『都市芸研』第二十三輯/台湾皮影戯における『西遊記』 の履歴(No.1)


台湾皮影戯における『西遊記』――台本の形態の問題を中心に

山下 一夫

1.はじめに

中華圏の影絵人形劇――皮影戯では、『西遊記』や『封神演義』に取材した演目や、これらの小説の物語に関係する演目が、どの地域においても行われている。これは皮影戯が、(1)廟会上演を行うため神怪小説などの宗教的な物語と親和性があることや、(2)神仙や妖怪の人形の製作や超自然的な内容の場面に適していることなどが理由だろう。また中国大陸の場合はさらに、孫悟空が天界に反旗を翻す『大鬧天宮』や、哪吒が竜王と戦う『哪吒鬧海』などの演目が、中華人民共和国において「階級闘争を反映している」として称揚されたことも関係している。ただそのために、そうした観点から旧来の演目の内容が修正されたり、伝統的な演目をうたいながら実際には新たに作り直された演目だったり、といった問題もあった。

一方で台湾は、もちろんそうした共産党による改変を経なかったため、旧来の演目がそのまま行われたという側面がある。台本も多く保存されているため、これを分析することによって旧時の歴史的変遷をたどることも一定程度可能である。ただ、戦後の社会構造の変化や経済発展によって、中国大陸とは質の異なる変化も生じており、旧来の演目が行われなくなったり、台湾特有の新編演目の作成も行われたりしていることは注意しなければならない。

本稿はそうした状況を踏まえて、高雄市立歴史博物館皮影戯館に所蔵されている台本を中心に、台湾皮影戯の『西遊記』関連演目について幾つかのグループに分け、内容や書写形態の問題について検討してみたい*1。なお、『封神演義』関連演目については、別稿で取り上げることとする。

2.『劉全進瓜』『陳光蕊』

まずは他劇種にも同名の演目がある『劉全進瓜』と『陳光蕊』を取り上げる。

1)『劉全進瓜』

『劉全進瓜』甲本。復興閣皮影劇団所蔵本の複写*2。全79葉。齣題は次の通りである([]内は抄本での表記、以下同じ)。

劉全登台;廣惠仙下凡;李氏施釵;途中遇和尚;迫妻自刎;翠蓮[連]自刎;張稍[銷]問卜;袁子承;龍王聞[問]報;張稍[銷]被掠出船;龍王見承;回宮接旨;子承指知;進寶被斬;龍王入宮;龍王討命;閻君審判;唐王歸;唐王勒路;父子相會;遊地獄;世民回陽;登殿出榜;尉遲恭車金;劉全別兒;劉全勒路;魏徵上;魏徵奉旨;接旨自縊;閻君登殿;枉[往]死城會;閻君開放;夫妻回陽;玉英賞花;登殿封官;夫妻重逢。

『劉全進瓜』乙本。復興閣皮影劇団所蔵本の複写。封面に「劉全進瓜」とあり、末葉に「中華民國六十七年七月六日抄完 復興閣皮戲負責人自筆 許福能」とある。全31葉。齣題は次の通り。

劉全登台;廣惠仙下凡;李氏施釵;途中遇和尚;迫妻自刎;翠蓮[連]自盡;張稍[銷]問卜;袁子承卜卦;龍王聞報;張稍[銷]被掠出船;龍王見承;回宮接旨;子承指知;進寶被斬;龍王入宮;龍王討命;閻君審判;唐王下陰;唐王勒路;父子相會;遊十八地獄;世民回陽;登殿出榜;尉遲恭車金;劉全別兒;劉全勒路;劉全折榜;魏徵上;魏徵奉旨;接旨自縊;閻君登殿;枉[往]死城會;閻君開放;夫妻回陽;玉英賞花;登殿封官;夫妻重逢。

甲本と乙本は同じ復興閣皮影劇団の所蔵本で、齣題や本文がほぼ一致している上に、齣題の誤字まで共通している。特に張稍が特定の齣題のみ張銷となっていることは、両者に継承関係があることの証左となるだろう。おそらく、古くなった甲本をもとに、復興閣皮影劇団の許福能が清書したのが乙本であろうと思われる。なおクリストファー・シッペールが戦後台湾で収集した台本コレクションには、同名の台本が以下3種挙がっている*3

『劉全進瓜』AS.ML.I-1-034 全64頁 齣題:劉全登台;廣惠仙下凡;李氏施釵;途遇和尚;迫妻自刎;張稍[銷]問卜;袁[哀]子承上;龍王聞[問]報;張稍[銷]被掠;審問張稍;回宮接旨;回宮來罷;子承指知;龍王進寶入宮;龍王入宮;龍王討命;閻君審判;唐王歸陰;魏徵上;登殿出榜;魏徵出榜;劉全勒路;劉全折榜;接旨自刎;枉死城相會。

『劉全進瓜』AS.ML.I-1-035 全59頁 齣題:廣惠下凡;李氏施釵;劉全遇和尚;迫妻身死;張稍[消]問卜;袁[哀]承上;龍王聞報;張稍[消]被掠;審問張稍[消];龍王聞雨;回宮接旨;子承指知;龍神入宮;龍王討命;閻君審判;父子相會;世民回陽;登殿出榜;劉全別子;魏徵出;魏徵奉旨;接旨自刎;閻王開放;夫妻回陽;玉英賞花;登殿封官;夫妻重逢。封面有「光緒元年(1875)端午李」七字;册內有「張利」之小印。

『劉全進瓜』AS.ML.I-1-036 殘78頁 齣題:仙扮[辦]和尚;李氏侍父;和尚募化;劉全遇和尚;劉全迫釵;翠蓮自盡;張稍問卜;張稍被掠;龍王坐帳;子承相事;龍王回宮;袁子承上;唐王坐殿;龍王入宮;君王想冤;閻君審判;唐王歸陰;高祖上;魏玲思主;尉遲恭押庫;劉全思妻;劉全拍榜;劉全候旨;閻君登殿;夫妻相會;閻君放回;玉英賞花;唐王登殿;仝房花燭。粗字本。

AS.ML.I-1-034は齣題が甲本・乙本とよく似ている。特に張稍が特定の齣題のみ張銷となっていることからは、これらとテキストの継承関係が存在する可能性も想定される。AS.ML.I-1-035は永興楽皮影劇団の初代にあたる張利の旧蔵で、光緒年間の古い抄本であるが、やはり齣題がよく似ている。AS.ML.I-1-036は独自の齣題が多いが、全体の筋運びは他の抄本から大きく異なってはいないだろう。いま、甲本・乙本によってあらすじを述べると以下のようになる*4

劉全が妻・李翠蓮の不貞を疑い、自殺に追い込む。竜王が袁子承(袁守誠)との賭けに勝つために降雨の時間を変更するが、そのために罪に問われる。そこで竜王は太宗に処刑役の魏徴を引き留めるよう頼むが、魏徴はうたた寝をしている間に夢の中で竜王を斬首する。竜王は地獄で閻王の裁きを受けるが、その際に閻王が太宗を現世から呼んでわけを聞く。太宗は地獄を見て回り、閻王に後で西瓜を送る約束をする。現世に戻った太宗が、冥府に西瓜を届ける役を募ると、李翠蓮を死なせたことを後悔していた劉全が名乗り出る。劉全が自ら命を絶って地獄に赴き、西瓜を閻王のもとに届け、また李翠蓮と再会する。閻王の計らいで、李翠蓮は太宗の妹・李玉英の身体で生き返り、劉全も現世に戻る。

この台本は、小説の南瓜が西瓜になっているなど、モチーフやプロットで多少の違いはあるものの、おおむね『西遊記』清刪本の第10回から第12回の筋をなぞっている*5。この点は、台湾皮影戯と関連の深い広東省の潮劇の『劉全進瓜』も同様である*6。なお台湾皮影戯と密接な関係にある潮州歌冊には、少なくとも現存の資料を見る限り、この演目をはじめ、『西遊記』関連の演目はない*7

かつて磯部彰は、清代の劉全進瓜の物語を、(1)世徳堂本『西遊記』や清刪本の西遊記系進瓜物語、(2)明・張大復『釣魚船』や内府本『進瓜記』など、呂全進瓜・陶氏借屍還魂の物語が大きな比重を占める、読書人好みの太宗・呂全系進瓜物語、(3)秦腔・宝巻・唱本など、太宗入冥故事が「全くの付け足し」となり、「下層民の声が反映」された李翠蓮系進瓜物語の3種に分け、「地方劇の多くが、秦腔『劉全進瓜』型の内容」であるとしたが*8、ここでいう地方劇の一種であるはずの台湾皮影戯は、(3)ではなく(1)ということになる。

次に、甲本・乙本の中で確認できる曲牌は次の通りである。

【雲飛】、【山坡】、【風入松】、【風入院】、【香柳娘】、【鎖南枝】、【下山虎】、【紅納襖】、【步步嬌】

【雲飛】は南曲の【駐雲飛】、【山坡】は南曲の【山坡羊】の、台湾皮影戯における特徴的な言い方である。これらの曲牌の使用は、上四本などの台湾皮影戯の一般的な文戯の演目とも共通している*9。また台本の形態も、齣題・唱詞・科白などが並び、上四本などの台湾皮影戯の一般的な文戯の形式と同じで、潮州語表現が現れる点も共通している。台湾皮影戯における潮州語表現は様々なものがあるが*10、本論では中でも特徴的な「(言う)」と「做年(どのように)」が、それぞれの台本に現れるかどうかを見ていくこととしたい。まず、図1は甲本、図2は乙本で潮州語の「」が現れる個所である(囲み部分の「古人(昔の人は言った)」)。図3は甲本、図4は乙本で潮州語の「做年」の派生形の「做年樣(どうでしょうか)」が現れる個所である(囲み部分)。

図1 『劉全進瓜』甲本の「呾」
図2 『劉全進瓜』乙本の「呾」
図3 『劉全進瓜』甲本の「做年」
図4 『劉全進瓜』乙本の「做年」

以上からすると、この『劉全進瓜』は、小説『西遊記』に基づいて、上四本と同様の典型的な台湾皮影戯の文戯にしたものといえるだろう。

2)『陳光蕊』

復興閣皮影劇団所蔵本の複写。末葉に「民國六十六年二月二八日抄好」とある。全27葉。齣題は次の通りである。

陳光蕊登台;主考上奏;陳光蕊遊街;陳光蕊赴任;開山上奏;開山升帳;殷開山上奏。

復興閣皮影劇団以外では、東華皮影劇団の張旺が明治36(1903)年に『陳光蕊』の抄本を作成したことも知られている が*11、シッペール・コレクションにこの演目の台本は見えない。内容は次の通りである*12

陳光蕊が母・張氏の薦めで上京して科挙を受験し、状元となる。陳光蕊は殷開山から江州に赴任するよう命じられ、また殷開山の娘の殷温嬌の抛繍球を受けてこれと結婚する。そして殷温嬌と張氏を伴って任地に赴く途中、病気になった張氏に食べさせるために魚を買ったところ、魚が涙を流したので、食べずに川に逃がす。張氏を静養のため故郷に帰らせたあと、陳光蕊は妻の殷温嬌を伴って船で移動する。途中、賊が陳光蕊を殺して川に突き落とし、証書と官印を奪い、陳光蕊の名を騙って任地に赴く。殷温嬌は捕らわれながらも、仇を討つためにわざと従うふりをする。陳光蕊は助けられた魚の正体である竜王によって生き返る。殷温嬌はその後男の子を出産するが、太白金星の薦めで、子どもを証とする血書と装身具と一緒に箱に入れ、川に流す。金山寺の法明という、修行を積んだ僧が川の中から赤ん坊を見つけて連れて帰り、江流と名付けて育てる。18年後、江流児は成長し、出家して玄奘を名乗るが、この時に師匠からいきさつを聞き、はじめて父母の恨みを知る。玄奘は托鉢に行った先で母親と再会し、さらに外祖父の殷開山に会いに行く。途中、乞食に身をやつしていた祖母の張氏と遇い、一緒に上京する。血書を見た殷開山はすぐさま帝に出兵の奏上をし、自ら賊を討つ。仇が討たれたのを見た殷雲嬌は、亡夫を弔うため川辺に行き、水中に身を投じて節に殉じる。しかし殷雲嬌は現世に甦ってきて陳光蕊と再会し、離散していた家族は再び一緒になる。

『西遊記』清刪本の第9回に相当し、ほぼ小説の内容をなぞっている*13。なお潮劇に小説の同じ部分を演じる『陳光塁赴任』と『唐僧出世』があるが、両方とも人物や展開が台湾皮影戯『陳光蕊』とは少しく異なっている。まず潮劇『陳光塁赴任』は以下の通りである*14

唐太宗の時代。江州太守の陳光塁が任地に赴く途中、三江で宿を取ったところ、母の何氏が夜中に急に病気になったため、陳光塁は妻の魏雲嬌を伴って船で移動することにする。船で川を渡る途中、船頭の劉洪が陳光塁を川に突き落とし、無理矢理に魏雲嬌を妻にする。魏雲嬌は懐妊していたため仕方なく従い、劉洪は陳光塁の名を騙って任地に赴く。魏雲嬌は後に男の子を出産するが、劉洪に殺されるのを恐れ、いきさつを記した血書を作って子どもの懐に入れ、また左足の指を一本切断し、下女に命じて箱に入れ川に流させる。これを金山寺の長老の法明が拾い、江流と名付けて育てる。18年後、江流が成長すると法明は血書を見せ、さらに策を講じて母子を再会させる。魏雲嬌は息子に血書を持たせて都にいる父・魏徴に会いに行かせる。江流は乞食に身をやつしていた祖母の何氏と途中で遇い、一緒に上京する。血書を見た魏徴はすぐさま帝に出兵の奏上をし、自ら賊を討つ。仇が討たれたのを見た魏雲嬌は、首を吊って節に殉じ る*15

陳光蕊ではなく「陳光塁」になっているのは、蕊と塁が閩南語で同音のためだが(潮州語でlui2、台湾語でluí)、張氏が何氏になっていたり、雲嬌の父が殷開山ではなく魏徴になっていたりと、小説や台湾皮影戯と異なる部分がある。また潮劇『唐僧出世』*16は以下の通りである*17

唐の貞観年間のこと。状元となった陳光蕊は貴州知府に任じられ、家族を伴って任地に赴く。途中、霧が深くなった所で船頭の劉洪が陳光蕊を殺して川に突き落とし、証書と官印を奪い、陳光蕊の名を騙って任地に赴く。陳光蕊の妻の殷雲嬌は殷開山の娘で、捕らわれながらも子どもを産んで仇を討とうと思い、わざと従うふりをする。その後男の子を出産するが、劉洪に殺されるのを恐れ、子どもを証とする血書と装身具と一緒に箱に入れ、川に流す。金山玉元寺の法海という、修行を積んだ僧が川の中から赤ん坊を見つけて連れて帰り、江流児と名付けて育てる。13年後、江流児は成長し、出家して僧となるが、この時に師匠からいきさつを聞き、はじめて父母の恨みを知る。殷雲嬌は神のお告げで寺に参拝に行き、息子と再会する。江流児は上京して外祖父の殷開山に会い、殷開山は出兵して貴州の劉洪を討つ奏上をする。殷雲嬌が亡夫を弔うため川辺に行くと、そこで現世に戻ってきた陳光蕊と再会する。劉洪も討たれ、離散していた家族は再び一緒になる*18

こちらも、陳光蕊の任地が江州ではなく貴州であったり、殷雲嬌が参拝に行くのが神のお告げによるものだったり、殷雲嬌が陳光蕊を弔う場面があったりと、やはり小説や台湾皮影戯と異なる部分がある。潮劇は潮州地域の正字戯・白字戯に由来するが、前稿で指摘した通り*19、新しい要素を吸収した結果、台湾皮影戯や海陸豊の正字戯・白字戯と異なる内容を持っていることが多い。『陳光塁赴任』と『唐僧出世』の内容を合わせると、ちょうど台湾皮影戯『陳光蕊』になることを考えると、これも潮劇における独自の展開とするのが自然だろう。『陳光蕊』の演目は各地の伝統演劇でも行われており、中には独自の内容を持つものも多いが、台湾皮影戯『陳光蕊』はそうではなく、限りなく小説に準拠した内容になっている。なお、海陸豊の正字戯・白字戯に『陳光蕊』の演目があれば、さらにこれらとの比較検討も可能となるが、残念ながら見つけることができなかった。

作中で確認できる曲牌は次の通りである。正体の分からない【月郎生】もあるが、他は台湾皮影戯で常用されるものである。

【雲飛】、【緊飛】、【下山虎】、【隊子】、【紅納襖】、【哭相思】、【走羅包】、【月郎生】

台本は、『劉全進瓜』同様、齣題・唱詞・科白などが並び、またやはり「」のような潮州語表現が現れる。図5は「旦」と記しているが、「」から派生した「呾知(話して知らせる、告げる)」である(囲み部分)。

図5 『陳光蕊』の「呾」
また「做年」のバリエーションで、同義の潮州語表現である「做在年」も現れている(図6の囲み部分)。
図6 『陳光蕊』の「做年」

一方で、「どのように」という意味で「怎麼」という官話的表現(図7囲み部分)も用いられている。この部分の小説『西遊記』の対応箇所を見ると、やはり「怎麼」が使われているだけでなく、文章自体も全く同じになっており、ここから台湾皮影戯は小説の文章を官話的な表現も含めて引き写したことが分かる(図8)。

図7 『陳光蕊』の「怎麼」
図8 清・陳士斌撰『西遊真詮』懐新楼刊本の「怎麼」

漢語方言で行われる演劇でも、登場人物が官僚などの場合は官話を使うこともあるが、張氏や玄奘はそうした身分ではなく、また他の場面では潮州語表現を使っているので、ここも故意に官話を使っているわけではないだろう。なお、先に引用した「做在年」を使用している部分は、小説では会話文ではなくナレーションになっているところである(図9)。

図9 清・陳士斌撰『西遊真詮』懐新楼刊本の対応部分

皮影戯:〔殷溫嬌上〕呀,夫君死,甲我做在年好了,【緊飛】〔嬌〕若要落水死,〔洪上〕把小姐抱。(〔殷温嬌登場〕あっ、夫が死んでしまった、私はどうしたら良いだろう。【緊飛】〔殷温嬌〕川に飛び込んで死んでしまおう。〔劉洪登場〕女を抱きとめるぞ。)

小説:小姐見他打死了丈夫,也要將身赴水,劉洪忙抱住道…(温嬌は劉洪が夫を殺したのを見て、自分も川に飛び込もうとしたが、劉洪が抱きとめて言った…)

すなわちこの台湾皮影戯『陳光蕊』は、小説の叙述では「做在年」のような潮州語表現も使って台詞を作りつつ、小説でもともと会話になっている部分はそのまま台詞にしたため、「怎麼」のような表現が残ってしまったのだろう。いわば潮州語化が不完全な、台湾皮影戯としてはこなれていないテキストということになる。

『陳光蕊』の演目は古い南戯の時代から存在しており*20、全国の様々な劇種で行われているが、台湾皮影戯には抄本が1件しか伝わっておらず、複数の抄本が残っている『劉全進瓜』とは状況が異なる。単純に抄本が残っていないだけという可能性もあるが、おそらくそうではなく、台湾皮影戯では『劉全進瓜』ほどには広く行われなかったということなのだろう。陳光蕊の物語が上演に適していると考えたか、あるいは他劇種で演目として行われているのを知って、小説をもとにまず官話を用いる正字戯として作られた後に潮州語を用いる白字戯に改変されたか、あるいは小説をもとに台湾皮影戯として作られたものの、あまり流行ることもないまま廃れてしまったのではないだろうか。

3.『西天取経』『唐僧取経』『唐太主取経』

次に、小説『西遊記』の複数の場面を集め、「~取経」と銘打った『西天取経』、『唐僧取経』、『唐太主取経』について検討する。いずれも孤本である。

1)『西天取経』

合興皮影劇団旧蔵本*21。全39葉で、齣題は以下の通り。

陳玄奘[賢宗]取經;觀音下凡;流兒勒路遇虎;玄奘[賢宗]勒路;玄奘[賢宗]勒路收豬[知]哥;豬[知]哥出洞;高老命童且師;師母作法;豬[知]哥入房;系龍出洞;玄奘[賢宗]勒路收沙僧;觀音下凡;蜈蚣洞蜘蛛精;蜈蚣精上;觀音下凡;玄奘[賢宗]勒路;狐狸精鬧黑;兄妹仝行;李皇后旌賞;尼國王上;玄奘[賢宗]勒路;妖女赤鼻鼠;玄奘[賢宗]勒路;李靖上。

内容は次の通りである。

玄奘が兵たちに守られ、雷音寺を目指して旅に出る。そこへ観音が玄奘を試すため土地神に命じて虎を放つと、兵たちは逃げてしまい、玄奘だけが残される。玄奘は今度は女性に誘惑されるが、拒むと女性が観音の姿に変わり、この先に石匣があり、孫悟空が閉じ込められていると告げる。玄奘は果たして石匣を見つけ、孫悟空を従える。次に東海竜王第三太子の系竜が現れ、玄奘の馬を食べてしまうが、観音に言われて玄奘の乗る白馬となる。続いて玄奘たちは八戒、沙僧を弟子にし、蜘蛛精、蜈蚣精を倒す。鹿精と狐狸精の兄妹が尼国の皇后を襲い、狐狸精は皇后に化け、鹿精は尼国王に取り入って千人の子どもの肝で薬を作ろうとするが、玄奘たちに倒される。玄奘が赤鼻鼠精に攫われるが、李靖に救い出され、一行はさらに西天に向かう。

おおむね『西遊記』清刪本の第13回から第22回、第72回から73回、第78回から第83回の筋をなぞっているが、筋はかなり簡略化されており、また「比丘国」が「尼国」になっていたり、狐狸精(小説における白狐妖女)が皇后を襲う場面が挿入されているなど、小説とはかなり異なっている。「比丘」は男性の出家者のことで、これに対して女性の出家者を「比丘尼」と言うが、いずれも常用される言葉ではないので、おそらく後者の連想から「尼」に置き換えたのだろうが、小説の「比丘国」も皮影戯の「尼国」も、男性の出家者が多い国という設定なので、意味の上では誤りだろう。また小説では、狐狸精が皇后に成り代わったという設定があるので、それならばその場面を作って上演すれば面白い、と考えたのだろう。こうした点からすると、成功しているかどうかは別として、観衆の側に立った改変という点では先に述べた『陳光蕊』などに比べ進んでいるものといえる。

作中で確認できる曲牌は次の通りで、やはり台湾皮影戯としては一般的なものである。

【雲飛】、【緊雲飛】、【疊雲飛】、【鎖南枝】、【山坡羊】、【四朝元】、【崑山】、【風入院】、【紅納襖】、【醉三省】、【桂枝香】、【新水令】、【下山虎】、【步步嬌】

台本は、齣題・唱詞・科白などが並び、またやはり「」や「做年」などの潮州語表現が現れる。図10は「听我来(私が話すのを聞きなさい)」、図11は「做年」のバリエーションの「做再年(どのように)」である(囲み部分)。

図10 『西天取経』の「呾」
図11 『西天取経』の「做年」

また、前章で扱った『劉全進瓜』『陳光蕊』は文戯に相当する演目であったが、一方でこの『西天取経』は立ち回りの場面が非常に多い。図12の囲み部分の中央に見える、四角で囲った「空鹿大」という文字は、「孫悟空と鹿精が大いに戦う」ということだが、人物の具体的な動きはこれだけでは分からない。こうした個所は、芸人たちが人形同士を戦わせる操作のノウハウが別にあり、それを当てはめることで上演を行ったものと思われる。

図12 『西天取経』の立ち回りの

2)『唐太主取経』

合興皮影劇団旧蔵本。第一葉に「金斗山妖精獨角青牛 李老君 唐太主取經」とあり、末葉に「五房洲丁貴之策號 唐太主取經 捨策吉置 庚申年六月初二日 許任策號 寫完」とある。「五房洲」は現在の屏東県新園郷一帯の旧名で、また「策」は書籍を表す「冊」と同音(chheh)、「号」は店を意味するので、「策號」は書店、ということになる。「許任」は大正から昭和にかけて活動し、興旺班という皮影劇団に所属する一方、息子の許丁貴を通じて台本の書写・販売も行った人物である*22。「庚申年」は1920年(大正9年)だろう。全49葉で、齣題は以下の通りである。

白骨夫人出洞;黃袍郎出洞;花羞救僧出椅後唐僧上;國王上出棹後太子上;國王上出棹後主目郎上;國王上出棹後悟[伍]空上;公[功]主上出椅後小番上;國王上出棹後公[功]主上;獨角青牛出洞。

ちなみに「~上(~が登場する)」は本来はト書きのはずで、これを齣題として代用している部分は『劉全進瓜』や『西天取経』にもあるが、この『唐太主取経』はほとんどすべてこれが用いられている。内容は次の通りである。

百枳山の白骨精が娘に化けて唐太主たちに近づくが、孫悟空が正体を見破る。白骨精は殺されたふりをして逃げ、老婆に化けて再び唐太主たちの前に現れるが、孫悟空が正体を見破って殺す。白骨精は殺されたふりをして逃げ、老翁に化けて三たび唐太主たちの前に現れるが、悟空が正体を見破る。白骨精は殺されたふりをして逃げたが、怒った唐太主は孫悟空を破門にし、孫悟空は水簾洞に帰る。そこに黄袍郎が現れて唐太主を攫うが、黄袍郎に無理矢理妻にされていた宝象国王の三女の百花羞に救い出される。猪八戒と沙僧が水簾洞に行って孫悟空を呼び戻し、孫悟空が黄袍郎と戦うと老君が現れ、これは金奎精だと言って黄袍郎を捕らえる。百花羞は宝象国王のもとに戻り、一行は再び西天を目指す。そこに独角青牛が現れ、孫悟空たちが托鉢に出ている間に唐太主を攫う。孫悟空は独角青牛と戦うが敵わず、玉帝に頼んで馬・趙・康・温の四元帥を派遣させるが、やはり独角青牛に負ける。次に孫悟空は南海観音に頼んで十八羅漢を派遣させるが、やはり独角青牛に負ける。孫悟空はさらに老君に頼んで独角青牛を捕らえさせる。

作中で玄奘は「唐太主」と呼ばれており、これが演目名の由来ともなっている。おおむね『西遊記』清刪本の第27回から第31回、第50回から第52回をなぞっているが、以下のような違いがある。(1)黄袍郎の正体は、小説では奎木狼だが、ここでは金奎精となっている、(2)黄袍郎を捕らえるのは、小説では星官だが、ここでは老君となっている、(3)独角青牛征伐に派遣されるのは、小説では李靖と哪吒だが、ここでは四元帥となっている。

台本ではやはり「」や「做年」などの潮州語表現が現れており、図13は「旦」と記しているが「」の意味で、「共師父旦,前面一个樹…(お師匠様に話しなさい、前方の木で…)」、図14は「做年」のバリエーションの「再年(どのように)」である(囲み部分)。

図13『唐太主取経』の「呾」
図14 『唐太主取経』の「做年」

立ち回りの部分のト書きは、『西天取経』同様に四角で囲うスタイルだが、人形同士の戦いの指示がかなり連続して書かれている(図15)。

図15 『唐太主取経』の立ち回りの場面

『唐太主取経』は『西天取経』に比べると場面の描写などが詳しい一方で、曲辞部分は極端に少なく、また使われている曲牌も以下3種しかない。

【雲飛】、【下山虎】、【紅納襖】

同じ合興皮影劇団旧蔵本であるにも関わらず、齣題や立ち回りのト書きのスタイルが異なっていたり、内容が小説と違っていたり、曲牌が少なかったりといった違いがあるのは、『西天取経』は合興皮影劇団自身の演目だったのに対し、『唐太主取経』は合興皮影劇団が許任から購入して所有していた台本だからだろう。(1)の黄袍郎を金奎精とするのは福建の莆仙戯にも見え、先行研究に拠れば道教の超度科儀と密接な関係を有している*23。『唐太主取経』が莆仙戯と同系統に属する演目だとすれば、老君や四元帥といった道教の神仙に置き換える(1)(2)の操作は、超度科儀と重ねるために意図的に行われたものだろう。

3)『唐僧取経』

復興閣皮影劇団所蔵本の複写。第一葉に「豬八戒 沙僧 共四人」とあり、末葉に「接第五十三回」とある。全93葉で、齣題は以下の通り小説の回目となっている。

四十回起;第四十四回;第四十六回;第四十六回;第四十七回;第五十回;第五十一回。

内容は次の通りである。

紅孩児が人間の子どもの姿に化けて唐僧たちの前に現れ、孫悟空たちを倒して唐僧を攫う。孫悟空は東海竜王に加勢を頼んだが、紅孩児を倒すことができない。そこで猪八戒は観音に助けてもらおうとするが、途中で紅孩児に捕まってしまう。そのため孫悟空が牛魔王に化けて紅孩児のもとに行き、猪八戒を救い出す。そして孫悟空に頼まれた観音菩薩が紅孩児を懲らしめ、出家させて弟子にする。一行は再び旅路につくが、黒水河で唐僧が鼉潔に攫われる。そこで孫悟空は西海竜王に加勢を頼み、鼉潔を捕らえる。一行は車遅国に入り、孫悟空・猪八戒・沙僧が三清観で三清に化け、虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙をからかう。唐僧たちは車遅国王のもとで術比べに勝ち、大仙たちを倒す。さらに一行は通天河で子どもを喰らう金魚大王の存在を知り、孫悟空と猪八戒が子どもの身代わりになって金魚大王を撃退する。そこで金魚大王は鱖婆に命じて通天河を凍らせ、上を歩いていた唐僧を攫う。孫悟空たちは金魚大王と戦い、さらに観音菩薩に頼んでこれを捕らえる。金魚大王に住処を奪われていた亀の背に乗り、唐僧たちは通天河を渡り、再び西天を目指す。そこに独角兕大王が現れ、孫悟空たちが托鉢に出ている間に唐僧を攫う。孫悟空は独角兕大王と戦うが負けてしまったため、玉帝に頼んで李靖父子を派遣させるが、やはり独角兕大王に負ける。次に孫悟空は火徳星君、水徳星君に頼んで戦わせるが、やはり独角兕大王に負ける。孫悟空はさらに如来仏祖に頼んで十八羅漢を派遣させるが、やはり独角兕大王に負ける。そこで孫悟空は老君に頼んで、ようやく独角兕大王を捕らえさせる。

齣題の通り、『西遊記』清刪本の第40回から第52回をなぞっており、『西天取経』や『唐太主取経』に比べると小説の内容の再現度が高い。潮州語表現は、「」の存在は確認でき、図16は「旦」と記しているが「」の意味である(「听我旦(私が言うのを聞きなさい)」)。しかし「做年」は見られず、かわりに「怎麼」が現れている(図17、「國師你怎麼以他鬥法(国師よ、どのようにかれと勝負するのだ)」)。

図16 『唐僧取経』の「呾」
図17 『唐僧取経』の「怎麼」

この部分の小説『西遊記』の対応箇所を見ると完全に同文で、『陳光蕊』同様に小説の文章を官話的な表現も含めて引き写していることがわかる(図18、「國師你怎麼以他鬥法(国師よ、どのようにかれと勝負するのだ)」)。齣題が小説の回目になっていることや、小説の内容がほとんど改変されずに収録されていることも考えると、この台本も小説を直接参照して作られたと思われる。

図18 清・陳士斌撰『西遊真詮』懐新楼刊本の「怎麼」

立ち回りの場面は『唐太主取経』同様、かなり文字が詰まっている(図19)。曲牌は以下の通りで、台湾皮影戯としては一般的なものである。逆に言えば、小説をほとんど引き写しつつも、『唐太主取経』に比べると曲辞の作成は一定程度行われている、ということになる。

図19 『唐僧取経』の立ち回りの場面

【雲飛】、【雲飛尾】、【紅納襖】、【隊子】、【點江唇】、【山坡羊】、【鎖南枝】、【哭相思】

4.『孔毛祖師収五色金亀』『孫敬徳鬧天門』

次に、小説『西遊記』にプロットが見えず、小説『封神演義』の神仙が多く登場する『孔毛祖師収五色金亀』と『孫敬徳鬧天門』について検討する。いずれも孤本である。

1)『孔毛祖師収五色金亀』

合興皮影劇団旧蔵本。全23葉。封面に「西遊記 唐僧取經 上本孔毛祖師収五色金亀 下本孫敬德鬧天門」とあり、次に取り上げる『孫敬徳鬧天門』と合冊になっている。末葉に「場[易]已[以]完么 許任策號 後許丁貴之號 年甲戌年九初七日寫完 戲號興旺班老么下手不的寫么 ■看么失弱」とあり、ここから、『唐太主取経』同様、興旺班の許任が作成し、許丁貴を通して販売した抄本と分かる。甲戌年は1934(昭和9)年である。作中のそれぞれの場面は齣に分かれておらず、齣題も付されていない。内容は次の通りである。

黒水河で唐太主が金亀大王に攫われ、孫悟空・猪八戒・沙僧が戦い、観音も善才・竜女を率いて現れ加勢する。孫悟空はさらに如来仏祖に頼んで十八羅漢と準提・接引を派遣させるが、金亀大王の軍勢に負けてしまう。孫悟空はさらに玉帝に頼んで李靖父子、楊戩、温・康・馬・超の四元帥を派遣させるが、やはり金亀大王の軍勢に負ける。そこで孫悟空は老君・元始およびその十二門人を派遣させるが、やはり金亀大王の軍勢に負ける。さらに孫悟空は梨山老母に出陣を頼むが、梨山老母は相手に敵わないと知って、兄と仰ぐ孔毛祖師に出陣を依頼する。孔毛祖師は梨山老母とともに金亀大王配下の独蛇・蜈蚣・金奎を破り、最後に金亀大王を倒す。唐太主一行は再び西天への旅に出る。

黒水河は小説『西遊記』第43回や、先に述べた『唐僧取経』にも登場したが、そこでは西海竜王の一族の鼉潔の住処で、金亀大王は登場しない。準提・接引や元始の十二門人は、小説『封神演義』に登場する神仙で、また二郎神を楊戩とするのも『封神演義』における呼称である。また『孔毛祖師収五色金亀』で唐僧は唐太主と呼ばれており、同じ許任抄本の『唐太主取経』と共通している。孔毛祖師という神仙の名前は、『西遊記』や『封神演義』には見えない。以上からするとこの『孔毛祖師収五色金亀』は、許任(そして、おそらくは興旺班)に伝承されてきた西遊記物語をベースに、小説『封神演義』の神仙やオリジナルの神仙を登場させ、黒水河を舞台に小説にないエピソードを展開したもの、ということになる。

作中に見られる曲牌は以下3種のみである。種類は異なっているが、曲辞が極端に少ないという点では、やはり『唐太主取経』と共通点が見られる。

【雲飛】、【點江唇】、【紅納襖】

潮州語表現の「」は何度か出現している(図20は「听我呾么(私が話すのを聞きなさい)」。「做年」は現れていないが、かといって官話の「怎麼」があるわけでもなく、単に「どのように」という台詞が作中になかっただけであろう。話の内容から立ち回りの場面が非常に多いが、いずれも図21のような四角で囲った指示とそうでない指示が連続するスタイルになっている。

図20 『孔毛祖師収五色金亀』の「呾」
図21 『孔毛祖師収五色金亀』の立ち回りの場面

2)『孫敬徳鬧天門』

全43葉。末葉に「興旺班許任親手寫的 年已■■歲 年老不的為策 後丁貴之號 大日本昭和九年 甲戌年 九月十三寫完 鬧天門四十三場[易] 吉置 為號 記認為正 孔毛祖師收五色金龜 孫敬德鬧天門」とある。やはり許任・許丁貴の抄写で、前半の『孔毛祖師収五色金亀』は1934(昭和9)年の9月7日だったが、後半のこれはその数日後の9月13日に書き終えている。齣題は次の通りだが、単に「~上」などのト書きが大字になっているだけとも考えられる。

清風道姑出椅上;西河水月洞;孫敬德勒路;大聖上故南天門出椅;桶盤山無底洞出椅科;四海大佛母上出椅科;觀音下凡出椅科;出椅科黃鈞老祖上。

内容は次の通りである。

清風道姑が子の孫敬徳に対して、お前の父親は西天に向かう途中、清風山で自分と出会い縁を結んだ斉天大聖だと告げる。そこで孫敬徳は南天門にいるという父親に会いに行くことを決める。途中、孫敬徳は西河水月洞の独角青竜と兄弟となり、その配下の三脚石虎が孫敬徳に付き随う。孫敬徳は南天門に着くが、斉天大聖に自分の子として認められず、追い返される。そこで孫敬徳は桃園で仙桃を盗み、石虎と一緒に水月洞に戻る。桃園を荒らされたことを聞いた李靖は、金吒・木吒・那吒[羅車]とともに水月洞に向かうが、孫敬徳たちに負ける。李靖は玉帝に奏上し、黄天化・韋護・藍彩和・雷震子・楊戩[剪]を派遣させるが、孫敬徳たちに負ける。斉天大聖がこれを知って水月洞に向かうが、孫敬徳たちに負ける。そこで斉天大聖は雷音寺に行き、仏祖に頼んで毘盧仏[啤力仏]と赤眉童子を派遣させ、孫敬徳たちを捕らえる。それを聞いた無底洞の狐狸仙は、黒水真人・烈火真人・烏鴉真人・斧頭真人を集め、兄弟分の孫敬徳を救うために斉天大聖・李靖・楊戩[剪]と戦う。斉天大聖は敗れて河に落ちるが、東海竜王に助けられ、定海針を授けられる。斉天大聖はさらに三清宮に行って老君に助力を求め、老君は元始天尊とその十二門人、張魯班・遊花童子とともに出陣し、李靖も誘って水月洞に行き、四海大仏母も加勢する。しかし観音が善才・玉女、さらに九天玄女とともに孫敬徳側に加わり、四海大仏母たちを打ち負かす。紫明山の黄毛祖師も孫敬徳に加勢する中、黃鈞老祖が燃灯道人とともに天兵側に付いて孫敬徳を捕らえるが、孫敬徳は斬首される前に逃走する。しかし後に一家団欒となったことが語られる。

孫悟空が南天門の守りについているという設定から、本作は小説『西遊記』の西天取経の旅が終わった後の話だと思われる。孫悟空の息子の孫敬徳なる人物は、小説『西遊記』には登場しない。あえて似た人物を探すなら、清代の続書『後西遊記』に登場する孫小聖(孫履真)が近いと言えるが、これは孫悟空の次に花果山の霊石から生まれただけで、厳密には息子ではなく、また上記の話とも異なっているため、孫敬徳は『孫敬徳鬧天門』の独自の設定だと思われる。金吒・木吒・那吒・黄天化・韋護・雷震子・楊戩・黃鈞老祖・燃灯道人・元始天尊十二門人など、『孔毛祖師収五色金亀』にも増して小説『封神演義』の人物が多数登場するほか、四海大仏母や黄毛祖師など由来不明の神仙も登場し、孫敬徳と孫悟空の対立に次々と参入して戦いのインフレーションを起こす内容となっている。

作中に見られる曲牌は以下3種のみで、種類は異なるが、曲辞が極端に少ないという点では、やはり『唐太主取経』や『孔毛祖師収五色金亀』と共通している。

【雲飛】、【紅納襖】、【風入松】

潮州語表現は「」、「做年」ともに出現する。図22は「听我呾(私が話すのを聞きなさい)」で、図23は「做年」の派生形の「做再年(どのように)」である。

またやはり立ち回りの部分が非常に多く、全葉の半分程度を占めている。書き方は『孔毛祖師収五色金亀』と同じである(図24)。

台湾皮影戯の台本は一般に齣が分かれているが、シッペール・コレクション198件中で以下の『馬成竜征番・孫悟空』のみ齣題がない*24

AS.ML.I-1-170 全32頁 齣題:甲 馬成龍征番。乙 孫悟空。有題記云:「屏東郡九塊庄三塊厝黃明生,代筆人溪埔寮賴本那。」

「屏東郡九塊庄三塊厝」は現在の屏東県九如郷三塊村で、「黄明生」はかつてここを拠点に活動していた合華興劇団の芸人である*25。また「溪埔寮」は三塊村から東に13kmほど行ったところにある屏東県塩埔郷永隆村で、「頼本那」は黄明生のために他にも『狄青平西』の代筆を行っている人物である。シッペールはここで「齣題」と書いているが、そうではなく、1冊の中に『馬成竜征番』と『孫悟空』の2つの演目が収録されているだけであろう。『馬成竜征番』は、『封神演義』に登場する周の馬成竜が主人公だと思われるが、小説中では魔家四将と戦うのみで、これを「征番」と称するのはやや違和感があるため、小説にはないオリジナルのエピソードかもしれない。『孫悟空』はもちろん『西遊記』関連演目だろうが、どういう話なのかは分からない。ただ、いずれも『西遊記』と『封神演義』、ないしはそれらを元にした話であることは確かで、だからこそ1冊の中に収められているのだろう。

そしてそれは『孔毛祖師収五色金亀』『孫敬徳鬧天門』も同様である。ここから、現存する台湾皮影戯の抄本全体の中では少数ではあるが、『西遊記』や『封神演義』を元にした、神仙や妖怪の戦いの場面を中心に構成され、齣を分けない特徴的な台本が複数存在していたことが推測される。

5.おわりに

以上、高雄市立歴史博物館皮影戯館に所蔵される台湾皮影戯の『西遊記』関連演目について、他劇種にも同名の演目がある台本、小説『西遊記』の複数の場面を集め「~取経」と銘打った台本、小説『西遊記』にプロットが見えず小説『封神演義』の神仙が多く登場する台本、の3種類に分けて検討してきた。その結果、同じく『西遊記』関連演目といっても、齣題のあり方、用いる曲牌の数、立ち回りの場面の書き方、小説『西遊記』との距離などの点で、検討の際の分類とは異なる以下3種類のあり方が存在することが分かった。

(1)小説『西遊記』を参照して作られ、一部の表現は小説のままになっているもの。『劉全進瓜』、『陳光蕊』、『唐僧取経』がこれにあたる。これらの台本の存在は、台湾皮影戯(ないしはそのもとになった正字戯・白字戯)において新たに演目を作成する際、小説から直接書き起こされる例があったことを示している。

(2)小説『西遊記』の内容を元にしながら、独自の改変が行われているもの。『西天取経』のように表現をかなり改めたものもあれば、『唐太主取経』のように小説とは異なる神仙や妖怪に変更したものもある。これらは他劇種における同内容の演目との関わりが想像されると同時に、(3)に発展し得る要素を含んでいる。

(3)小説『西遊記』にはない場面を新たに作り、小説『封神演義』独自の人物も多数登場させているもの。『孔毛祖師収五色金亀』と『孫敬徳鬧天門』がこれにあたる。正式な齣題が書かれず、また用いる曲牌も極端に少ない。ストーリーは二の次で、全体が戦闘場面を中心に構成されている。『封神榜 趙公明帰天・九曲黄河陣』など*26、東華皮影劇団の張徳成が戦後に作った台本は、登場人物の簡単なメモ書きのようなもののみで構成されているが、これは『西天取経』、『唐僧取経』、『唐太主取経』から『孔毛祖師収五色金亀』、『孫敬徳鬧天門』へと発展していった立ち回りの場面の書き方が、さらに台本全体へと波及したものと考えられるだろう。

なお現在活動している台湾の皮影戯の劇団は、東華皮影劇団、永興楽皮影劇団、高雄皮影劇団の3つで、このうち伝統演目を継承している前2者で、2010年以降上演記録が確認できる『西遊記』関連演目について、本稿で検討してきた内容との関係を考えると以下のようになる。

『西遊記・火焰山』。永興楽皮影劇団。2017年8月2日、日本・川本喜八郎人形美術館。孫悟空たちが鉄扇公主から扇を借り、火焰山の炎を消し止める話で、小説『西遊記』第59回から第61回に相当する。永興楽の張新国が、東華との交流で学んだ『西遊記』演目をもとに、1993年に新たに製作した演目である*27。台本に齣題はなく、立ち回りが中心で、また曲辞も【雲飛】が2回唱われるだけであるが*28、こうしたあり方は『唐太主取経』、『孔毛祖師収五色金亀』、『孫敬徳鬧天門』などとも共通している。潮州語表現は全く現れず、台湾語表現のみが使われているが、本稿の検討から旧時の台本にはいずれも潮州語表現が存在することが分かったため、戦後の新編演目によって生じた現象であることが推測される。

『西遊記・孫悟空大戦鉄扇公主』。東華皮影劇団。2018年12月13日、国立伝統芸術中心宜蘭伝芸園区曲芸館。孫悟空たちが鉄扇公主から扇を借り、火焰山の火を消し止める話で、小説『西遊記』第59回から第61回に相当する。東華は戦後の一時期、張徳成の『西遊記』演目で一世を風靡したが、張能傑はそこで行われたものとして以下を挙げており、この中の『三借芭蕉扇』が当該演目の元だと思われる*29。また張新国が東華で学んだとされるのもこの演目だろう。

大鬧天宮、收白龍馬、五指山救出孫悟空、雲棧洞收八戒、黃峰嶺收黃風怪、流沙河伏沙僧、孫悟空收伏白骨夫人、血戰黃袍郎、收金角銀角妖怪、火雲洞收紅孩兒、獨角青牛、六耳猴、三借芭蕉扇、金光寺九頭蟲、荊棘嶺、小西天雷音寺、稀柿洞收大蟒、朱紫國、伏毛、百眼魔、盤絲洞、比丘國

『金兜山独角青牛』。東華皮影劇団。2019年12月13日、国立伝統芸術中心宜蘭伝芸園区曲芸館。孫悟空たちが独角青牛と戦う話で、小説『西遊記』第50回から第52回に相当し、同内容は先に挙げた『唐太主取経』と『唐僧取経』でも描かれているが、台詞などはこれらの台本と全く異なっている。先に引用した東華の『西遊記』演目の中の『独角青牛』がこれにあたるものと思われるが、潮州語表現は登場しないため、張徳成の段階でやはり完全に台湾語化がなされていたのだろう。

『西遊記・黒水河遇険』。東華皮影劇団。2022年11月6日、台南董家斉天大聖宮。孫悟空たちが黒水河で水怪と戦う話で、小説『西遊記』第43回に相当する。同内容は『唐僧取経』にもあり、また黒水河は『孔毛祖師収五色金亀』の舞台でもあるが、台詞などはこれらの台本と全く異なっている。ただ、小説『西遊記』の数あるエピソードの中で、台湾皮影戯で黒水河の場面が好まれていたのだとすれば、現在この演目が行われていることと、『唐僧取経』や『孔毛祖師収五色金亀』の存在は関連しているということもできる。やはり潮州語表現は全く現れない。

こうして見ると、現在台湾皮影戯で行われている『西遊記』関連演目は、本稿で検討した台本と直接は繋がっていないが、そこで見られた齣題の消滅・曲辞の減少・エピソードの選択・立ち回りの重視といった部分では一定の継承関係があるといえるだろう。

なお台湾皮影戯の『西遊記』関連演目の台本は、本稿で取り上げた高雄市立歴史博物館皮影戯館所蔵分以外にも、さらに幾つか存在する。これについては、冒頭に述べた『封神演義』関連演目の問題も含め、稿を改めて検討することとしたい。

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※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和2~6年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)による成果の一部である。


*1 この種の検討は磯部1994:450-453、磯部1995:319-322でも試みられたが、「残念ながらなお原本が見られないのでやむを得ず、その齣題から内容を想定して概観」したもので(磯部1995:321)、本論で示すように修正すべき点がある。
*2 復興閣皮影劇団については、山下2016を参照。
*3 SCHIPPER1979:25-26。なお[]内はもとの表記。
*4 陳憶蘇1992:123でも本演目の内容が整理されている。
*5 『西遊記』清刪本は清・陳士斌撰『西遊真詮』懐新楼刊本(東京大学東洋文化研究所所蔵)に拠った。以下同じ。
*6 林淳钧、陈历明1999:中576。
*7 谭正璧、谭寻1982;上田望、大塚秀高1999;北京图书馆出版社2002。
*8 磯部2007:320-322。
*9 上四本については山下2019を参照。
*10 台湾皮影戯における潮州語については山下2024を参照。
*11 石光生2019:9。
*12 陳憶蘇1992:123でも本演目の内容が整理されている。
*13 なお陳光蕊の物語は現存する小説『西遊記』繁本に見られず、清刪本特有のものである。この物語の発生や展開については、澤田1975、大塚1994、胡萬川2010、大塚2023などがあるが、本論ではこの問題には立ち入らない。
*14 林淳钧、陈历明1999:中840-841。
*15 陈光垒赴任 唐太宗时,江州太守陈光垒携眷赴任,至三江市,投宿旅店。是夜陈母何氏忽病,陈只得留母在店治病,己则携妻魏云娇渡江赴任。船至半江,艄公刘洪推陈下水,迫娇为妻,娇因怀孕在身,忍辱屈从。刘竟冒陈名赴任。后娇产男孩,恐刘残害,乃把冤情写成血书,藏儿怀内,并断儿左足一指,命婢盛箱漂于江面,为金山长老法明救养,取名江流。十八年后,江流长大,法明将血书献出,并设法使其母子相认。娇遂命儿带书往京向父宰相魏征报讯,路上祖母何氏流落为丐,相遇之后,一同上京。魏征得书,即奏帝发兵,亲往剿贼,娇见大仇已报,自缢殉节。
*16 これについては田仲一成2006:674でも言及がある。また田仲一成2014:433には、「潮州劇」の『唐僧出世』が1979年8月23日(七月初1日)に香港の東頭村で上演された記録がある。
*17 林淳钧、陈历明1999:下1292-1293。
*18 <cstyle:簡体字>唐僧出世 唐贞观年间,状元陈光蕊授贵州知府,携眷上任。途径云江,船家刘洪杀死陈等,将之推落江中,窃取文凭官印,冒名赴任。陈妻殷云娇,为殷开山之女,被掳,冀得产儿报仇,遂假意相从。后果产男孩,恐刘加害,将婴儿置于木盒,留血书钗环为信,任其随波漂流而去。金山玉元寺僧法海,通悟禅机,江中救起婴儿,携归抚养,因名江流儿。十三年后,江流儿长大,随师学道,削发为僧,得师述明来历,始悉父母沉冤。云娇得神指示,到寺拜佛,与子相认。江流儿往京,寻其外祖殷开山,请旨带兵至贵州剿办刘洪。云娇于江边祭夫,得遇陈光蕊还阳,遂杀刘洪,全家团圆。
*19 海豊正字戯『孟日紅割股』に対する潮劇『割股記』などが挙げられる。山下2021を参照。
*20 张净秋2012:43-46。
*21 合興皮影劇団については、山下2016を参照。
*22 林永昌2007:10。
*23 胡胜2023:108。
*24 SCHIPPER1979:62。
*25 石光生2000:29、張能傑2017-1:9。
*26 林保堯1996。
*27 石光生2005:105、王淳美2018:57。
*28 石光生2005:262-271。
*29 張能傑2017-2:118。