『都市芸研』第十三輯/中国古典戯曲序跋彙編

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『中国古典戯曲序跋彙編』およびその中国古典戯曲総合データベースへの収録の意義について

材木谷 敦

はじめに

本稿は、千田大介氏を中心に構築が進められつつある「中国古典戯曲総合データベース」*1(以下、「総合DB」。URLはhttp://ccddb.econ.hc.keio.ac.jp/wiki/)に収録予定の資料の内、蔡毅氏編『中国古典戯曲序跋彙編』(斉魯書社、1989年。以下、『彙編』)の書物としての意義、およびその「総合DB」への収録の意義についての雑考である。

1 書物としての特徴

『彙編』は、その書名からすると、中国古典戯曲の諸本の序と跋のみを集めたものであるように見えるかもしれない。「中国古典戯曲」という部分、「序と跋」という部分について、それぞれ確認しておきたい。

まず、「中国古典戯曲」という部分について見てみよう。蔡氏は「前言」において次のように言う。

本書における資料の収録は、唐代の崔令欽『教坊記』から始まる。歴代の戯曲論著(曲話、曲韻、曲律、曲譜などの著作を含む)、金元の戯文、元の雑劇、明清の雑劇、伝奇、近代の戯曲、および歴代の戯曲選本の序と跋は、すべて本書の収集範囲となった。*2

このように、「中国古典戯曲」の諸本のみを資料収集の対象としたわけではなく、戯曲関係の論著も広く含まれている。

次に、「序と跋」という部分について見てみよう。蔡氏は「前言」において次のように言う。

戯曲の「序跋」には広義と狭義の別があってよい。狭義とは、戯曲の論著、選本および劇作の前後に載せられる、作者自身あるいは別人が書いた「序」と「跋」のみを指す。一方、広義とは、序、跋、端書、説、弁言、規約、凡例、送辞、問答、総評、題詞(詩、詞、曲、賦、散曲を含む)など、直接にその本やその劇作のために書かれた各種のスタイルの文を含む。本書は広義のほうに基づいて資料を収集し、「序」とも「跋」とも呼ばれていないが実質的に「序」や「跋」と同様の意義と作用を持つ多くの資料が選ばれるようにした。贈答の性質しか持たない、さして参考価値のない題詞は収めなかった。*3

このように、名目的な観点ではなく、実質的な観点から序跋の類を選択するという操作が加えられており、「序と跋」はそのもののみを意味しているわけではない。このような操作は、選択に主観が入る面があるとしても、比較的広い範囲で資料が収録されることになるので、実際に序跋の類に着目して検討を進めることを考えると、適切であると言うことができる。

2 内容の概観

収集された資料の内容について、蔡氏は「前言」において次のように言う。

我が国の古典戯曲は、調べの付いているタイトルを持つものが4500あまりある。現在のところ、作品全体または一部が残っているのは千あまりに過ぎない。そして、序や跋を載せているものは、3分の2ほどであろう。本書に収める資料は、少数の地方図書館と個人の蔵書が収集できなかったことを除き、大部分が収められた。ほかに個人の文集や全集に散在する一部の題跋もあるものの、本書は相対的に探しにくい条目だけを集めた。目下、収集した資料の状況は次の通りである。曲論と曲律は、作家80名あまり、作品110部あまりに及び、序跋272条を収める。曲選は、作家46人、作品50部に及び、序跋141条を収める。戯文は、作家13人、作品17種に及び、序跋54条を収める。雑劇は、元代では作家43人、作品82種に及び、序跋183条を収める。明代では、作家23人、作品143種に及び、序跋259条を収める。ほかに、元・明の無名氏の作品83種、序跋85条がある。清代では、作家70人あまり。作品146種に及び、序跋295条を収める。伝奇は、明代では作家64人、作品103種に及び、序跋312条を収める。清代では、作家158人、作品291種に及び、序跋857条を収める。近代では、作家29人、作品47種に及び、序跋93条を収める。資料全体では、関連する全作家は(重複して現れる者を除いて)540人あまり、著作は(曲選を含めて)160部あまり、劇目は776種で、序跋2190条を収める。(その内、全ての論著、曲選、劇作における題詞は、〔複数ある場合でも〕いずれも分けて挙げることはせず、ひとつの作品においては1条としてのみ数えた。)ここに集めた劇作家と劇目には、これまでの戯曲論著と劇目資料の書籍では著録されたことのないものが一定量ある。さらに、著録こそされていても詳しく扱われてはいなかった一定量の劇作家と劇目も存在する。*4

『彙編』に収められている序跋の類はかなりの量である。序跋の類の選択が広い基準でなされていること、時代範囲が広いこともあり、『彙編』は、戯曲関係言説について検討する上で、役立つことが期待される。

『彙編』出版の後、古典籍の大規模な影印叢書の刊行が相次ぎ、戯曲関係の各種資料の利用方にも変化が生じた。しかし、そのように状況が変化した後でも、まとまった分量の戯曲関連の言説が収められている点において、『彙編』の意義は大きいと考えられる。

しかし、多少の欠点もなしとしない。例えば、『彙編』には、特にその資料収集の対象とした原資料である諸本において序跋の類が行書や草書で書かれている場合などに読み間違いから生じた誤字が見られることや、一部の句読に問題があることなどについて、劉世傑氏らが指摘している。*5また、『彙編』の資料収集には比較的単純な遺漏が否めないことになどについて、鄧長風氏らが指摘している。*6

書物の巻頭や巻末に位置しないようなテクストが収録されていないことにも注意が必要だろう。例えば、清・葉堂が、『元曲選』を編纂した臧晋叔のことを「孟浪漢」と非難したことはよく知られている。しかし、葉堂のその言説は、残念ながら『彙編』には収められていない。その言説は、『納書楹曲譜』正集巻二の目録の末尾に按語のような形で現れる。一般的な序や跋の位置にないせいで、漏れてしまったのだろう。

本文の質や遺漏などを考えると、原資料を確認する必要があるのは、確かである。また、特に本文の質の問題を考えると、書物の状態でも電子データの状態でも検索結果の確実性には留保を加えるべき部分もあるだろう。それでも、『彙編』には戯曲関係言説について検討するための手掛かりを提供するガイドとして一定の意義があり、その「総合DB」への収録にも一定の意義があるとは言えるだろう。

3 有用性のありかた

さて、『彙編』という書物や、その「総合DB」への収録は、実際のところ、どのように有用なのか。例えば、敏沢氏「序」は次のように言う。

中国古典戯曲の序跋は、中国戯曲史、戯曲美学、文学、文学理論を研究する重要な資料の宝庫のひとつであると、誇張なしに言える。以前、筆者もいくらか渉猟したものだが、ほぼ全貌を目にしたのは今回が初めてである。読んでいる中で、これらの資料がかかわる問題がとても広範であると感じ入った。大きい方面から言うと、作家、作品、創作過程、文学理論、上演などについて、全て論じられているだけではない。さらには、ある具体的な問題―例えば戯曲文学理論―からしても、曲と詞、詩、楽、舞、史との関係の問題から、戯曲の典型的人物の創造、社会作用、「凌虚」と「紀実」、「真」と「偽」の関係の問題、戯曲と社会生活や政治との関係、戯曲の情でひとを感動させる特徴、戯曲創作の「想像」と「伝神」の問題などに至るまで、全て議論の対象となっているだけではなく、価値ある見解が豊富である。*7

個々の言説に書かれている内容には、それだけで一定の価値があると期待される。その意味だけでも、『彙編』のような書物は有用だろう。したがってまたそのような書物を「総合DB」に収録することにも有用性があることにはなるだろう。しかし、個々の言説の価値に基づく有用性があるとして、また別のレベルでの有用性もあると考えられる。

そもそも、ある言説の意味は、ほかの言説との関係においてより深く理解される。或いは、ある言説の意味は、ほかの言説との関係によって特定されると言ってもよい。言説間相互の関係から意味を特定しようとする試みは、しばしば可能であり、一方ではまた必要でもある。そのことは、序跋の類についても言える。序跋の類は、書物を出版するに当たって書かれるという特性から、先行する関連分野の書物が意識されていることに加え、さらには先行する序跋の類も意識されていることがしばしばであるという事情もある。

言説間相互の関係から意味を特定しようと試みる際、同じような分野の言説や同じような対象に関心を払う言説が大量に収められた書物があれば、とりあえず参考となる。その意味で、『彙編』という書物は、戯曲関係の序跋の類について言説間相互の関係から意味を特定しようとする試みにとって、有用性があると言える。そして、その有用性は、データベースに収録されるなど、電子データとして利用可能な状態となることで、より高まると考えられる。機械的に検索できるので、肉眼で読み進める場合と比べて、語彙のレベルから言説間相互の関係を見出す作業がより容易であり、またより確実だからである。

4 検討例

今、試みに『彙編』を開くと、王季烈(1873~1952)・劉鳳叔(?~?)編『集成曲譜』(商務印書館、1925年)の「編輯凡例」が現れる。その第3条に、次のように言う。

葉堂『納書楹』〔『納書楹曲譜』、1792年〕、馮起鳳『吟香堂』〔『吟香堂曲譜』、1789年〕は、いずれも曲譜の良書である。しかし、セリフを載せず、〔「板眼」の内、板と中眼は示しても〕小眼〔=頭眼と末眼〕を示さず、初学者には特に不便なので、広く行われることが不可能になってしまった。本書は簡略さよりも詳細さを目指し、難しさよりもわかりやすさを重んじたので、小眼とセリフは漏らさず掲載し、銅鑼や笛の演奏方は全て示した。初学者にとって理解しやすくなるように努力したので、高尚なものとすることは考えなかった。*8

『集成曲譜』が、初学者のことを考えて編纂されたとしよう。そのことと「高尚なものとすることは考えなかった」ことには、どのような関係があるのか。

『集成曲譜』の編者が、たまたま先行する曲譜に接した経験から詳細さとわかりやすさを求める中で、初学者は高尚さにはなじまないとたまたま考え、たまたまそのことを述べた、ただそれだけのことであると理解できないこともないかもしれない。しかし、「初学者にとって理解しやすくなるように努力した」と述べるまでで内容的には充分であるはずなのに、そこまでで止めず、特に初学者が高尚さになじまないという発想をわざわざ明示することにどのような具体性があったのか、よくわからない感じは残る。

この時、言説間相互の関係から意味を特定することを試みるとして、書物としての『彙編』を手段とするならば、葉堂や馮起鳳の言説に内容的な関連があるだろうという見込みを持って頁をめくることになる。結果、清・葉堂の言説に、関連のありそうな内容を見出すことができる(『彙編』は『吟香堂曲譜』の序跋の類を収めない*9)。電子データを用いるならば、例えば、「初學」などの文字列を検索することで、同じ結果が得られる。ただ、『集成曲譜』編輯凡例が葉堂や『納書楹曲譜』に言及していない場合でも検索によって言説間相互の関係が見出せたはずであるということは、無視できない。言説がそれと関係のある言説の存在について直接に言及するとは限らないからである。

葉堂の言説で『集成曲譜』編輯凡例と関連があるように見えるのはふたつあり、いずれも「小眼」の扱いが関係するものである(『集成曲譜』編輯凡例が挙げた、セリフ、小眼、楽器の演奏方という3項目の内、「小眼」以外の項目は措くこととする)。ひとつは『納書楹曲譜』凡例の第6条であり、次のように言う。

板眼の中に小眼があるのは、もともと初学者のためのものである。上級者は自然にこなすので、細かく注記すれば、逆にわずらわしく感じられる。今は旧譜に倣い、全て示さないものとする。*10

この言説を考えに入れれば、『集成曲譜』編輯凡例に見える初学者向けの立場が表明されているのは、『集成曲譜』編者が古い曲譜に接した経験からたまたま形成された立場がたまたま表明されているというようなことではなく、「小眼」のような初学者向けの記載など必要がないという『納書楹曲譜』凡例の立場に対立する形で表明されていると読むことができるだろう。

それでも、『集成曲譜』編輯凡例が特に初学者が高尚さになじまないという発想をわざわざ明示することにどのような具体性があったのかについては、まだよくわからない。

『集成曲譜』編輯凡例に関連すると思われるもうひとつの葉堂の言説を見てみよう。「納書楹重訂『西廂記』譜序」(1795年)に、次のように言う。

乾隆49〔1784〕年に、わたしは『西廂記』を譜にして出版し、それまで歌われなかった曲を演奏できるようにした。完璧であるとは言わないが、声律を細かく検討し、たいへん苦心したものだ。現在まで12年経つが、買ってくれるひとが少ないので、内容にまだ不充分なところがあるのだろうかと気にしていた。あるひとがわたしに言った、「世間で歌が歌えると言っているひとは、譜を諳んじることができるのではなく、譜を追いかけるひとだ。譜を作成する場合、小眼を示すことが必要で、そうしないと依拠すべき基準がない。今、あなたの譜は板があっても眼がなく、そのせいでひとは買うのをためらってしまう」。わたしは答えて言った、「いやいや。そういうことを言うひとは、わかっていない。曲は取るに足りない芸事だが、至理がある。曲には一定の板があっても、一定の眼はない。ある曲のある句がどのくらいの板かというのは、一定している。眼がどのくらいかについては、曲の早さによる。変化を付けるかどうかは曲調の変化による。歌が上手いひとは自然と理解できるので、一定のものはない。無理に説明しようとして、ある曲は三眼一板だとか、またある曲は一眼一板だとか言って、全体にわたって微妙なところを何もかも明らかにして、変化の付けかたも全部示すところまで行くようなのは、歌を台無しにするものだ」。相手はさらに言った、「宋玉はこう言っている。『曲が高尚過ぎると和する者が少ない』。あなたのような意見は、一般受けするためのものではない。少しレベルダウンして、みなさんを楽しませてはどうか」。わたしは笑って言った、「わたしは芸で身を立てているわけではない。しかし、あなたの言うことはもっともだ。最近、原版が失われてしまい、また校訂を加えることになったので、小眼を入れられるところには全部入れて製版しよう。まあ、やむを得ず一般のやりかたに従うということであって、所詮わたしの本心ではないが」。*11

葉堂自身、もともと初学者を意識しない立場だったところ、初学者を意識する方向で妥協したことは、この言説によってよく知られている。『集成曲譜』編輯凡例における初学者への意識は、葉堂のもともとの立場に対立する一方、葉堂が後にたどりついた位置に相当すると認められる。

この場合、『集成曲譜』編輯凡例が、『納書楹曲譜』凡例以外に「納書楹重訂『西廂記』譜序」をも知っていたとすれば(知らなかったとは考えにくいが)、初学者と高尚さのあの対立は、葉堂の問題意識を踏まえていると理解することができるだろう。『集成曲譜』編輯凡例が特に初学者が高尚さになじまないという発想をわざわざ明示したことの具体性は、そこにあったと考えられる。「高尚なものとすることは考えなかった」という文言は、言わば、葉堂―さらには、葉堂が描いた「あるひと」―に向けて書かれていたと読むことができるだろう。

見方を変えれば、そのことは、『集成曲譜』編輯凡例と葉堂の言説が、全体として、同じような問題意識をめぐり、ある意味では同程度に限られた可能性の範囲で書かれているということであり、民国時期の戯曲に関する議論のありかたには民国以前のそれに対して連続的だった面があるということにもなる。このような見立ては、『集成曲譜』編輯凡例が『納書楹曲譜』凡例のみを知っていて「納書楹重訂『西廂記』譜序」を知らなかった場合でも(やはり知らなかったとは考えにくいが)、成り立つだろう。

結語

今ここで試みた言説間相互の関係についての考察は、決して精緻でも何でもなく、別段特筆すべきものではない。重要なのは、言説間相互の関係をめぐるこの種の考察は『彙編』という書物がガイドとして存在することによって容易に行えるということ、そしてその容易さは『彙編』が「総合DB」などを通じて電子データとして利用に供されることによって高められるであろうということである。

※本稿は、日本学術振興会科学研究費「中国古典戯曲総合データベースの応用的研究」(平成二十三~二十六年度、基盤研究(B)、課題番号:23320077、研究代表者:千田大介)による成果の一部である。


*1 計画の詳細は、千田大介「中国古典戯曲総合データベースの構築」、『中国都市芸能研究』第九輯、中国都市芸能研究会、2010年。
*2 『彙編』「前言」p.1。原文:本書資料的收録,卽從唐代崔令欽的《教坊記》開始。歷代戲曲論著(包括曲話、曲韻、曲律、曲譜等著作),金元戲文,元雜劇,明清雜劇、傳奇,近代戲曲,以及歷代戲曲選本的序跋,悉爲本書蒐集範圍。
*3 出所同前。原文:戲曲序跋,可有廣義、狹義之分。狹義者,乃專指載於戲曲論著、選本和劇作前後,由作者自己或他人所寫的「序」和「跋」。而廣義者,則包括序、跋、引、説、弁言、規約、凡例、贈言、問答、總評、題詞(含詩、詞、曲、賦、散曲)等直接針對該書、該劇的創作所寫的各種文體的文字。本書按廣義收集資料,以便於雖不稱序稱跋,而實與序跋有同樣意義和作用的大多資料入選。純係贈答性質而無多少參考價值的題詞不録。
*4 『彙編』「前言」pp.2-3。原文:我國古典戲曲,有目可考者爲四千五百餘。至今或全帙或有佚曲、散齣存世者,則不過千餘計。而載有序跋者,或可三分之二。本書所收資料,除少數地方圖書館和私家收藏的圖書未能收集外,則大部已經集入。尚有一些題跋散在個人文集或專集中,本書只收集了相對説難以查找的部分條目。目前收集到的資料情況爲:曲論曲律,涉及作家八十餘人,作品一百一十餘部,收序跋條目二百七十二條。曲選,涉及作家四十六人,作品五十部,收序跋條目一百四十一條。戲文,涉及作家十三人,作品十七種,收序跋條目五十四條。雜劇:元代,涉及作家四十三人,作品八十二種,收序跋條目一百八十三條;明代,涉及作家二十三人,作品一百四十三種,收序跋條目二百五十九條;另,元、明無名氏作品八十三種,收序跋條目八十五條;清代,涉及作家七十餘人,作品一百四十六種,收序跋條目二百九十五條。傳奇:明代,涉及作家六十四人,作品一百零三種,收序跋條目三百一十二條;清代,涉及作家一百五十八人,作品二百九十一種,收序跋條目八百五十七條。近代,涉及作家二十九人,作品四十七種,收序跋條目九十三條。全部資料,共涉及作家(重複出現者除外)五百四十餘人,著作(含曲選)一百六十餘部,劇目七百七十六種,收序跋條目爲二千一百九十條。(其中,所有論著、曲選和劇作中的題詞,均未分列,在一作品中,只以一條計之。)這裏收集的劇作家和劇目,有一定數量,是以往的戲曲論著和劇目資料書籍,均不曾著録的。尚有一定數量的劇作家和劇目,雖有著録,但均語焉不詳。
*5 刘世杰「读《中国古典戏曲序跋汇编》札记」、『文献』1993年第1期、書目文献出版社など。
*6 邓长风「《中国古典戏曲序跋汇编》简评―兼谈清代曲家曲目著录的若干问题」、『文献』1996年第2期、書目文献出版社など。
*7 『彙編』「序」p.2。原文:中國古典戲曲序跋,可以毫不誇張地説,是硏究中國戲曲史、戲曲美學、文學、文學理論的重要資料寶庫之一。過去筆者雖然也多少有所涉獵,但只有這次纔基本上看到了全貌。閲讀之中,深感這些資料涉及問題十分廣泛:從大的方面説,關於作家、作品、創作過程、文學理論、表演等等,不僅都有所論及;而且,從某一具體問題—譬如説戲曲文學理論—來説,舉凡曲與詞、與詩、與樂、與舞、與史的關係問題;戲曲的典型人物塑造、社會作用、「凌虚」與「紀實」、「真」與「假」的關係問題;戲曲與社會生活、與政治的關係、戲曲的以情感人的特點、戲曲創作的「想像」與「傳神」問題等等,不僅都有所論及,而且頗不乏有價值的見解。
*8 『彙編』pp.205-206。原文:葉氏《納書楹》,馮氏《吟香堂》,皆爲曲譜善本。然不載賓白,不點小眼,殊不便於初學,故迄不能通行。本編則甯詳毋畧,甯淺無深,小眼、賓白,一一詳載,鑼段、笛色,無不註明。務期初學之易解,不敢自附於高古。
*9 ちなみに、東洋文庫蔵・清刊本『吟香堂曲譜』の序には、『集成曲譜』編輯凡例との内容上の関係は特に認められない。
*10 『彙編』p.152。原文:板眼中另有小眼,原爲初學而設。在善歌者自能生巧,若細細註明,轉覺束縛。今照舊譜,悉不加入。
*11 『彙編』p.155。原文:乾隆甲辰歲,余譜《西廂記》問世,以從來未歌之曲付之管弦,縱未敢云盡善,然推敲於聲律之微,抑亦大費苦心矣。迄今已閲十有二年,而購者寥寥,心竊自疑,豈其中尚有未盡者耶?或謂余曰:「世之號爲能歌者,非能諳譜,乃趁譜者也。作譜者必點定小眼,始有繩尺可依。今子之譜有板而無眼,此購者之所以裹足而不前也。」余應之曰:「嘻!爲此説者,非深於斯道者也。夫曲雖小道,至理存焉。曲有一定之板,而無一定之眼。假如某曲某句,格應幾板,此一定者也。至於眼之多寡,則視乎曲之緊慢;側直,則從乎腔之轉折。善歌者自能心領神會,無一定者也。若必强作解事,而曰某曲三眼一板,某曲一眼一板,以至鬭接收煞,盡露痕跡,而於側直又處處誌之。〔,〕是殆所謂活腔死唱者歟!」或又曰:「宋玉有言:『曲高和寡』。如子之説,恐非所以諧俗也。盍稍貶損焉,以悦時人之耳目可乎?」余笑曰:「余非鬻技者。然子言亦大有理。邇因原版日久散失,復加校訂,於可用小眼處,一一增入,以付剞劂。亦不得已從俗之所爲,究非余之本心也。」
なお、東洋文庫蔵・清刊本『西廂記全譜』「自序」1a-2b所載に対して文字の異同はない。ただし、題の「納書楹重訂西廂記譜序」は清刊本に従った。『彙編』は、自序と別人の序を区別して示す体例の都合から「自序」という見出しの下にこの言説を収める。