月17日海豊県民芸白字劇団印
- 陸豊皮影戯『張四姐下凡』残抄本
いずれも台湾皮影戯『崔文瑞』とおおむね同内容で、特に以下の部分は字句がよく似ている。
台湾皮影戯『崔文瑞』†
(生白)子兒往街上,發賣詩對,遇著一位小娘子,苦苦愛共子兒結締,子兒不敢主意,正來問過母親。
(夫白)做年呾,夭有一位小娘子,要共子兒結親?
(生白)正是。
(夫白)誰人為媒?
(生白)無人為媒。
(夫白)乜人主婚?
(生白)無人主婚。
(夫白)亂呾,買賣憑中,嫁娶憑媒,無人為媒,無人主婚,結髮乜親,今在何處?
[日本語訳]†
(生)私が街で対聯を売っていたところ、1人の娘に出会い、私と結婚したいと言ってきたのですが、私だけでは決められず、母上にご意見を伺おうと思いました。
(夫)そのように言うということは、つまりお前は1人の娘と遇い、お前と結婚したい、ということか。
(生)そうです。
(夫)誰が媒酌人をするのだ。
(生)媒酌人はいません。
(夫)誰が取り仕切るのだ。
(生)取り仕切る人はいません。
(夫)でたらめを言うな。商売は仲介人によって行うように、結婚は媒酌人によって行うものだ。媒酌人もおらず、取り仕切る人もいないで、何が結婚だ。(その娘は)今どこにいるのだ。
海豊白字戯『張四姐下凡』†
崔文瑞:(白)告稟母親得知,子兒眠早密街賣詩,遇逢一個娘子,要共子兒結親,母親如何主意?
張氏:(白)唉喂,亞母有著想,想你這高這大,無對親給你。我子豈有人做媒無?
崔文瑞:(白)無人為媒。
張氏:(白)豈有人主婚無?
崔文瑞:(白)無人主婚。
張氏:(白)哼,無人為媒,就好去請。無人主婚,結乜親麼?
崔文瑞:(白)唉,母親,子兒一時之錯,帶著門外了。
[日本語訳]†
崔文瑞:母上に申し上げます。私は朝、街に対聯を売りに行ったところ、1人の娘に出会い、私と結婚したいと言ってきたのですが、母上のご意見はいかがでしょうか。
張氏:おお、お前はこんなに大きくなったのに、伴侶がいないことを、母は心配していたのだ。我が子よ、媒酌人はいるのか。
崔文瑞:媒酌人はいません。
張氏:取り仕切る人はいるのか。
崔文瑞:取り仕切る人はいません。
張氏:ふん、媒酌人がいないなら探せばよい。取り仕切る人がいないで、何が結婚だ。
崔文瑞:ああ、母上、私が間違っていました。(その娘は)門の外まで連れてきています。
陸豊皮影戯『張四姐下凡』†
母白:噯噲,亞瑞我子噲,亞母就一夜睡著有惦記想,想你食到這高這大,想愛個人給你。…(略)…亞瑞噲,娘仔有人主婚無?
生白:母親,無人主婚。
母白:有人媒無?
生白:無人為媒。
母白:愛悽慘噲,無人主婚,無人為媒,去結你骨頭親,文瑞你真真不孝呀。
[日本語訳]†
母:ああ、我が子文瑞よ、お前はこんなに大きくなったのに、伴侶がいないことを、母は夜寝ている間もずっと心配していたのだ。…(略)…文瑞よ、娘と取り仕切る人はいるのか。
生:母上、取り仕切る人はいません。
母:媒酌人はいるのか。
生:媒酌人はいません。
母:なんとひどい話だ、取り仕切る人がいず、媒酌人もいないのに、結婚をしようと言うのか。文瑞、おまえはまったくひどい親不孝者だよ。
なお鄭守治もこの部分を挙げ、次のように述べている(郑守治2010:182)*9。
陸豊皮影戯はおどけた台詞を1つ増やしているが(傍線部)、それ以外の文字は台湾皮影戯とおおむね同じである。
ただし鄭守治は陸豊皮影戯『張四姐下凡』のテキストは挙げず、海豊白字戯『張四姐下凡』のテキストを「陸豊皮影戯のもの」として引用し、これのみを台湾皮影戯『崔文瑞』と比べている。「傍線部」と言っているのも、海豊白字戯『張四姐下凡』のテキストの「唉喂,亞母有著想,想你這高這大,無對親給你。(おお、お前はこんなに大きくなったのに、伴侶がいないことを、母は心配していたのだ。)」の部分である。陸豊皮影戯でも海豊白字戯のテキストを上演できるからということかも知れないが、資料自体に「海豊県民芸白字劇団印」と書かれている以上、これを陸豊皮影戯のものとみなすことはできないだろう。なお海豊県民芸白字劇団は、1950年に葉本南や卓孝智が中心となって組織された人戯の白字戯の劇団で、後の海豊県白字戯劇団の前身である(中国戏曲志编辑委员会ほか1993:385-386)。
また鄭守治の口ぶりでは、他の部分も文字が共通しているかのように取れるが、プロットは似通っているものの、文字の共通は少ない。例えば張四姐が登場する場面の唱詞は次の通りである。
台湾皮影戯『崔文瑞』†
旦唱:離了天宮,諸般寶貝藏在身。下凡來締結,偕老稱我心,都是前生只以今世。伊人行孝感動天地,匹配三月完婚期,奉命依舊返歸天。
[日本語訳]†
(旦唱う)天宮を離れたが、さまざまな宝は身につけて持っている。下界に降りて私の心にかなう方に嫁ぐのは、前世が今生に報いるから。あの方は親孝行で天を感じ入らせたので、三月の間だけ連れ添って結婚を終わらせ、その後は命を受けて元通り天に戻る。
海豊白字戯『張四姐下凡』†
張四姐:(唱)離了蓬萊下凡,引惹天仙下凡來。今日下凡來締結,霎時相會密街中。
[日本語訳]†
(張四姐唱う)蓬萊を離れて下界に降り、天仙が招かれて下界にやって来た。今日下界であの方に嫁ぐ、もうすぐ街の中で出会うはず。
陸豊皮影戯『張四姐下凡』†
張曲:(唱)離了蓬萊下凡,天仙感動行孝人。今日下凡來持結,妾身相會木街中。
[日本語訳]†
(張唱う)蓬萊を離れて下界に降り、天仙は親孝行者に感じ入る。今日下界であの方に嫁ぐ、私は街の中で出会うはず。
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一見して分かるように、海豊白字戯『張四姐下凡』と陸豊皮影戯『張四姐下凡』は文字の共通が多い上に、各句の字数も同じであるのに対し、台湾皮影戯『崔文瑞』は一部文字が共通してはいるものの、各句の字数が異なっていて、曲牌自体が異なる可能性がある。
とはいえ、海豊白字戯『張四姐下凡』と陸豊皮影戯『張四姐下凡』は、台湾皮影戯『崔文瑞』と比べた場合には似ているということができても、両者の間にはかなりの相違がある。例として崔文瑞と張四姐が出会う場面を比較すると次の通りとなる。
台湾皮影戯『崔文瑞』†
生白:今那是天上呂洞賓來趕我,亦袂著子。
旦白:呂洞賓未到,何仙姑來了。
生白:呀,小娘子,我看許大路人馬儕儕,被人看見不便,我正從小路而來,娘子爾做乜向快就來?
旦白:君子爾識古人呾?
生白:古人做年呾?
旦白:有緣千里來相見。
[日本語訳]†
生:これで天上の呂洞賓であっても、私に追いつくことはできないだろう。
旦:呂洞賓が来る前に、何仙姑がやって来ましたよ。
生:やや、娘さん、あの大通りは人や馬がたくさんいるので、人に見られるとまずいと思い、小道からやって来たのに、お前はどうしてそんなにはやく来れたのだ。
旦:貴方は昔の人がこう言ってるのをご存じないのでしょうか。
生:昔の人はどのように言っているのだ。
旦:縁があれば千里の先からでも会いに来る、と言っています。
海豊白字戯『張四姐下凡』†
崔文瑞:(白)呂洞賓都趕我不著。
張四姐:(白)許呂洞賓都無,何仙姑就有個著此。
崔文瑞:(白)呵呵,妖怪,妖怪。
張四姐:(白)君子,我是人。
崔文瑞:(白)是人,我不信你。
…(略)…
張四姐:(白)君子噲,既然不信,人呾:“人行路有影,妖怪行路無影”,我行兩步給你看。
崔文瑞:(白)要行,行到向堤畔去,勿行到小生面頭前。
張四姐:(白)君子噲,今有影無?
崔文瑞:(白)有影亦唔相信你。
[日本語訳]†
崔文瑞:これで呂洞賓であっても、私に追いつくことはできないだろう。
張四姐:かの呂洞賓はおりませんが、何仙姑ならここにいますよ。
崔文瑞:やや、妖怪め、妖怪め。
張四姐:貴方、私は人間ですよ。
崔文瑞:人間だと、お前のことは信じないぞ。
…(略)…
張四姐:貴方、信じないと言うのなら、人間が歩くと影ができますが、妖怪が歩くと影はできない、と申します。私が2歩歩いてごらんに入れましょう。
崔文瑞:歩くと言うなら、あの堤の畔まで行ってくれ、私の前まで歩いて来るな。
張四姐:貴方、いま影はあるかしら。
崔文瑞:影があってもお前のことは信じない。
陸豊皮影戯『張四姐下凡』†
生白:夭頂個呂洞賓仙無趕我著。
旦白:呂洞賓仙是無,何仙姑有個在這。
生白:你是鬼。
旦白:我是人。
生白:你四人阮這棚搭外人。
旦白:你不信,人行路有影,鬼行路無影,待我行二步給你看,君子噲,有影無影?
生白:有影無影我都不信,俺平平是紙影。
[日本語訳]†
生:さすがの呂洞賓であっても、私に追いつくことはできないだろう。
旦:呂洞賓はおりませんが、何仙姑ならここにいますよ。
生:お前は幽霊だ。
旦:私は人間です。
生:お前たち4人は、私のこの戯棚に別の人を出すのだろう。
旦:信じないと言うのなら、人間が歩くと影ができますが、妖怪が歩くと影はできません。私が2歩歩いてごらんに入れましょう。貴方、影はありますか、それとも影はありませんか。
生:影があっても影がなくても、私は信じない。私は良くも悪くも影絵だ。
海豊白字戯『張四姐下凡』と陸豊皮影戯『張四姐下凡』は、両方とも「人行路有影,妖怪[鬼]行路無影(人間が歩くと影ができますが、妖怪が歩くと影はできません)」というフレーズを使っており、またどちらにも現れる「有影」という表現は、「影がある」という意味のほか、閩南語で「本当である」という意味があり、両者を重ねることで面白みを出している。しかし台湾皮影戯『崔文瑞』はどちらも無く、内容が大きく異なっている。
ただ一方で、陸豊皮影戯『張四姐下凡』は、海豊白字戯『張四姐下凡』にない表現がある。まず、「有影」の影という字から、「紙影(影絵)」という表現を引きだしており、また「平平(良くも悪くも)」という表現を、平面の影絵人形の意味に重ねている。すなわち、陸豊皮影戯『張四姐下凡』はここで、影絵人形劇であることに絡めたメタな台詞を展開しているのである。ここから陸豊皮影戯『張四姐下凡』は、ある段階から人形劇に特化した内容を発展させ、海豊白字戯『張四姐下凡』と異なる台詞を作り上げていったことが推測される。
五、おわりに†
前稿で述べたように、台湾皮影戯や広東省潮州の正字戯・白字戯・潮劇・陸豊皮影戯には、説唱である潮州歌冊に由来する演目が一定数存在する(山下一夫2022-2:63)。しかし潮州歌冊に張四姐故事を演じるものは見当たらないため、台湾皮影戯『崔文瑞』・潮劇『張四姐下凡』・海豊白字戯『張四姐下凡』・陸豊皮影戯『張四姐下凡』は、純粋に弋陽腔に由来する演目ということになるだろう。この問題に関連して、筆者は前稿で次のように述べている。
鄭守治が台湾皮影戯の演目を、「由来」に基づく「正字戯由来の演目」「潮州歌冊由来の演目」と、陸豊皮影戯にもあるかどうかで考える「陸豊皮影戯と共通する演目」に分けたことは、整合性という点で問題があることを先に述べた。ある演目がどの劇種で行われているかは、潮劇の例を見ても「はやり廃り」が関わっており、それは陸豊皮影戯も同様である。もちろん鄭守治もその点は認識した上でこうした分類を行ってはいるのだろうが、そうすると今度は「潮調布袋戯と共通する演目」というカテゴリーも必要になることになる。しかしそう考えると、やはり他劇種との共通という軸を設定するのは好ましくなく、分類の上では「正字戯由来の演目」と「潮州歌冊由来の演目」という軸だけを採用した上で、それ以外にどのような由来を持つ演目が存在しているのかを、同根の白字戯や潮調皮影戯の状況も検討しながら分析するのが、今後台湾皮影戯の成立を考えてゆくのには有効だろう。(山下一夫2022-2:74-75)
台湾皮影戯『崔文瑞』は、内容が陸豊皮影戯『張四姐下凡』と共通してはいるものの、一方で潮劇『張四姐下凡』・海豊白字戯『張四姐下凡』の存在を考えると、上に引用した「正字戯由来の演目」と「陸豊皮影戯と共通する演目」を分けるのは妥当ではないという話はここでも成り立つことになる。そうすると台湾皮影戯『崔文瑞』は、「正字戯由来の演目」と「潮州歌冊由来の演目」の二分法のもとで、潮劇『張四姐下凡』・海豊白字戯『張四姐下凡』・陸豊皮影戯『張四姐下凡』とともに前者に属するもの、とすべきだろう。
また今回の検討によって、(一)陸豊皮影戯『張四姐下凡』は同じ影絵人形劇である台湾皮影戯『崔文瑞』よりも海豊白字戯『張四姐下凡』とテキストが近いこと、(二)陸豊皮影戯『張四姐下凡』は影絵人形劇特有の台詞を発展させているが、台湾皮影戯『崔文瑞』にはそうした要素がないこと、の2点が確認された。ここからは、海豊白字戯と陸豊皮影戯はある段階まで共通の祖先を持っていたのが、後者は人形劇として分化したのに対し、台湾皮影戯はかなり早い段階でこれらから分かれつつも、台本の上では人形劇としての特性を発展させていない可能性が推測される。そしてそれは、広東省潮州から台湾に移民した人々が台湾で人戯を形成できなかったため人形劇で代替したという(山下一夫2018)、前稿で展開した説を補強するものとしても考えることができるだろう。
参考文献†
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- Piet van der Loon, The classical theatre and art song of south Fukien : A study of three Ming anthologies, Taipei : SMC PUBLISHING INC., 1992
※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和2~5年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)による成果の一部である。
*1 其名曰《擺花張四姐思凡》。出於鼓詞,荒唐幻妄,然鋪設人物兵馬、旗幟戈甲、戰鬬擊刺之狀,洞心駴目,可喜可愕,亦有足觀者。段成式〈諾皋記〉云:「天翁,姓張名堅,字刺渴,漁陽人。」然則謂天女姓張,固非無因也。大略云:「張女四姐,玉皇之女,王母所生。(王母若指西王母,則不在天宮。此蓋因玉皇而稱王母耳。)姊妹共七人,居斗牛宮中。宋仁宗時,東京崔文瑞者,貧士也,奉母居破廟中。女與崔有仙緣,故下嫁之。崔一旦巨富,金珠寳貨,不可算數。富人王員外誣崔為盜,張指揮納其賄,酷刑拷崔。女乃入獄救崔出,盡縱獄囚,殺王員外。指揮奏于朝,遣包拯捕女,又為所擒,已而釋還。奏請用楊家將討之。(此又參用《楊家將演義》。)楊文廣、呼延慶與戰,皆為收入攝魂瓶中。復用楊家女將木桂英、李三娘、查查公主、藍峰小姐、賽花小姐五人,皆能駕霧騰雲,飛沙走石,交戰時各顯神通,復盡被收入攝魂瓶。包拯入地府,又往佛國徧察之,皆不得其根底。乃至南天門謁老君,引奏玉皇,查點斗牛宮,始知其下界三日。乃命火龍、哪吒、齊天大聖三天將同往,令取還天宮,及交戰復皆大敗。訴於王母,令其姊妹六仙女共說之,令謁玉皇,復還天上,乃呼崔母及文瑞同昇,俱証仙果。其所盜用天上三寳,一曰鑽天帽,戴之則三十三天任其獨往獨來;一曰入地鞋,履之則十八層地府任其自出自入;一曰攝魂瓶,用之則天神天將皆為所攝。」其說頗仿《西游記》、《封神演義》,各齣皆仙女當場,戎裝武飾,他劇所無也。(按劇指張四姐為織女,雖甚誕妄。然《太平廣記》所載:「唐人郭翰,乘夜臥庭中,空中有人冉冉而下,鳳冠瓊履,曰:吾天上織女也,仰慕淸風,願託神契。如是者凡一年。」劇蓋本此。又:「韋安道遇后土夫人,天后以為魅物,令正諫大夫明崇儼,用太乙符籙法治之,不效。因致壇醮之籙,使徵八極厚地、山川河瀆、丘墟水木,主職鬼神之屬,其數無闕。又徵人世上天累部八極之神,具數無闕,崇儼請自見而索之。忽若為物所擊,奄然斥倒,稱罪請命。其後安道隨與俱去。夫人被法服,居大殿,奇容異人。來朝皆華冠長劍,被朱紫之服。」此記言:張氏靈通,包拯徧察,不能知其根柢,天神與戰,亦皆不勝,鋪敘點染,彷彿近之。)
*2 段成式『酉陽雜俎』巻十四「諾皋記上」(《酉陽雜俎校箋》,北京:中華書局,pp.990-991,2015)
*3 『太平広記』巻六十八「女仙十三・郭翰」(《太平廣記》,北京:中華書局,pp.420-421,1961)
*4 『太平広記』巻二百九十九「神九・韋安道」(《太平廣記》,北京:中華書局,pp.2375-2379,1961)
*5 南戯『朱文』を元に作られた台湾皮影戯『朱文走鬼』には羽衣説話の要素が混入しており(Piet van der Loon1979、Piet van der Loon1992:83-89)、『崔文瑞』はこの演目とも影響関係がある可能性があるが、今回はこの問題については取り上げない。
*6 王阮亭奉命祭江瀆,方伯熊公設宴餞之,弋陽腔演《擺花張四姐》。問所本,阮亭默然。公語人曰:「誰謂王阮亭博雅,今日為我難倒。」
*7 宋时,秀才崔文瑞家境清贫,卖诗奉亲,孝义感动天庭。玉帝命四仙姑临凡,下嫁文瑞。其友王钦见张四姐花容月貌,做东招饮,诬文瑞为盗,贿赂知府张英,酷刑逼罪,监禁狱中。张四姐以赃官非法害民,驾云入狱,毁坏监牢,救出文瑞,惩办贪官。张英上表报奏妖妇作乱,帝召大将杨文广领兵征剿,张四姐用仙法擒捉文广。杨女兰花与之斗法,亦战败被擒。 龙图阁学士包公摄理阴阳,以妖妇法力高强,亲往视察,知张四姐乃仙女下凡,乃魂游天庭,上奏玉帝。帝以仙缘已满,命神将及众神姑召回四姐。张四姐与文瑞情爱缠绵,不忍分离。至是,劝杨兰花与文瑞联婚,自回天府而去。崔文瑞进献四姐所赠“琉璃杯”,赐封状元,并将张英及王钦分别治罪。
*8 いずれも鄭守治氏より提供をいただいた。ここに記して感謝申し上げる。
*9 陆丰皮影多了一句诙谐道白(划横线处),其余文字和台湾皮影的大多相同。