現地調査経過報告†
はじめに†
本研究では、北方中国の皮影戯や演劇・宗教施設について、数次にわたる現地調査を実施し、従来必ずしも明らかでなかった地方における伝統演劇文化の一端を明らかにした。以下、それら調査の概要をまとめる。
1.2002年夏期山西省現地調査†
2002年の現地調査の主たる目的は、山西省孝義における晋中皮影戯の老芸人梁全民氏へのインタビュー及び孝義に残る皮腔、碗碗腔、木偶戯それぞれの上演情況を把握することにあった。この調査に関しては、本書中に山下一夫氏が「梁全民氏と晋中皮影戯・木偶戯」と題して報告しているので参照して頂きたい。
*(1)日程と概要†
この調査に参加したのは、氷上・山下・千田・戸部・二階堂の五名である。氷上・山下・千田・戸部は全行程を共にし、二階堂は五台山を拠点とした宗教施設調査のみに参加した。
- 8月18日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午後:太原へ
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月19日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:山西省戯劇研究所訪問・調査
- 午後:山西省における皮影戯関連の文献収集
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月20日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:山西省孝義へ
- 午後:侯丕烈氏からの聞き取り調査
- 二階堂
- 終日:平遥にて寺廟などの宗教施設を調査
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月21日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:山西省介休にて古戯台を調査
- 午後:山西省孝義にて梁全民氏、侯丕烈氏からの聞き取り調査
- 夜:「孝義市木偶碗碗腔専場文芸晩会」出席
- 二階堂
- 終日:五台山にて寺廟などの宗教施設を調査
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月22日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:孝義市皮影木偶芸術博物館見学
- 午後:同博物館にて皮影戯及び木偶戯を観劇
- 二階堂
- 終日:五台山にて寺廟などの宗教施設を調査
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月23日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:平遥にて演劇施設調査
- 午後:太原にて演劇資料収集
- 二階堂
- 終日:太原にて寺廟などの宗教施設を調査
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月24日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:太原にて演劇資料収集
- 午後:山西省戯劇研究所訪問・調査
- 二階堂
- 午前:空路、北京へ
- 氷上・千田・山下・戸部
- 8月25日
- 氷上・千田・山下・戸部
- 午前:空路、北京へ
- 氷上・千田・山下・戸部
2.2004年夏期山西省・陝西省現地調査†
2004年の現地調査では、2002年実施した山西省現地調査を補完する目的で、孝義市運城市を訪問した。同時に、多種多様な皮影戯が現在も行われている陝西省東部に調査対象地域を広げ、陝西東部地域の代表的皮影戯について概略的な調査をおこなった。
*(1)日程†
この調査に参加したのは、氷上・山下・千田・二階堂の四名である。氷上・山下・千田は全行程を共にし、二階堂は運城を拠点とした宗教施設調査のみに参加した。
- 8月22日
- 氷上・山下・千田
- 北京より太原に移動
- 氷上・山下・千田
- 8月23日
- 氷上・山下・千田
- 午前:山西省戯劇研究所訪問
- 午後:孝義市にて、皮腔皮影戯調査
- 二階堂
- 午後:西安到著
- 氷上・山下・千田
- 8月24日
- 氷上・山下・千田・二階堂
- 午前:それぞれ運城に移動
- 午後:運城関帝廟調査
- 氷上・山下・千田・二階堂
- 8月25日
- 氷上・山下・千田・二階堂
- 終日:永楽宮・常平関帝祖廟等調査
- 氷上・山下・千田・二階堂
- 8月26日
- 氷上・山下・千田
- 午前:西安に移動
- 二階堂
- 午前:西安に移動後、北京へ
- 氷上・山下・千田
- 8月27日
- 氷上・山下・千田
- 終日:華陰県にて、老腔皮影戯調査
- 氷上・山下・千田
- 8月28日
- 氷上・山下・千田
- 終日:華県にて、碗碗腔皮影戯調査
- 氷上・山下・千田
- 8月29日
- 氷上・山下・千田
- 終日:礼泉県にて、弦板腔皮影戯調査
- 氷上・山下・千田
- 8月30日
- 氷上・山下・千田・二階堂
- 午前:北京へ
- 氷上・山下・千田・二階堂
(2)山西省調査概要†
a)山西省戯劇研究所†
同研究所では、現在、山西省戯劇文物文献データベースの構築作業を進めている。同研究所が所蔵する、文献・博物資料の総合目録オンラインデータベースであるが、一部資料についてはオンライン公開する予定であるという。完成の暁には、同研究所所蔵伝統劇資料へのアクセシビリティーが格段に向上することが期待される。
待望久しい『山西地方戯曲彙編』皮影・木偶巻は、訪問時にはまだ完成していなかった。その後、2005年初頭に完成したが、本研究期間中に詳細な分析を行うことはできなかった。この点は今後の課題としたい。
同研究所ではこのほか、山西省の伝統劇の劇目と解題とをまとめた『山西戯曲劇目考略』といった書籍も、刊行に向けて準備を進めているという。
b)孝義市†
晋中皮影戯の中心地として知られる孝義市には、古くからおこなわれていた皮腔と、清末に陝西より伝播した碗碗腔の二種類の皮影戯がある。しかし、現在、孝義市皮影木偶芸術博物館の皮影劇団などではもっぱら碗碗腔がおこなわれており、皮腔皮影戯は絶滅に瀕している。
今回訪問調査した武海棠氏(66)は、数少ない皮腔皮影戯の老芸人である。武氏は清末当地に存在した皮影・木偶劇団、二義園を経営していた一族であり、既に六世代にわたって皮影戯に従事している。
今次の調査では、孝義市郊外の必独村の武氏宅を訪問し、武海棠氏の経歴・家系、劇団の変遷、旧時の具体的な上演状況について聞き取り調査をおこない、あわせて武家班、および2002年度に訪問調査した梁全民氏による、碗碗腔・皮腔皮影戯の上演を鑑賞・記録した。
- 【上演者】
- 唱・操作:梁全民(73)・田生蘭(62)・武海棠・武愛屏(39)
- 鼓板:武偉偉(23)
- 琴師:武海花(40)
- 伴奏:武建平(37)・于雲平(38)
- 【上演演目】
- 碗碗腔
- 「桃花記」(唱・操作:梁全民・田生蘭)
- 「収五毒」(唱:梁全民、操作:田生蘭)
- 「五賢牌・選段」(唱・操作:武愛屏)
- 皮腔
- 「鬧朝歌」(唱・操作:武海棠)
- 「四表四唱」(唱・操作:武海棠)
- 碗碗腔
c)運城市†
河東地域の中心都市である山西省運城市を拠点として、同市近郊に分布する宗教施設を訪問・調査した。
*解州関帝廟†
関羽の出身地である運城市解州鎮の同廟は、全国最大の関帝廟として知られている。同廟の雉門は、本殿に面した側の階段の上に板を渡して舞台とする、所謂「過路戯台」になっており、保存状態も良好である。
*永楽宮†
運城市芮城県龍泉村。呂洞賓の出身地とされる、道教全真教の三大祖庭の一つ。現在の廟宇は、三門峡ダムの建設にともない、1950年代に移築されたもの。多数の元代の壁画が保存されていることでも知られる。元代白話文碑を含む、多数の碑刻が保存されている。
今回の調査で、清代の建築である宮門が、過路戯台構造になっていることを確認した。
*五龍廟†
永楽宮の西の農村にある。中国に現存する数少ない唐代建築であるとされる。清代の小戯台が現存するが、前面には壁と扉がしつらえられ、農家の倉庫として利用されているようであった。
*常平関帝祖祠†
解池の南、解州関帝廟の東数キロに位置する。関羽の祖先を祭ったものである。建築・鋳鉄像の多くは明清代のもの。
(3)陝西省調査概要†
今次の陝西省現地調査に関しては、現地の研究・工作者である、陝西省民間芸術劇院の楊飛・李淑文夫妻に、劇団や芸人との連絡などの手配を依頼した。
現地調査では、今後の継続的な調査をにらみ、各地域の皮影戯の概略を把握することに主眼を置いた。このため、インタビューの質問項目は、芸人の経歴、劇団の変遷、上演方式と環境などにとどめた。
なお、以下に記す上演者名・役割は、鑑賞時に劇団員もしくはその家族に書いてもらったものを、そのまま転記したものである。
a)華陰県†
陝西省で最も歴史が古いとされる、華陰老腔皮影戯の芸人、張軍民氏(55)宅を訪問してインタビューを実施し、実演を鑑賞・記録した。また、張氏が所有する台本の題目を記録し、一部台本については全編を撮影した。
- 【劇団】
- 華陰県老腔皮影芸術団
- 【上演者】
- 演唱:張軍民(55)
- 板胡:劉亜倉(53)
- 敲板:李海泉(52)
- 簽手:衛興保(63)
- 後曹:李月明(60)
- 【上演演目】
- 「虎牢関」、「薛仁貴月下表功」、「臨潼闘宝」、「王文秀遊花園」
b)華県†
老腔に対して時腔とも称される、碗碗腔皮影戯について調査した。訪問地は、華県呂家塬村。
- 【インフォーマント】
- 呂重徳(61)
- 【劇団】
- 呂重徳興進皮影社
- 【上演者】
- 前手:呂重徳
- 扡手:劉正宏(60)
- 二胡・幇扡:劉華(62)
- 硬弦:劉興文(55)
- 後槽・鈴鈴:劉建平(40)
- 【上演演目】
- 「売雑貨」、「火焔駒・打路」、「金碗釵・供水」、「卜浪沙・撐船」、「刀劈韓天化」
c)礼泉県†
西安の西北、咸陽市礼泉県は、陝西西路皮影戯の代表的声腔である弦板腔の発祥地である。弦板腔が形成されたのは清末民初であるが、解放後に上演・演唱方式などが改革されている。調査地は、同県五都村。
同地の芸人である劉璟氏(52)への聞き取り調査および実演鑑賞・記録を行うと同時に、劉氏が所蔵する台本50部余りを購入した。その詳細については、山下一夫氏の報告をご参照いただきたい。
- 【劇団】
- 劉璟弦板腔皮影社(史徳皮影社、新声皮影社合同上演)
- 【上演演目:演唱者】
- 「関羽取長沙」:劉璟、「鷄爪山」選段:劉建桂(40)、「孫夫人祭江」:劉文侠(40)、「黄雀寺・降香」:馬春萍(39)
3.2005年春期 山西省・陝西省現地調査†
(1)日程†
2005年春期の現地調査では、山西省戯劇研究所にて情報交換を行うとともに、夏期に実施した陝西省東部皮影の調査を補完するため、関中道情皮影についての聞き取りを進めた。また、陝西省南部にも対象地域を広げ、洋県灯影腔皮影の概略的な調査を実施した。参加したのは千田・山下の二名である。
- 2月22日
- 千田
- 夜:太原へ移動
- 千田
- 2月23日
- 午後:楡次老城見学
- 2月24日
- 午後:山西省戯劇研究所訪問
- 夜:西安へ移動
- 2月25日
- 千田
- 終日:西安市内にて資料収集
- 山下
- 午後:西安へ移動
- 千田
- 2月26日
- 千田・山下
- 午前:八仙宮・罔極寺見学
- 午後:皮影戯研究者の楊飛・李淑文夫妻を訪問
- 千田・山下
- 2月27日
- 終日:西安市臨潼区にて関中道情皮影戯の調査
- 2月28日
- 午後:空路にて西安より漢中へ移動。漢中市内にて灯影腔皮影の調査
- 3月1日
- 午前:漢中民俗村見学
- 午後・夜:洋県にて灯影腔皮影の調査
- 3月2日
- 千田・山下
- 終日:空路にて漢中より北京へ移動
- 千田・山下
(2)調査概要†
a)関中道情皮影†
関中道情皮影については、西安市臨潼区在住の廬学林氏を採訪した。関中道情皮影は民国期に商洛道情皮影が臨潼に伝播し発展したものであるが、現在伝承者は廬学林氏ひとりとなっている。当然上演も行われておらず、劇種としてはほぼ消滅したものと言って良い。氏も現在は市の殯儀館で葬送音楽を担当している。氏からは関中道情皮影の歴史、音楽、往時の上演状況について話を伺ったほか、以下の台本も閲覧させていただいた。
『張連売布』『紅心朝陽』『東郭先生救狼』『孫悟空三打白骨精』『鬧天宮』『三調芭蕉扇』
b)洋県灯影腔皮影†
洋県灯影腔皮影については漢中市内と洋県の二カ所で調査を行った。まず漢中市内については、訪問した漢中市文聯の協力を仰ぎ、漢中民俗村で所蔵されている資料の調査を行った。ここには灯影腔皮影で用いられた影人の比較的まとまったコレクションが所蔵されているのである。また、かつて漢中市内でも活動していた灯影腔皮影の現状ついて、民俗村のスタッフのほか、市政府文化科や市政協などでも聞き取りを行ったが、いずれも現在市内では行われなくなっているということであった。さらに、かつて洋県文化局で皮影音楽の調査を行った馮樹永氏への採訪も行い、文革終息後の上演状況について話を伺った。
洋県では、灯影腔皮影の芸人である雍居忠氏・何宝安氏・黄芳氏を採訪した。雍居忠氏は現在70才の老芸人で、また何宝安・黄芳両氏はその弟子にあたる。三方より灯影腔皮影の歴史、音楽、上演状況などについて話を伺った後、近くの観音廟で開催されていた千山娘娘廟会で、かれらが行った皮影戯『葵花鏡』の上演について調査を行った。また付近の薬王廟で行われていたものも含め、廟会そのものについても調査を進めた。
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