台湾皮影戯『白鶯歌』と明伝奇『鸚鵡記』†
1.はじめに†
影絵人形劇――皮影戯は、中華圏の各地で行われている芸能である。台湾も例外ではなく、高雄市西部を中心に現在でも複数の劇団が活動している。演目は立ち回りの多い武戯と、唱や台詞が中心の文戯に大別され、1970年代の段階では150ほどが確認できる*1。これら多くの演目の中で、伝統的に最も重視されているのが、「上四本」「上四冊」あるいは単に「四本」と呼ばれる、4つの文戯の演目である。邱一峰は以下のように述べている*2。
皮影戯の文戯にはいわゆる「上四本」、また「上四冊」と呼ばれるものがあり、それぞれ『蔡伯喈』・『蘇雲』・『孟日紅割股』・『白鶯歌』で、文戯の代表的な演目である*3。
また永興楽皮影劇団の張歳は以下のように述べている*4。
文戯も重要である。なぜなら、皮影戯にはいわゆる「四本」、『割股』・『白鶯歌』・『蘇雲』・『蔡伯
皆 』があり、もしこの四本ができないなら、皮影戯をやろうと思ってはいけないからだ*5。
復興閣皮影劇団の許福能もほぼ同様のことを述べている*6。
『蔡伯喈』・『割股』・『蘇雲』・『白鶯歌』は「上四本」と称し、芸人はみなこの四本のことをよく解っている*7。
この「上四本」については、本文で触れるとおりすでに幾つかの研究があるが、台湾で最も上演頻度が高い『割股』と、元・高明の『琵琶記』に連なる『蔡伯喈』が好んで取り上げられる傾向があり、『蘇雲』と『白鶯歌』についてはあまり検討されてこなかったきらいがある。筆者は近年、『白鶯歌』関連の資料を幾つか閲覧する機会に恵まれた。そこで本稿では、この台湾皮影戯『白鶯歌』のテキストを検討した上で、台湾皮影戯と明伝奇との関係や、台湾皮影戯という劇種の問題について考察していきたいと思う。
2.『白鶯歌』と『鸚鵡記』†
台湾皮影戯『白鶯歌』は、本稿冒頭で引用した芸人たちの発言から考えても、かつては多くの劇団で行われていたものと思われる。しかし2000年代に入り、老芸人が相次いで世を去った上、影絵人形劇をめぐる環境が大きく変化したこともあって、すでに上演は行われていない。ただ台本のテキストは現存し、管見の及んだ限りでは、高雄市皮影戯館に以下2種類の合興皮影戯団張福丁旧蔵抄本が所蔵されている*8。
(一)許任抄本†
昭和六(1931)年書写。巻首に「順治立號大清,人民服,天下平。過明治,換大正,成昭和。削人形,換國泰,照舊用,歸中*9,衆神明,自忖逞筆不寫,看分明知其理,白鶯哥」順治立號大清,人民服,天下平。過明治,換大正,成昭和。削人形,換國泰,照舊用,歸中*10,衆神明,自忖逞筆不寫,看分明知其理,白鶯哥」とあり、また末葉に「白鶯哥寫完一百二十九易,昭和六年,許任親手寫的,年已六十九歲,策號丁貴之號,立名興旺班,庚午年十二月初四日寫完,白鶯哥」「白鶯哥寫完一百二十九易,昭和六年,許任親手寫的,年已六十九歲,策號丁貴之號,立名興旺班,庚午年十二月初四日寫完,白鶯哥」とある*11。
林永昌によれば、許任は興旺班という影絵人形劇団に所属し、息子の許丁貴を通じて台本の書写・販売も行った人物で、高雄市皮影戯館には許任が書写した影絵人形劇の台本が全部で四十九件所蔵され、この抄本もその一つだという*12。
(二)吳典抄本†
明治四十三(1910)年書写。巻首に「仁壽上里鹽埕庄第一保ヒ正,吳典仁壽上里鹽埕庄第一保ヒ正,吳典」とあり、また末葉に「明治四十三年舊參月十六日自手親抄完,仁壽上里鹽埕庄108,吳典明治四十三年舊參月十六日自手親抄完,仁壽上里鹽埕庄108,吳典」とある。
呉典は復興閣皮影劇団を創始した張命首の師匠の一人である。石光生は1997年に行った許福能へのインタビューに基づいて以下のように記している*13。
影絵人形劇の芸人は、「四大本」のうちどれか一つでも得意であれば、それだけで一家を成すことができる。影絵人形劇の芸を他人には簡単に伝授しなかった当時にあって、張命首は張奢・呉天来・呉典・李看の4人の影絵人形劇の芸人から、この4つの重要な演目をそれぞれ習得することができた*14。
上記資料では、張命首が誰からどの演目を学んだかは解らないが、おそらくこの呉典から『白鶯歌』を教わったのだろう。なお別の資料では張命首の師匠は「呉大頭」となっているが、おそらくこれは呉典の渾名か芸名であろう*15。
「復興閣」はもとの名前を「新興皮戯団」と言い、張命首(1903〜1980)によって弥陀郷で創始された。張命首は若いときに呉天来・李看・呉大頭・張著について影絵人形劇を学び、また様々な楽器の演奏も習得した*16。
呉典抄本の巻首および末葉に現れる「仁寿上里」は日本統治時代の行政区画で、現在の高雄市岡山区西南部・永安区西部・弥陀区・梓官区にあたり、また「塩埕庄」はうち弥陀区に含まれる。弥陀区は戦後の一時期「弥陀郷」と称され、上の記述にあるように復興閣皮影劇団の所在地であるほか、永興楽皮影劇団もここに置かれているなど、現在でも台湾の影絵人形劇の劇団や芸人が集中する地域となっている。当時にあって、呉典も恐らくその中の1人だったのだろう。
さて、いま呉典抄本に基づいて『白鶯歌』の内容を整理すると、おおむね以下の通りとなる。なお()内は抄本中に現れる齣題で、番号は筆者が付したものである。
周の景王の治世。朝廷では潘葛が丞相を務めていた(1.潘葛登擡)。そこに西蕃から白鸚歌・温良鐘・醒酒氈の三宝が献上されて来る(2.西番義貢)。景王は西蕃を冊封し、また蘇妃と梅妃の二人の妃のうち、蘇妃が懐妊したことを知り、皇后に立てる(3.朝賀阮宝、4.帯旨封宮)。蘇妃を妬んだ梅妃は、長兄の梅平・次兄の梅輪と謀って温良鐘を壊し、また白鸚歌を殺して蘇妃に罪をなすりつけようとする(5.兄妹相議、6.阮宝起禍)。蘇妃と梅妃はいずれも自らの無実を訴えるが、結局蘇妃に死罪が言い渡される(7.二妃扭奏、8.斬是放非、9.鬧朝冒奏、10.梅輪辱相)。潘葛は朝廷の将軍である全忠と相談し、蘇妃を助けるため、自分の妻に蘇妃の身代わりとなるよう頼む。潘葛の妻は夫の言い付け通り死に、偽の蘇妃の葬儀が行われる(11.回家議代、12.潘全謀計、13.潘府代換、14.上挍擡、15.奠祭読文)。しかし占卜によって蘇妃がまだ生きていることを知った梅妃は、梅輪に潘葛の屋敷へ押し入らせるが、潘葛は密かに蘇妃を湘州に逃がし、さらに梅輪らの乱暴のせいで妻が死んだと言って朝廷に訴え出る(16.梅妃卜卦、17.聞報設計、18.掃尋被打、19.潘梅扭奏)。十三年後、潘葛は自らの誕生日を祝う宴で死んだ妻のことを想い出す。そこに湘州の蘇妃から手紙が来て、逃げる途中白馬廟で太子を出産したこと、その後いったん離ればなれとなったが再会したことなどが記されていた(20.慶賀寿旦、21.潘葛思妻)。朝廷に上がった潘葛は景王と象棋を打ちながら、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる(22.囲棋進子)。梅妃一派は死罪となり、蘇妃と太子が朝廷に迎え入れられる(23.接旨回朝、24.見駕除奸、25.登基団円、26.新帝登基)。
この『白鶯歌』は無名氏の明伝奇『鸚鵡記』に基づくことが、すでに陳憶蘇によって指摘されている*17。『鸚鵡記』の完全な版本は、現在のところ『古本戯曲叢刊初集』に影印が収録されている、万暦年間の金陵富春堂刊本が伝存するのみである。富春堂で刊行された戯曲は弋陽腔の系統のテキストであり、この『鸚鵡記』もそのうちの一つである。弋陽腔とは明代南戯四大声腔の一つで、江西省弋陽県を発祥地とし、打楽器中心で弦楽器を用いないこと、1人が歌った後ほかの人々が唱和する「幇腔」を行うこと、また「滾白」や「滾唱」といった方法を持つこと、大衆的・通俗的な演目が多く知識人には敬遠されたことなどを特徴とする*18。さて、この富春堂本は二巻三十二齣から成り、全名を『新刻出像音注蘇英皇后鸚鵡記』という。内容はおおむね以下の通りとなる。なお、富春堂本には齣題が無いが、()内は挿絵に添えられた語句をもとに筆者が仮に付したものである*19。
周の景王の治世。朝廷では潘葛が丞相を務め、また景王には蘇妃と梅妃の二人の妃がいた(1.家門大意、2.潘家遊園、3.二妃飲宴)。そこに西羌から白鸚鵡・温良盞・醒酒氈の三宝が献上されて来る(4.西蕃進宝)。また蘇妃の甥の蘇敬は湘州に刺史として赴任する(5.任赴湘城)。景王は西羌を冊封し、また蘇妃が懐妊したことを知って皇后に立てる(6.設朝受貢、7.元宵冊封)。蘇妃を妬んだ梅妃は、長兄の梅伻・次兄の梅倫と謀って温良盞を壊し、また白鸚鵡を殺して蘇妃に罪をなすりつけようとする(8.幸梅妃宮、9.請二国舅、10.梅倫定計、11.梅妃壊宝)。蘇妃と梅妃はいずれも自らの無実を訴えるが、結局蘇妃に死罪が言い渡される(12.金堦結奏)。潘葛は蘇妃を助けるため、自分の妻に蘇妃の身代わりとなるよう頼む。潘葛の妻は夫の言い付け通り死ぬ(13.夫人代死)。しかし占卜によって蘇妃がまだ生きていることを知った梅妃は、梅倫に潘葛の屋敷へ押し入らせるが、潘葛は今度は死んだ婢女の雪姐を妻だと偽り、梅妃たちのせいで妻が死んだと言って朝廷に訴え出る(14.梅妃問卜、15.驚死夫人)。潘葛は妻の葬儀に借りて密かに蘇妃を湘州の蘇敬のもとに逃がす。蘇妃は追っ手に阻まれるが、天神に助けられて難を逃れ、白馬廟で太子を出産する。しかし追っ手に囲まれたため、仕方なく蘇妃は太子を置いて逃げる。そこを通りかかった樵夫の祝四郎が太子を拾う。蘇妃は無事、湘州の蘇敬のもとにたどり着く(16.記議出葬、17.途遇天神、18.蘇妃奔相、19.梅伻帰隠、20.白馬廟生太子、21.湘城会侄)。その頃朝廷では梅妃が景王の寵愛を失いつつあった(22.宮人勧酒)。太子は祝四郎から枢密の張清に預けられ、張竜と名付けられる。十三年後、太子は蘇敬の子の蘇虎とたまたま同窓となり、これをきっかけに母親の蘇妃と再会する(23.祝翁送子、24.太子攻書、25.蘇妃逢侄、26.後院遊耍、27.張清留子、28.太子見母)。天監官が星象から蘇妃の事を知る(29.看天相)。潘葛が景王に、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる(30.詔迎蘇后)。潘葛が景王と象棋を打ちながら、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる(新増潘葛下棋)。梅妃一派は死罪となり、蘇妃と太子が朝廷に迎え入れられる(31.蘇后赴京、32.太子登基)。
明末の崇禎年間の成立とされる祁彪佳の『遠山堂曲品』では、「具品」に分類されている演目に『鸚哥』があり、この明伝奇『鸚鵡記』を指しているものと思われる*20。
(ここで述べられている)蘇妃の物語は、経典などに見あたらず根拠が無い話である。歌詞は解りやすく整っているが、構成がひどく悪くなってしまっている。たとえ(『西廂記』で知られる)王実甫が(本作を)書き直したとしても、どうにもならないだろう*21。
周の景王(前544年~前520年)は実在の人物であるが、祁彪佳が「根拠が無い」と言うとおり、『春秋』などには外国から「三宝」が献上されたという記事は無いし、また蘇妃・梅妃・潘葛などの人名も見あたらない*22。ただ正史を見ると、歴代の王朝で外国から「白鸚鵡」が献上された例は多数存在する。
義熙十三(417)年…六月癸亥の日、林邑(チャンパ)が馴象と白鸚鵡を献上した*23。(『晋書』巻十「帝紀・安帝」)
天竺迦毗黎国(カピラ?)は元嘉五(428)年、国王の月愛が使いを派遣し、金剛指環・摩勒金環などの宝物と、赤と白の鸚鵡各一羽を献上した*24。(『南史』巻七十八「列伝・天竺迦毗黎国」)
孝武帝の大明三(459)年正月丙申の日、媻皇国(注・現在のベトナム南部にあった)が赤と白の鸚鵡をそれぞれ一羽ずつ献上した*25。(『宋書』巻二十九「符瑞下」)
婆利(ブルネイ)国は広州の東南の海中の島にある。…普通三(522)年、王の頻伽が再び使いの珠貝智を派遣し、白鸚鵡・青虫・兜鍪・瑠璃器・古貝・螺杯・雑香・薬など数十種を献上した*26。(『梁書』巻五十四「列伝・婆利国」)
杜正玄、字は慎徽、先祖は京兆の人である。…林邑(チャンパ)が白鸚鵡を献上したので、(お上は)急いで杜正玄を呼び出し、使者を待たせておいた。杜正玄が到着すると、すぐさま賦を書かせた*27。(『隋書』巻七十六「列伝・杜正玄」)
林邑国(チャンパ)が…貞観五(631)年に今度は五色の鸚鵡を献上した。唐の太宗はこの珍しい生き物のため、太子右庶子の李百薬に命じて賦を作らせた。(チャンパは)さらに白鸚鵡も献上してきた。聡明でよく物事を知り、受け答えもはっきりできた。太宗はこれを憐れんで、使いの者に命じて林の中に放たせた。これ以後、朝貢は絶えることが無かった*28。(『旧唐書』巻百九十七「列伝・林邑」)
闍婆(ジャワ)国…淳化三(992)年十二月…国王が象牙・真珠・綉花銷金・綉糸絞・雑色糸絞・吉貝織雑色絞布・檀香・玳瑁檳榔盤・犀装剣・金銀装剣・藤織花簟・白鸚鵡・七宝飾檀香亭子を献上した*29。(『宋史』巻四百八十九「列伝・闍婆国」)
泰定四(1327)年十二月…乙卯の日、爪哇(ジャワ)からの使いが金文豹・白猴・白鸚鵡を献上した*30。(『元史』卷三十「本紀・泰定帝也孫鉄木児」)
なお、台湾皮影戯『白鶯歌』に登場したのは「白鸚鵡」ではなく「白鶯歌」で、また『遠山堂曲品』でも題目が『鸚哥』となっているが、これらはいずれも「インコ」を表す言葉である。「オウム」と「インコ」は、現在では異なる科に属する鳥と認識されているが、これは近代における生物分類に過ぎず、かつて両者は通用していた。例えば元・聶鏞の「宮中曲」では、上の『元史』の例が以下のように「白鸚哥」として詠われてい る*31。
南閩より新たな入貢ありと聞き到る、雕籠にて白鸚哥を進上せりと*32。
オウムにせよインコにせよ、中国にも広西などに分布してはいるが、上記の資料のように外国、特にベトナムやボルネオ島から中国の朝廷に定期的に献上されたのは、人語を解する吉鳥と目された上に、東南アジアのそれが見た目に美しく、またサイズも大きかったためだと思われる*33。
なお、『鸚鵡記』では西羌(西蕃)から白鸚鵡が献上されている。中国の西側にも鸚鵡はいないわけではなく、例えば現在の青海一帯を支配した吐谷渾には多くの鸚鵡が生息していることが知られていた。
吐谷渾には…犛牛や馬が生息し、また鸚鵡が多く、銅・鉄・朱沙も豊富である*34。(『魏書』巻一百一「列伝・吐谷渾」)
ただ、例えば『鸚鵡記』でこの吐谷渾が想定されていたというわけではなく、単に西蕃=外国ということで、東南アジアから中国への白鸚鵡の献上の例が使われただけだろう。また醒酒氈については、明代の小説『封神演義』第十九回「伯邑考進貢贖罪」に以下のような記述がある*35。
比干は言った。「公子が献上されるのはどのような宝でしょうか。」伯邑考は言った。「わが始祖の古公亶父が遺された七香車・醒酒氈・白面猿猴、それに美女十名を献上し、父の罪の赦しを乞いたいと考えている。」比干は言った。「七香車とはどのような宝でしょうか。」伯邑考は言った。「七香車は、むかし軒轅黄帝が蚩尤を北海で討伐された時に遺した車だ。この車に人が乗ると、牽引する必要がなく、東に行こうとすれば東に行き、西に行こうとすれば西に行く、まさに天下の至宝。また醒酒氈は、もし酒で酔っぱらっても、この上に横になればすぐに酔いが覚めるというもの。さらに白面猿猴は、畜生であるにも関わらず、三千の短い曲と、八百の長い曲をそらんじていて、宴席で歌い、人の掌の上で舞うことができる。まるで鶯のように美しく歌い、柳のようにたおやかに踊る。」*36
注意されるのは、『封神演義』で「醒酒氈」とともに献上されているが「白面猿猴」だということである。上に見た『元史』で、ジャワから白鸚鵡とともに「白猴」が献上されていることとの関連が想定されるだけでなく、白面猿猴が「まるで鶯のように美しく歌」うという描写からは、これが『鸚鵡記』の白鸚鵡に近い役割を担っていることも推測される。ただ、『鸚鵡記』と『封神演義』の間に直接の継承関係があるかどうかは、上記資料からだけでは解らない。
なお、『鸚鵡記』とよく似た物語を持つテキストに『雌雄盞宝巻』がある*37。外国から献上された宝物をめぐって蘇妃が梅妃に陥れられ、それを丞相の潘葛が救うというストーリーは同じだが、登場する帝は周の景王ではなく漢の文帝で、また宝物も酒を注ぐと音楽が鳴る「雌雄盞」になっている。版本は民国期の抄本や石印本しか現存していないが、歌い物芸能の一種である宝巻は、他の芸能に比べて比較的古い内容を留めることが多く、このテキストも『鸚鵡記』成立以前の要素を残しているものと考えられる。
以上を総合すると、あくまで仮説ではあるが、歴代の王朝で行われた東南アジアからの白鸚鵡の献上、特に元・泰定年間の事例などを参考に、白鸚鵡・醒酒氈のモチーフが形成され、これが『雌雄盞宝巻』の蘇妃の物語に流入して『鸚鵡記』が成立し、また同じモチーフが『封神演義』でも採用されている、ということになろう。
3.明伝奇『鸚鵡記』†
さて、明伝奇『鸚鵡記』には、「30.詔迎蘇后」と「31.蘇后赴京」の間に「新増潘葛下棋」の場面が挟み込まれている。前章で述べた概要から当該個所を抜き出すと以下のようになる。
「30.詔迎蘇后」:潘葛が景王に、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる。
「新増潘葛下棋」:潘葛が景王と象棋を打ちながら、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる。
「31.蘇后赴京、32.太子登基」:梅妃一派は死罪となり、蘇妃と太子が朝廷に迎え入れられる。
これを見ると、第30齣と「新増潘葛下棋」は内容的に一部重複しているが、恐らく前者をもとに新しく作られたのが後者で、富春堂本は新旧両方のテキストを収録しているのである。富春堂本以前の版本には「新増潘葛下棋」は無かったはずで、実際古い内容を留めると覚しき『雌雄盞宝巻』にはこれに相当する内容が無い。一方、台湾皮影戯『白鶯歌』には以下のように「新増潘葛下棋」に相当する部分が存在する。
「22.圍棋進子」:朝廷に上がった潘葛は景王と象棋を打ちながら、すべては梅妃の計略であったこと、蘇妃と太子が生きていることを告げる。
明伝奇『鸚鵡記』と台湾皮影戯『白鶯歌』はテキスト面でも共通点が多く、明らかに後者は前者の「子孫」であることが解る。例えば『鸚鵡記』の「新増潘葛下棋」は以下のようになっている。
【駐馬聽】(周)散悶陶情,暫在閑中(疊)棋一評。只見陣頭擺列,兵卒紛紛,車馬縱橫。常言道舉手不容情。又若差一著難扶。著手分明,着眼分明,神機妙算方全勝。【駐馬聽】(周)散悶陶情,暫在閑中(疊)棋一評。只見陣頭擺列,兵卒紛紛,車馬縱橫。常言道舉手不容情。又若差一著難扶。著手分明,着眼分明,神機妙算方全勝。
【前腔】(生)再決輸嬴,好似楚漢爭鋒無二形。須信道棋逢敵手,用盡機關,各逞奇謀。當頭一砲破重營。入更兼車馬臨邊境。一個將軍,再個將軍。君王棋勢將危困。【前腔】(生)再決輸嬴,好似楚漢爭鋒無二形。須信道棋逢敵手,用盡機關,各逞奇謀。當頭一砲破重營。入更兼車馬臨邊境。一個將軍,再個將軍。君王棋勢將危困。
台湾皮影戯『白鶯歌』「22.圍棋進子」は以下のようになっている。
(帝唱【住馬差】)散悶陶情,暫在閑中棋一盤。又只見陣圖擺列,兵卒紛紛,車馬縱橫。卿家常言道舉手不容情。差一著難扶。自意分明,神機妙算方得勝。(白)將君。(相白)起士。(帝白)卿家,年老了,棋亦不齊事了。(相白)臣告恭。(帝白)準臣告恭。(相退科白)萬歲,說我年老,棋亦不齊事了,怎知臣有讓君之著麼。(帝唱【住馬差】)散悶陶情,暫在閑中棋一盤。又只見陣圖擺列,兵卒紛紛,車馬縱橫。卿家常言道舉手不容情。差一著難扶。自意分明,神機妙算方得勝。(白)將君。(相白)起士。(帝白)卿家,年老了,棋亦不齊事了。(相白)臣告恭。(帝白)準臣告恭。(相退科白)萬歲,說我年老,棋亦不齊事了,怎知臣有讓君之著麼。
(科唱)俺這裡料叟精神向前去,與我主再結輸贏。(科白)啟萬歲,容臣再下一盤。(帝白)準卿再下一盤。(大科相唱)再結輸贏。(白)啟萬歲,這棋盤中可比兩朝古人。(唱)好比做兩國爭鋒無二形。須古道棋逢敵手,著用心各展,奇能微臣有。(科白)啟萬歲,臣有一著不敢獻上。(帝白)有何妙著,則管下來。(相唱)臣有一包破中營。更有車馬臨邊境。臣車下來一個將軍。(帝白)排相。(相唱)再下來一個將軍。(帝白)再起士。(相白)親君到。(唱)這盤棋勢還是微臣勝,我主棋勢遭圍困。(科唱)俺這裡料叟精神向前去,與我主再結輸贏。(科白)啟萬歲,容臣再下一盤。(帝白)準卿再下一盤。(大科相唱)再結輸贏。(白)啟萬歲,這棋盤中可比兩朝古人。(唱)好比做兩國爭鋒無二形。須古道棋逢敵手,著用心各展,奇能微臣有。(科白)啟萬歲,臣有一著不敢獻上。(帝白)有何妙著,則管下來。(相唱)臣有一包破中營。更有車馬臨邊境。臣車下來一個將軍。(帝白)排相。(相唱)再下來一個將軍。(帝白)再起士。(相白)親君到。(唱)這盤棋勢還是微臣勝,我主棋勢遭圍困。
両者を比較すると、科白は多少異なるが曲詞はほぼ共通している。また、台湾皮影戯が「新増潘葛下棋」の内容を有しているということは、『鸚鵡記』の「30.詔迎蘇后」が「新増潘葛下棋」に置き換わった後のテキストを、台湾皮影戯が受け継いでいることを意味している。なお、『鸚鵡記』の【駐馬聴】が台湾皮影戯では【住馬差】となっているが、これは駐・住は同音、また台湾語で聽はthiaⁿ、差はchhaと近似音になるため、書写の際に生じた相違である*38。
ただ、明伝奇『鸚鵡記』と台湾皮影戯『白鶯歌』が完全に対応するわけではない。両者を比較すると次ページのようになる。
明伝奇『鸚鵡記』 | 台湾皮影戯『白鶯歌』 |
1.家門大意 | × |
2.潘家遊園 | 1.潘葛登擡 |
3.二妃飲宴 | × |
4.西蕃進宝 | 2.西番義貢 |
5.任赴湘城 | × |
6.設朝受貢 | 3.朝賀阮宝 |
7.元宵冊封 | 4.帯旨封宮 |
8.幸梅妃宮 | 5.兄妹相議 |
9.請二国舅 | |
10.梅倫定計 | |
11.梅妃壊宝 | 6.阮宝起禍 |
12.金堦結奏 | 7.二妃扭奏 |
8.斬是放非 | |
9.鬧朝冒奏 | |
10.梅輪辱相 | |
13.夫人代死 | 11.回家議代 |
12.潘全謀計 | |
13.潘府代換 | |
14.上挍擡 | |
15.奠祭読文 | |
14.梅妃問卜 | 16.梅妃卜卦 |
15.驚死夫人 | 17.聞報設計 |
16.記議出葬 | 18.掃尋被打 |
19.潘梅扭奏 | |
17.途遇天神 | × |
18.蘇妃奔相 | |
19.梅伻帰隠 | |
20.白馬廟生太子 | |
21.湘城会侄 | |
22.宮人勧酒 | |
23.祝翁送子 | |
24.太子攻書 | |
25.蘇妃逢侄 | |
26.後院遊耍 | |
27.張清留子 | |
28.太子見母 | |
29.看天相 | × |
× | 20.慶賀寿旦 |
21.潘葛思妻 | |
30.詔迎蘇后 | × |
新増潘葛下棋 | 22.囲棋進子 |
31.蘇后赴京 | 23.接旨回朝 |
24.見駕除奸 | |
32.太子登基 | 25.登基団円 |
26.新帝登基 |
なお、「上四本」と明伝奇の比較検討を行った陳憶蘇は以下のように述べている*39。
文戯の劇本の「上四本」はいずれも明伝奇と関係がある。『蘇雲』以外の三本は内容も文字もすべて伝奇とよく似ているが、伝奇ほど冗長で華美ではない。伝奇は芸術性を重視する文学形式であり、場面や描写などが非常に細かく設計されている。例えば『琵琶記』などは四十二齣もあるが、(台湾の)影絵人形劇(の『蔡伯喈』)は「伯辞官辞婚」・「趙氏剪髪」・「画容」・「趕路」・「相認」など幾つかの主立った場面だけで全体の筋を表す。また『蘇英皇后鸚鵡伝』(明伝奇『鸚鵡記』)は最初の三齣で潘葛・梅妃・蘇妃が登場する描写に紙幅を割いているが、影絵人形劇のやり方はすぐに本題に入るというもので、また伝奇にはあった潘葛と妻が庭園に遊ぶ場面も無い。ここから、影絵人形劇における簡略化の現象を見てとることができる。また文字の上での共通点は多いが、民間の演劇上演であるために、影絵人形劇の表現は台詞がより口語的で、また方言も用いている*40。
明伝奇『鸚鵡記』と台湾皮影戯『白鶯歌』を比較すると、確かに陳憶蘇が言うように、後者は前者に比べ大幅に場面が削除されている。陳憶蘇は「最初の三齣」のことしか触れていないが、上の表を見ると、「17.途遇天神」から「28.太子見母」までの蘇妃が湘洲へ逃れる部分が、台湾皮影戯『白鶯歌』ではごっそり無くなっていることが解る。ただ一方で、台湾皮影戯『白鶯歌』の「20.慶賀壽旦」・「21.潘葛思妻」は、対応する場面が明伝奇『鸚鵡記』に無く、陳憶蘇の言う「影絵人形劇における簡略化の現象」とはいわば正反対の状況になっている。『白鶯歌』における場面の増加は、陳憶蘇のように単純に富春堂本と台湾皮影戯を比較するだけでは解らない。
台湾皮影戯四大本の『蔡伯喈』を分析した林鋒雄は、これが高明の『琵琶記』の通行本よりも、明末の散齣集である『新刊徽板合像滾調楽府宮腔摘錦奇音』や『新選南北楽府時調青崑』に収録された『琵琶記』青陽腔散齣テキストに近いことを指摘し、そこから台湾皮影戯『蔡伯喈』のテキストは弋陽腔から発展した青陽腔に由来すると主張した*41。青陽腔は安徽省青陽県を発祥地とする劇種で、特徴としては余姚腔の要素を吸収していること、弋陽腔の幇腔を改良して「分段幇腔」にしたこと、行当も弋陽腔の9種に対して10種となっていること、弋陽腔の滾白と滾唱を結合させた「滾調」を有することなどが挙げられる*42。さて、いま林鋒雄に倣い、明末の散齣集に収録される『鸚鵡記』の散齣を挙げると、以下のようになる。
- (一)明・胡文煥輯『群音類選』所収『鸚鵡記』「故傷宝物」・「潘妻代死」・「潘葛下棋」。万暦間刊本。それぞれ富春堂本の「11.梅妃壊宝」・「13.夫人代死」・「新増潘葛下棋」に相当し、曲詞もほぼ共通する*43。
- (二)明・黄儒卿輯『新選南北楽府時調青崑』(『時調青崑』)巻四下層所収『鸚𪃿』「蘇英結奏」。明末四知館刊本。富春堂本には無い、蘇英が梅妃の悪行を帝に奏上する場面を描く*44。
- (三)明・劉君錫輯『新鍥梨園摘錦楽府菁華』(『楽府菁華』)巻一上層所収『鸚歌記』「潘葛思妻」。万暦二十八年王氏三槐堂刊本。やはり富春堂本には無い、潘葛が死んだ妻を想う場面を描く*45。
- (四)明・劉君錫輯『新鍥梨園摘錦楽府菁華』(『楽府菁華』)巻六下層所収『鸚歌記』「潘葛筵中思妻」。万暦二十八年王氏三槐堂刊本。曲詞は(三)とほぼ同じ*46。
- (五)明・無名氏輯『新鐫南北時尚青崑合選楽府歌舞台』(『楽府歌舞台』)風集所収「潘葛思妻」。鄭氏刊本。曲詞は(三)とほぼ同じ*47。
- (六)明・阮祥宇編『梨園会選古今伝奇滾調新詞楽府万象新』(『楽府万象新』)巻二所収『鸚哥記』「有為慶寿」。明万暦間劉齢甫刊本。曲詞は(三)とほぼ同じ*48。
- (七)明・殷啓聖輯『新鋟天下時尚南北新調』(『堯天楽』)巻二下層所収『鸚𪃿』「寿日思妻」。民国石印本。曲詞は(三)とほぼ同じ*49。
前章で、富春堂本は『鸚鵡記』の第30齣の内容が「潘葛下棋」へと移行する過渡期のテキストである旨述べたが、上記の散齣集に収録されている『鸚鵡記』散齣をみると、変化は富春堂本の段階で終わったわけではなく、その後もさらに(二)に収録されている「蘇英結奏」や、(三)から(七)に収録されている「潘葛思妻」といった、新たな齣が作られていったことが解る。なお(二)から(七)までは、いずれも青陽腔のテキストとされる散齣集であり、ここに見られる「潘葛思妻」の内容が、台湾皮影戯『白鶯歌』の「20.慶賀壽旦」および「21.潘葛思妻」に対応していることを考えると、『白鶯歌』についても林鋒雄の言う「青陽腔説」が説得力を持つことになる。
それでは、散齣集所収の「潘葛思妻」と台湾皮影戯『白鶯歌』のテキストを比較するとどうであろうか。まず、(三)から(七)のうち、磨滅が少なく文字がはっきりしている(五)の『楽府歌舞台』を例に示すと以下のようになる。
【四朝元】(丑)華誕筵會,風柔簾幕時。曾記得蟠桃之日,父母之年一喜,又添一懼。爹爹,孩兒不願你別的。願你千秋百歲,又福如東海川流不息,壽比南山高聳北極,與松柏常青翠。嗏且請展愁眉,消遣情懷。一團和氣,往事總休提,今日須沉醉。(合)只落得千思萬憶不由人,悲悲切切空彈珠淚。又【四朝元】(丑)華誕筵會,風柔簾幕時。曾記得蟠桃之日,父母之年一喜,又添一懼。爹爹,孩兒不願你別的。願你千秋百歲,又福如東海川流不息,壽比南山高聳北極,與松柏常青翠。嗏且請展愁眉,消遣情懷。一團和氣,往事總休提,今日須沉醉。(合)只落得千思萬憶不由人,悲悲切切空彈珠淚。又
【前腔】(生)今朝壽日,原何不見妻。曾記得年年此日,與夫人美盞傳盃,相勸恩情美。夫人今日不見你,真好淒慘也。今日在那里。又又記得早起入朝時,問寒加衣問飢進食,百般周備。夫人,自你棄世之後我飢餒誰秋問,冷煖只自知。使我聽之無聲,視之無形,只落得冷清清長嘆息。嗏那日急急走回歸,我悶坐在庭幃。夫人呵。是你再三再四問因伊,我道是娘娘受屈。妻。你便肯將身替。我終日思想那一夜不見你呵。夢魂中常見你,醒時間常想你。【前腔】(生)今朝壽日,原何不見妻。曾記得年年此日,與夫人美盞傳盃,相勸恩情美。夫人今日不見你,真好淒慘也。今日在那里。又又記得早起入朝時,問寒加衣問飢進食,百般周備。夫人,自你棄世之後我飢餒誰秋問,冷煖只自知。使我聽之無聲,視之無形,只落得冷清清長嘆息。嗏那日急急走回歸,我悶坐在庭幃。夫人呵。是你再三再四問因伊,我道是娘娘受屈。妻。你便肯將身替。我終日思想那一夜不見你呵。夢魂中常見你,醒時間常想你。
台湾皮影戯『白鶯歌』でこれに対応するのは「21.潘葛思妻」の以下の部分である。
(相唱)待漏隋朝,整朝剛國事免似。可恨豺狼當道路,記記早年妻相代死。(鳥相叫白)呀,乍夜燈火結蕊,今朝喜鵲喳喳,老夫若有喜事,爾可連叫三聲。(鳥叫科)(相白)呀,這鳥識人言。(科唱)昨夜燈火結花,今朝喜鵲聲噪,可比做是乜了,堪似夫人早來來到。(鳥科白)呀,這鳥在我面前聲聲啼叫,莫非李氏夫人代死不願,今日老夫壽旦,前來討酒食。(科)唔鳥,若是李氏夫人,你可飛下。(飛下科白)呀。(緊白唱)此鳥奇異,你等莫非李氏妻,為何飛下來。使我心驚疑。持起淚如絲前日相代。是你原死。今日為何來到只。若要供你再諧老,除非南柯重相見。(鳥飛起叫)(生出扶白)爺爺萬福,為何將擒此獸,子兒備酒以便,請爹爹入內亨飲。(相白)我子,入內仝飲。(入科,鳥仝出生唱)酒滿霞場,祝讚爹爹壽萬年,惟願身康健,永保無危災,福祿齊田,巖親壽旦,子備壽筵,福壽綿綿,惟願爹爹壽萬千。(白科)爹爹且酒。(相白)夫人且酒。(生白)爹爹,我娘親亡過以久,那會與爹爹仝飲。(相唱)夫婦之情,擡頭不見夫人面,舉盃然何不得見,使我傷心珠淚滴。夫人妻爾今在那裡。唔友位我得兒自從娘親亡過,爾爹思之無形,食乜不知其味。(相唱)待漏隋朝,整朝剛國事免似。可恨豺狼當道路,記記早年妻相代死。(鳥相叫白)呀,乍夜燈火結蕊,今朝喜鵲喳喳,老夫若有喜事,爾可連叫三聲。(鳥叫科)(相白)呀,這鳥識人言。(科唱)昨夜燈火結花,今朝喜鵲聲噪,可比做是乜了,堪似夫人早來來到。(鳥科白)呀,這鳥在我面前聲聲啼叫,莫非李氏夫人代死不願,今日老夫壽旦,前來討酒食。(科)唔鳥,若是李氏夫人,你可飛下。(飛下科白)呀。(緊白唱)此鳥奇異,你等莫非李氏妻,為何飛下來。使我心驚疑。持起淚如絲前日相代。是你原死。今日為何來到只。若要供你再諧老,除非南柯重相見。(鳥飛起叫)(生出扶白)爺爺萬福,為何將擒此獸,子兒備酒以便,請爹爹入內亨飲。(相白)我子,入內仝飲。(入科,鳥仝出生唱)酒滿霞場,祝讚爹爹壽萬年,惟願身康健,永保無危災,福祿齊田,巖親壽旦,子備壽筵,福壽綿綿,惟願爹爹壽萬千。(白科)爹爹且酒。(相白)夫人且酒。(生白)爹爹,我娘親亡過以久,那會與爹爹仝飲。(相唱)夫婦之情,擡頭不見夫人面,舉盃然何不得見,使我傷心珠淚滴。夫人妻爾今在那裡。唔友位我得兒自從娘親亡過,爾爹思之無形,食乜不知其味。
「潘葛の誕生日の宴に息子がやって来て祝いの言葉を述べるが、潘葛は蘇妃の身代わりとなって死んだ妻のことを思い出す」という全体の流れは共通し、『蔡伯喈』同様、『白鶯歌』も確かに青陽腔散齣集所収の散齣を受け継いでいることは解る。しかし『白鶯歌』で描かれる、潘葛のもとに妻の魂が乗り移った鳥がやってくる場面は散齣集には無く、また曲詞については、下線を引いた「視之無形」(『楽府歌舞台』)と「思之無形」(『白鶯歌』)の部分にかろうじて共通点が認められる程度で、ほとんど重なってはいない。
4.弋陽腔系地方戯†
弋陽腔からは前述の青陽腔以外にも、楽平腔・徽州腔・四平腔・義烏腔・京腔などが派生し、また地方戯勃興後は梆子腔・皮黄腔・崑腔とともに地方戯四大声腔の一つとなって、江西高腔(饒河高腔・都昌湖口高腔・東河高腔・旴河高腔・吉安高腔・撫河高腔・瑞河高腔)、湖南高腔(長沙高腔・衡陽高腔・祁陽高腔・常徳高腔・辰河高腔)、青戯(湖北清戯・四川高腔・山西清戯・河南清戯)、安徽高腔(南陵目連戯・岳西高腔・夫子戯)、浙江高腔(新昌高腔・金華婺劇高腔[西安・西呉・侯陽]・松陽高腔)、福建高腔(四平戯・大腔戯)、広東高腔(広腔・正字戯・潮調)など様々に分化した*50。これだけ多様な種類が生まれたのは、弋陽腔はある地域に伝播すると現地の方言音を採用して、地方変種を形成する傾向があるためである*51。それは演目についても言え、弋陽腔の伝播経路に従って各地に伝わった後、様々な異本を生じており、それは『鸚鵡記』も例外ではない。上記の弋陽腔系諸腔の中で、『鸚鵡記』に由来すると思われるテキストが確認できたものを挙げると、以下のようになる*52。
饒河高腔『潘葛思妻』*53/都昌湖口高腔『白鸚哥』*54/長沙高腔『鸚鵡記』*55/衡陽高腔『一品忠』*56/辰河高腔『一品忠』*57/湖北清戯『鸚哥記』*58/四川高腔『白鸚鵡』*59/岳西高腔『鸚鵡記』*60/金華婺劇高腔[西安]『白鸚哥』*61/金華婺劇高腔[西呉]『白鸚哥』*62/金華婺劇高腔[侯陽]『白鸚哥』*63/松陽高腔『白鸚哥』*64/四平戯『白鶯歌』*65/正字戯『鸚歌記』*66
この中から例として、長沙高腔の『鸚鵡記』の「思妻」を挙げると、以下のようになる*67。
潘葛:(上唱【紅衲襖】)侍金門,常待漏,秉丹心把國政修。十三年前負重擔,何曾離卻我肩頭。老夫為著蘇后的事, 今曰憂來明日愁。憂憂愁愁,不覺白了我的項上頭。恨只恨梅倫兄妹心狠毒,苦只苦李氏夫人把命丟。我已不願待漏隨朝也,願解冠纓整歸舟,願解冠纓整歸舟。兒吓。燈燭輝煌,酒漿羅列,想是為著為父壽日。潘葛:(上唱【紅衲襖】)侍金門,常待漏,秉丹心把國政修。十三年前負重擔,何曾離卻我肩頭。老夫為著蘇后的事, 今曰憂來明日愁。憂憂愁愁,不覺白了我的項上頭。恨只恨梅倫兄妹心狠毒,苦只苦李氏夫人把命丟。我已不願待漏隨朝也,願解冠纓整歸舟,願解冠纓整歸舟。兒吓。燈燭輝煌,酒漿羅列,想是為著為父壽日。
潘有為:適才宴過諸親百客,特備家宴,與父上壽。家院,展開拜氈。潘有為:適才宴過諸親百客,特備家宴,與父上壽。家院,展開拜氈。
(家院舖氈,潘有為拜。)(家院舖氈,潘有為拜。)
潘有為:嚴親添福添壽。潘有為:嚴親添福添壽。
潘葛:我兒官上加官。(唱【四朝元】)今當壽日,今當壽日。夫人請酒。潘葛:我兒官上加官。(唱【四朝元】)今當壽日,今當壽日。夫人請酒。
潘有為:母親早已亡故。潘有為:母親早已亡故。
潘葛:(接唱)舉杯緣何不見妻。老夫壽誕年年有,不見同床共枕妻。唉,妻呀妻。渺茫茫今在哪裡。有為兒呀。曾記兒娘在世時,為父下朝而歸,她必問父身上寒不寒。腹中飢不飢。飢則進食,寒則加衣,自從兒娘去後,飢餓有誰問,冷暖只自知。只落得老淚縱橫自慘淒。潘葛:(接唱)舉杯緣何不見妻。老夫壽誕年年有,不見同床共枕妻。唉,妻呀妻。渺茫茫今在哪裡。有為兒呀。曾記兒娘在世時,為父下朝而歸,她必問父身上寒不寒。腹中飢不飢。飢則進食,寒則加衣,自從兒娘去後,飢餓有誰問,冷暖只自知。只落得老淚縱橫自慘淒。
潘有為:嚴親還要寬懷。潘有為:嚴親還要寬懷。
潘葛:唉。(唱)這千思萬憶,千思萬憶。悲切切妻在哪裡。潘葛:唉。(唱)這千思萬憶,千思萬憶。悲切切妻在哪裡。
前章で検討した台湾皮影戯『白鶯歌』の「21.潘葛思妻」を再び引用すると、下線部分に共通点が見られる。
(相唱)待漏隋朝,整朝剛國事免似。可恨豺狼當道路,記記早年妻相代死。(鳥相叫白)呀,乍夜燈火結蕊,今朝喜鵲喳喳,老夫若有喜事,爾可連叫三聲。(鳥叫科)(相白)呀,這鳥識人言。(科唱)昨夜燈火結花,今朝喜鵲聲噪,可比做是乜了,堪似夫人早來來到。(鳥科白)呀,這鳥在我面前聲聲啼叫,莫非李氏夫人代死不願,今日老夫壽旦,前來討酒食。(科)唔鳥,若是李氏夫人,你可飛下。(飛下科白)呀。(緊白唱)此鳥奇異,你等莫非李氏妻,為何飛下來。使我心驚疑。持起淚如絲前日相代。是你原死。今日為何來到只。若要供你再諧老,除非南柯重相見。(鳥飛起叫)(生出扶白)爺爺萬福,為何將擒此獸,子兒備酒以便,請爹爹入內亨飲。(相白)我子,入內仝飲。(入科,鳥仝出生唱)酒滿霞場,祝讚爹爹壽萬年,惟願身康健,永保無危災,福祿齊田,巖親壽旦,子備壽筵,福壽綿綿,惟願爹爹壽萬千。(白科)爹爹且酒。(相白)夫人且酒。(生白)爹爹,我娘親亡過以久,那會與爹爹仝飲。(相唱)夫婦之情,擡頭不見夫人面,舉盃然何不得見,使我傷心珠淚滴。夫人妻爾今在那裡。唔友位我得兒自從娘親亡過,爾爹思之無形,食乜不知其味。(相唱)待漏隋朝,整朝剛國事免似。可恨豺狼當道路,記記早年妻相代死。(鳥相叫白)呀,乍夜燈火結蕊,今朝喜鵲喳喳,老夫若有喜事,爾可連叫三聲。(鳥叫科)(相白)呀,這鳥識人言。(科唱)昨夜燈火結花,今朝喜鵲聲噪,可比做是乜了,堪似夫人早來來到。(鳥科白)呀,這鳥在我面前聲聲啼叫,莫非李氏夫人代死不願,今日老夫壽旦,前來討酒食。(科)唔鳥,若是李氏夫人,你可飛下。(飛下科白)呀。(緊白唱)此鳥奇異,你等莫非李氏妻,為何飛下來。使我心驚疑。持起淚如絲前日相代。是你原死。今日為何來到只。若要供你再諧老,除非南柯重相見。(鳥飛起叫)(生出扶白)爺爺萬福,為何將擒此獸,子兒備酒以便,請爹爹入內亨飲。(相白)我子,入內仝飲。(入科,鳥仝出生唱)酒滿霞場,祝讚爹爹壽萬年,惟願身康健,永保無危災,福祿齊田,巖親壽旦,子備壽筵,福壽綿綿,惟願爹爹壽萬千。(白科)爹爹且酒。(相白)夫人且酒。(生白)爹爹,我娘親亡過以久,那會與爹爹仝飲。(相唱)夫婦之情,擡頭不見夫人面,舉盃然何不得見,使我傷心珠淚滴。夫人妻爾今在那裡。唔友位我得兒自從娘親亡過,爾爹思之無形,食乜不知其味。
長沙高腔『鸚鵡記』は、明代の散齣集よりは台湾皮影戯『白鶯歌』との近似性が増している。また富春堂本『鸚鵡記』にあった蘇妃が湘洲へ逃れる部分も、台湾皮影戯同様に削除されており、陳憶蘇の言う明伝奇と比べた場合での「簡略化」現象は、台湾皮影戯特有の問題では無く、弋陽腔系地方戯に共通する性質であることが推測される。
ただ長沙高腔『鸚鵡記』には、潘葛のもとに妻の魂が乗り移った鳥がやってくる場面はやはり見られない。ところがこの点で、台湾皮影戯『白鶯歌』に非常に近いテキストが存在する。それは、以下に引用する正字戯の『鸚歌記』である*68。
潘葛:(唱)侍金門,待漏誰朝,振朝剛國。(白)昨晚燈花結蕊,今朝喜鵲門前噪。(鳥鳴聲)我兒有鳥叫,待為父看來,鳥呀鳥,你在我門前高叫,若有喜事連叫三聲。(鳥鳴三聲)好也。(唱)昨晚燈花報,今朝喜鵲延前噪,老夫不顧,別地而來,但願國政添心順,早產麒麟萬萬春。(坐白)為國心憂兩鬢斑,身受紅纙一命亡,何時得報冤仇日,萬載鐵柱永留名。老夫潘葛,自從當年夫人代替娘娘身死,老夫十三年無理國事,未知蘇娘娘如何。我子請為父出來有何事情?潘葛:(唱)侍金門,待漏誰朝,振朝剛國。(白)昨晚燈花結蕊,今朝喜鵲門前噪。(鳥鳴聲)我兒有鳥叫,待為父看來,鳥呀鳥,你在我門前高叫,若有喜事連叫三聲。(鳥鳴三聲)好也。(唱)昨晚燈花報,今朝喜鵲延前噪,老夫不顧,別地而來,但願國政添心順,早產麒麟萬萬春。(坐白)為國心憂兩鬢斑,身受紅纙一命亡,何時得報冤仇日,萬載鐵柱永留名。老夫潘葛,自從當年夫人代替娘娘身死,老夫十三年無理國事,未知蘇娘娘如何。我子請為父出來有何事情?
潘有慧:父親今天壽誕,請父出來,兒子來拜壽。潘有慧:父親今天壽誕,請父出來,兒子來拜壽。
潘葛:年年皆有,日後不用如此。潘葛:年年皆有,日後不用如此。
潘有慧:訣然的,許贊擺酒來。敬酒就奉霞腸,但願爹爹年萬千,可比做王母蟠桃獻,爹爹壽綿綿。很只很奸臣太無端,無故的害死我娘,但願爹爹壽綿長。潘有慧:訣然的,許贊擺酒來。敬酒就奉霞腸,但願爹爹年萬千,可比做王母蟠桃獻,爹爹壽綿綿。很只很奸臣太無端,無故的害死我娘,但願爹爹壽綿長。
潘葛:今日壽誕,(唱)舉杯焉何不見妻,夫人,妻,你今再那裡。曾記得年年此日,我與夫人雙歡雙飲,自從夫人亡過,老夫食不知其味。潘葛:今日壽誕,(唱)舉杯焉何不見妻,夫人,妻,你今再那裡。曾記得年年此日,我與夫人雙歡雙飲,自從夫人亡過,老夫食不知其味。
このテキストは潘葛のもとに妻の魂が乗り移った鳥がやってくる場面が描かれているだけでなく、曲詞や台詞も台湾皮影戯『白鶯歌』と非常によく似ている。違いがあるとすれば、正字戯『鸚歌記』はある程度官話的であるのに対し、台湾皮影戯『白鶯歌』は疑問詞の「乜」(mih)の使用といった方言的要素が認められることである(「可比做是乜了」「食乜不知其味」など)。
また先に引用した台湾皮影戯『白鶯歌』「22.圍棋進子」に対応する正字戯『鸚歌記』のテキストは以下の通りである。
帝:(唱)散悶龍心,正在棋中奕一場。常言道,帝:(唱)散悶龍心,正在棋中奕一場。常言道,
潘葛:棋中起一盤。(唱)只見陣頭擺列。兵卒紛紛。車馬縱橫。常言道舉手不容情。若差一只難扶整。神機妙算方全勝。潘葛:棋中起一盤。(唱)只見陣頭擺列。兵卒紛紛。車馬縱橫。常言道舉手不容情。若差一只難扶整。神機妙算方全勝。
帝:起砲,過象。(科)將軍。(科)卿呀,滿到你年老,連棋都不足老了。帝:起砲,過象。(科)將軍。(科)卿呀,滿到你年老,連棋都不足老了。
潘:(科)萬歲,那知為臣有讓君之意,待我抖起精神與我主下棋呵。(唱)俺抖起精神,向前去與我主下一個輸贏。(白)萬歲,一盤棋三十二只,車、馬、砲、將士象、兵卒來來往往、好比甚的而來。(唱)好一似楚漢爭鋒,無二行。棋逢敵手,用盡機關,各逞共能,臣有臣有,君王。(唱)臣有當頭一砲破中營,更有車馬臨邊近一個將軍,我□*69了新君到。(唱)君王供勢將危困,這盤還是為臣勝。潘:(科)萬歲,那知為臣有讓君之意,待我抖起精神與我主下棋呵。(唱)俺抖起精神,向前去與我主下一個輸贏。(白)萬歲,一盤棋三十二只,車、馬、砲、將士象、兵卒來來往往、好比甚的而來。(唱)好一似楚漢爭鋒,無二行。棋逢敵手,用盡機關,各逞共能,臣有臣有,君王。(唱)臣有當頭一砲破中營,更有車馬臨邊近一個將軍,我□*70了新君到。(唱)君王供勢將危困,這盤還是為臣勝。
富春堂本と比較した際には、台湾皮影戯がその流れを汲むものであることが解る程度であったが、正字戯のテキストは細かい台詞に至るまで非常によく似ている。
潮調および潮劇の『琵琶記』諸本を検討した鄭守治は、林鋒雄の言う「台湾皮影戯『蔡伯喈』青陽腔説」は、正確には「正字戯を通して青陽腔の系統のテキストが台湾皮影戯に流入したもの」だろう、とした*71。上記の検討を踏まえると、この関係は台湾『白鶯歌』についても当てはまることになる。またそうして『琵琶記』以外の弋陽腔系の演目の存在が確認されたことは、台湾皮影戯は台湾に伝播した弋陽腔系諸腔の一種と捉えられることも意味している。
5.おわりに†
現代の地方戯には、最も重要な演目を十八種挙げて「江湖十八本」と称するものが多い。この表現自体は、清・蔣士銓『昇平瑞』伝奇第二齣「斎議」*72、清・黄振『石榴記』伝奇「序言」*73、清・李斗『揚州画舫録』巻五*74など、乾隆年間の資料から登場するが、当時の具体的な演目名は解らない。現代の資料を見ると、崑腔系や梆子腔系の演劇でも行われているが、特に弋陽腔系の演劇で好んで用いられ、以下のように収録される演目は多少の出入りはあるものの、『鸚鵡記』に由来する演目は必ず含まれている(傍線部)*75。ここから、分化以前の古い段階の弋陽腔で恐らく「江湖十八本」という概念があり、そこには『鸚鵡記』が入っていたこと、また各地方戯に分化した後も『鸚鵡記』に由来する演目は一定の人気を得ていたことが解る。
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弋陽腔系諸腔の中には「十八本」以外の数え方を持つものもあり、例えば正字戯では重要な演目を「卅六真本」と称している*76。これは恐らく、常演演目の増加によって十八では収まらなくなったことが原因だろう。逆に辰河高腔などは数が少なく、重要な演目は以下の「四大本看家戯」である*77。
『黄金印』・『大紅袍』・『一品忠』・『琵琶記』
これは、辰河高腔で上演される目連戯に、『古城会』など「江湖十八本」に含まれる演目の一部が吸収され「四十八本目連戯」となり*78、残りの演目も多くが新しくできた「三山・四亭・四閣・五袍」という表現で語られるようになったため、両者に入らなかった重要な文戯を表す枠組として成立したものと思われる。いわば「江湖十八本」が辰河高腔特有のロジックで変化した結果であるが、この中に『琵琶記』と、『鸚鵡記』に由来する『一品忠』(傍線部)が含まれることは、台湾皮影戯の四大本を考えるにあたって非常に示唆的である。台湾皮影戯も、本来ならば弋陽腔系諸腔の「江湖十八本」を持っていても不思議ではなかったが、南部で限定的に行われている小規模な人形劇ということもあり、そうした枠組を形成・維持することが難しかったのだろう。ただし、台湾皮影戯形成初期に中国から伝来した江湖十八本由来の演目を重視すること自体は行われ、最終的にそれが「四大本」になっていったのではないだろうか。
なお、もちろん台湾皮影戯の演目がすべて弋陽腔系の正字戯に由来するわけではない。創作を重視した東華皮影劇団が戦後生み出した大量の新作演目は別として、復興閣皮影劇団や永興楽皮影劇団のような比較的伝統を守る劇団も、中国では民国以降に流行した済公の演目などを持っているが、これなどは明らかに新しい層に属するものといえよう*79。こうした演目は恐らく台湾布袋戯などと同様、日本統治時代に中国から輸入した石印本などをもとに新たに作られたものと思われる。こうした台湾皮影戯における演目の新旧の層の問題については、また稿を改めて検討したい。
*本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏の伝統芸能と地域社会~台湾の皮影戯・京劇・説唱を中心に」(平成27~30年度、基盤研究(B)、課題番号:15H03195、研究代表者:氷上正)による成果の一部である。
*1 陳憶蘇,『復興閣皮影戯劇本研究』,国立成功大学歴史語言研究所碩士論文,1992年,21頁。
*2 邱一峰,『台湾皮影戯』,晨星出版,2003年,169頁。
*3 皮影戲的文戲中有所謂的「上四本」,又稱為「上四冊」,分別為:《蔡伯喈》、《蘇雲》、《孟日紅割股》及《白鶯歌》,為文戲的代表性劇目。
*4 「高雄市皮影戯館」Webサイト掲載インタビュー映像,http://kmsp.khcc.gov.tw/home02.aspx?ID=$4012&IDK=2&EXEC=D&DATA=75&AP=$4012_SK-39,2017年2月10日確認。
*5 文戲也很重要。因為皮影戲就是有所謂的四本,《割股》、《白鶯歌》、《蘇雲》、《蔡伯皆》,這四本你若不會,就別想做皮影戲。
*6 石光生,『皮影戯芸師許福能生命史』,高雄県立文化中心,1998年,30頁。
*7 《蔡伯喈》、《割股》、《蘇雲》、《白鶯歌》這稱為上四本,演出者皆知這四本的。
*8 石光生,『蔡竜溪皮影戯文物図録研究』,高雄県政府文化局,2000年,196頁。なおこれ以外にも、台湾皮影戯の劇団で所蔵される上演用テキストが多数存在し、実際に李婉淳はそのうち幾つかを使用した研究を行っているが、筆者は今回それらを直接参照はできなかったため、これら諸本を用いた研究は今後の課題としたい。李婉淳,『高雄市皮影戯唱腔音楽』,高雄市政府文化局,2013年,329頁-332頁。
*9 原欠。
*10 原欠。
*11 林永昌,『福徳皮影戯劇団発展紀要暨図録研究』,高雄県政府文化局,2008年,55頁。
*12 林永昌,『合興皮影戯団発展紀要暨図録研究』,高雄県政府文化局,2007年,10頁。
*13 石光生,『皮影戯芸師許福能生命史』,21頁。
*14 一般皮影戲演師擅長文戲四大本之一,便足以獨當一面,張命首在皮影戲技藝不輕易外傳他人的時代,能夠分別向張奢、吳天來、吳典、李看四位皮影戲演師習得四本經典戲。
*15 邱一峰,『台湾皮影戯』,201頁。
*16 「復興閣」原名「新興皮戲團」,由張命首(1903〜1980)創立於彌陀鄉。張命首早年隨吳天來、李看、吳大頭、張著等學習皮影戲,並學習演奏各種樂器。
*17 陳憶蘇,『復興閣皮影戯劇本研究』,40頁。
*18 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,国家出版社,2015年,134頁-157頁。
*19 同様の仮齣題の付与は白海英も行っているが、筆者のものとは必ずしも一致しない。白海英「戯文的近代伝承和民間経典的敘事策略―以『鸚鵡記』為例」,『民族芸術研究』,2012-6-28,47頁-53頁。
*20 中国戯曲研究院編,『中国古典戯曲論著集成』第六冊,中国戯劇出版社,1959年,82頁。
*21 其詞亦明順。但立格已墮落惡境,即實甫再生,亦無如之何矣。
*22 例えば『春秋左氏伝』の昭公十五年や昭公二十二年などに周景王の記事があるが、『鸚鵡記』の物語に関わるような内容は記されていない。
*23 義熙十三年…六月癸亥,林邑獻馴象、白鸚鵡。
*24 天竺迦毗黎國,元嘉五年,國王月愛遣使奉表,獻金剛指環、摩勒金環諸寶物,赤白鸚鵡各一頭。
*25 孝武帝大明三年正月丙申,媻皇國獻赤白鸚鵡各一。
*26 婆利國,在廣州東南海中洲上。…普通三年,其王頻伽復遣使珠貝智貢白鸚鵡、青蟲、兜鍪、瑠璃器、古貝、螺杯、雜香、藥等數十種。
*27 杜正玄字慎徽,其先本京兆人…會林邑獻白鸚鵡,素促召正玄,使者相望。及至,即令作賦。
*28 林邑國…五年,又獻五色鸚鵡。太宗異之,詔太子右庶子李百藥為之賦。又獻白鸚鵡,精識辯慧,善於應答。太宗憫之,並付其使,令放還於林藪。自此朝貢不絕。
*29 闍婆國…淳化三年十二月…國王貢象牙、真珠、綉花銷金及綉絲絞、雜色絲絞、吉貝織雜色絞布、檀香、玳瑁檳榔盤、犀裝劍、金銀裝劍、藤織花簟、白鸚鵡、七寶飾檀香亭子。
*30 泰定四年十二月…乙卯,爪哇遣使獻金文豹、白猴、白鸚鵡各一。
*31 『武林掌故叢編』第六集(清光緒四年銭塘丁氏嘉惠堂刊本)所収,元・楊維楨『西湖竹枝集』第三十二葉。
*32 聞到南閩新入貢,雕籠進上白鸚哥。
*33 王頲,「飛鳥能言——隋以前中国関於鸚鵡的描述」,『内陸亜洲史地求索』,蘭州大学出版社,2011年,1頁-15頁。
*34 吐谷渾…土出犛牛、馬,多鸚鵡,饒銅、鐵、朱沙。
*35 『古本小説集成』(上海古籍出版社,1994年)影印明万暦年間金閶舒載陽本。
*36 比干答曰:「公子納貢,乃是何寶。」伯邑考曰:「自始祖亶父所遺,七香車、醒酒氊、白面猿猴,美女十名,代父贖罪。」比干曰:「七香車有何貴乎。」邑考答曰:「七香車,乃軒轅皇帝破蚩尤于北海,遺下此車,若人坐上面,不用推引,欲東則東,欲西則西,乃世傳之寶也。醒酒氊,倘人醉酩酊,臥此氊上,不消時刻即醒。白面猿猴,雖是畜類,善知三千小曲、八百大曲,能嘔筵前之歌,善為掌上之舞,真如嚦嚦鶯篁,翩翩弱柳。」
*37 『民間宝巻』第二十冊,黄山書社,2005年,268頁-299頁。なお『雌雄盞宝巻』の版本については以下を参照。澤田瑞穂『増補宝巻の研究』,国書刊行会,1975年,199頁および車錫倫『中国宝巻総目』,北京燕山出版社,2000年,24頁、216頁。なお京劇に『日月雌雄杯』という演目があるが、宝巻の版本に同題のものがあり、また内容も宝巻とよく似ているため、京劇はこちらに由来すると考えるのが妥当であろう。『京劇劇目辞典』,中国戯劇出版社,1989年,50頁。
*38 ただし、明代の弋陽腔と台湾皮影戯で曲牌表記が同一ないし近似的だからと言って、同じ曲となるわけではなく、基本的に両者は別種と考えるべきである。したがって、『白鶯歌』抄本の「住馬差」を「駐馬聴」と書き改めることは躊躇される。なお李婉淳はこの曲牌に「駐馬酲」の表記を採用している。李婉淳『高雄市皮影戯唱腔音楽』,64頁。
*39 陳憶蘇,『復興閣皮影戯劇本研究』,40頁。
*40 文戲劇本中的「上四本」皆與明傳奇有關,除《蘇雲》外,其他三本在內容及文辭上都和傳奇很類似,但卻沒有傳奇的冗長與藻麗。傳奇以一種文學形式被經營,於情節、景物等描寫比較鉅細靡遺,如:《琵琶記》長達四十二齣,而影戲則集中於伯皆辭官辭婚、趙氏剪髮、畫容、趕路、相認等幾個主要情節以表現全部故事。又如:《蘇英皇后鸚鵡傳》前三折,潘葛、梅妃蘇妃登場都費了一些筆墨,而影戲的作法則是開門見山,並無傳奇中潘葛與妻兒園中遊賞一段。可見影戲較之傳奇簡化之現象。此外在文辭上雖多相似,但作為民間戲曲的演出,影戲的表現是更為口語的對白與方言的運用。
*41 林鋒雄,「論台湾皮戯『蔡伯皆』」,『漢学研究』第19巻第1期,2001年,329頁-353頁、および温州市文化局編『南戯国際学術研討会論文集』,中華書局,2001年,298頁-321頁。
*42 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,245頁、265頁、271頁、433頁。
*43 中華書局影印本,1980年。
*44 王秋桂輯,『善本戯曲叢刊』第一輯,学生書局,1984年,244頁-248頁。
*45 王秋桂輯,『善本戯曲叢刊』第一輯,51頁-62頁。
*46 王秋桂輯,『善本戯曲叢刊』第一輯,286頁-294頁。
*47 王秋桂輯,『善本戯曲叢刊』第四輯,学生書局,1987年,51頁-58頁。
*48 李福清、李平編,『海外孤本晩明戯劇選集三種』,上海古籍出版社, 1993年,102頁-110頁。
*49 王秋桂輯,『善本戯曲叢刊』第一輯,131頁-141頁。
*50 弋陽腔系諸腔の分類については諸説あるが、ここでは前出の蘇子裕『弋陽腔発展史』の枠組に従った。なお弋陽腔系諸腔は崑曲と比べた場合に音調が高くなるため、清代以降は一般に「高腔」と呼ばれるようになり、現在の各地の地方戯でもこの名称を採用するものが多い。
*51 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,144頁-146頁。
*52 白海英,「戯文的近代伝承和民間経典的敘事策略―以『鸚鵡記』為例」,47頁-53頁。個別の演目についてはそれぞれの注を参照。
*53 流沙,「従南戯到弋陽腔」,『明代南戯声腔源流考弁』,財団法人施合鄭民俗文化基金会,1999,4頁-5頁。
*54 流沙、北萱、聿人,「従江西都昌、湖口高腔看明代的青陽腔」,『戯曲研究』1957年第4期,14頁。
*55 范正明編注,『湘劇高腔十大記』,岳麓書社,2005年,653頁。
*56 譚君実,「衡陽湘劇」,『中国戯曲劇种大辞典』,上海辞書出版社,1995年,1219頁。
*57 李懐蓀主編,『辰河戯志』,湖南省戯曲研究所,1989年,26頁-27頁。
*58 呉鋒,「湖北青戯介紹」,『弋陽腔資料彙編第三集』,江西省贛劇院研究室,1960 年,85頁-86頁。
*59 徐宏図,『南戯遺存考論』,光明日報出版社,2009年,310頁-312頁。
*60 班友書、王兆乾、鄭立松,「岳西高腔」,『中国戯曲劇种大辞典』,599頁。
*61 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,561頁。
*62 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,563頁。
*63 徐宏図,『南戯遺存考論』, 307頁-309頁。
*64 華俊,「松陽高腔」,『芸術研究資料』第三輯,浙江省芸術研究所,1982年,265頁。
*65 劉湘如,「庶民戯新探」,『福建庶民戯討論集』,福建省戯曲研究所,1982年,10頁-11頁。
*66 鄭守治,『正字戯潮劇劇本唱腔研究』,中国戯曲出版社,2010年,18頁。
*67 范正明編注,『湘劇高腔十大記』,653頁-654頁。
*68 鄭守治所蔵油印本,全24頁。
*69 原欠。
*70 原欠。
*71 鄭守治,『正字戯潮劇劇本唱腔研究』,176頁。
*72 『蔣士銓戯曲集』,中華書局,1993年,763頁。
*73 蔡毅編,『中国古典戯曲序跋彙編』,斉魯書社,1989年,1929頁。
*74 中華書局,1960年,123頁-125頁。
*75 流沙,「従南戯到弋陽腔」,4頁-5頁、および白海英,「高腔与江湖十八本」,『芸術百家』2006年第1期,20頁-24頁による。
*76 田仲一成,『中国地方戯曲研究』,汲古書院,2006年,742頁。
*77 蘇子裕,『弋陽腔発展史』,510頁-511頁。
*78 こうした弋陽腔系諸腔における目連戯の「肥大化」の問題については、山下一夫「宮廷大戯『封神天榜』をめぐって」,『中国古典小説研究』第8号,2003年,98頁-114頁を参照。
*79 済公の演目の多くは清末の郭小亭『評演済公伝』に基づいて製作されたものである。済公伝の演劇化の問題については以下を参照。山下一夫,「郭小亭本『済公伝』の成立について――評書、鼓詞および戯曲との関係」,『中国古典小説研究』第5号,1999年,47頁-57頁。山下一夫,「『済公伝』の戯曲化と済公信仰――連台本戯『済公活仏』をめぐって」,『藝文研究』第82号,2002年,142頁-158頁。山下一夫,「済公活仏形象在上海的転変与発展」,『中国文化研究(首爾中国文化研究学会)』第15輯,2009年,89頁-106頁。